私たちはクールではない。だから金融業界にいるのだ。
人はクールになりたいと願っている。高度に社会的で知的な生き物として私たちには、帰属したり、お互いを差別化したり、ステータスを交渉する願望と必要がある。関係における資本を生み出すためにシグナルやヒエラルキーを作り、そのような資本を実世界での利益へと変換する。
そのような哺乳類的現実は、ホモ・エコノミクス(経済的合理性に基づいて個人主義的に行動する人間)という経済モデルにおいて合理的な選択を行う理論上の人間像とは対照的だ。
2021年、経済モデルは目を覚まし、実例を示すようになっている。自立分散型組織(DAO)となり、分散型金融(DeFi)とノンファンジブル・トークン(NFT)業界の人たちによって動かされ、オンチェーンでの商業活動に組み込まれているのだ。
行動ファイナンスは、ホルモンが理性に取って代わるエッジケースを見つけている。そこには、(1)あらゆるものの民主化とコモディティ化、(2)技術的に加速されたファッションとラグジュアリーを加えることができる。
ある直感に従えば、できる限り多くの人にモノを売り、それらをできる限り安くしたい。これは、過去20年間にわたる、インターネット広告と、ベンチャーキャピタルのブリッツスケーリング(急速な拡張)という思考によって生み出され、歪められた「アテンションエコノミー(関心経済)」における直感である。
これはまた、ラグジュアリーなブランド品に対して行いたいこととは正反対である。
ブランド品の場合には、できる限り少ない商品を、できるだけ高額で売りたい。つまり、全員が自分の商品を持ち歩いて、どこにでもあるありふれたものにしてしまうのではなく、選ばれた少数の人たちのみに自分の商品を手にしてもらうということだ。
他の人たちが除外されているため、少数の人たちは文化的資本を獲得する。「持っていること」が称賛され、それ以外の人が「持っていないこと」が、ラグジュアリー品を価値あるものにしているのだ。
ブランドが象徴する、個人的価値に関する質的で一貫したメッセージである、ブランドのナラティブと合わせれば、無形ではあるが、価値の高いブランド・エクイティ(ブランドの資産価値)が生まれる。
ブランド・エクイティは、値下げや、ラグジュアリー品入手における排他性を減らすことで損なわれてしまう。これらの反対こそが、そもそも高い価格に織り込まれているのだ。
最近では、購買意欲を掻き立てるのは、排他性や価格だけではない。新しく登場するラグジュアリーブランドや商品は、世界的な話題における文化的核である「時代精神」につながる必要がある。
大物ミュージシャンや、スポーツ界のインフルエンサーに後援してもらうことも、それに含まれるかもしれない。ティックトック界の大スター、チャーリー・ダミリオにサポートを受けたネオバンクのStepや、プロアメリカンフットボールのトム・ブレイディ選手と組んだ暗号資産取引所のFTXなどがその例だ。
適切なストーリーにつながった、適切な人材から社会的影響力を買うことで、消費のためのモノから、所有者にとっての感情的化身へと商品は変化する。標的とする層が価格を気にしない人たちならば、彼らが支払いたいと感じる最大限の価格をつけ、それ以外の人には買えないようにすることで、彼らの買ったものを守るべきだ。これこそが、限定版NFTのクリプトパンク(CryptoPunk)に信じられないような価格がついている理由の1つである。
実用的な金融業界の人間として、無責任な投資慣行に批判的な態度を見せる人もいるかもしれない。なんとぼやけた資産分配なのだと、聞きたくなるかもしれない。しかし、それはまったく間違った質問で、お金、ファイナンシャルプランニング、数学的結果に関するものだ。
正しい質問は、ラグジュアリー市場の規模に関するものである。人間という生き物の選好についてどうするかを理解して、そのような選好が現在どのように商品化されているかを見ていこう。
コンサルティング企業のベインによると、ラグジュアリー市場の規模は、2019年には1兆2000億ドル。そのうち340億ドルは芸術品、5500億ドルは車に使われた。
ラグジュアリー商品には1年に3550億ドル近くが使われ、年率で約8%増加した。デジタル世界が、物理的現実をメタバース(インターネット上の仮想世界)へと再フォーマット化する中、そのようなトレンドがデジタルの世界にも入り込んでいることは驚きではない。
インターネット上にいる人たちも、とりわけ合理的という訳ではない。実世界の人たちと同じくらい衝動的で部族的、金銭に貪欲だ。
ファッションの機能
これは大きなチャンスであり、ここでもう1つ強調しておきたい特質がある。ラグジュアリーとファッションのつながりである。排他的商品のミクロ経済学を振り返ってみよう。
高額のラグジュアリー品に対する需要がなかったらどうする?正解は、割引して大衆に販売することではない。むしろ、売れ残った在庫を処分することだ。
高額のラグジュアリー品に対する需要が極めて高い場合にはどうする?増産したり、異なるバージョンを作るか?違う。価格をさらに上げて、特別なステータスを手に入れることができる人の数をさらに絞るのだ。
しかし、そのような基盤の上に、収益が繰り返し発生する事業を築くことは困難だ。需要の将来的な状況や、ブランドの位置付けがどれくらい成功するかは分からない。失敗すれば取り返しがつかない。独占的なモノがエリートによって永続的に定義され、永続的に所有される場合には、負け組(オークションに負けたという意味で)を何百万人も引き込む理由などないのだ。
ファッションの世界では、モノは人気を集め、その後不人気になる。ファッションは消費を促進する。つまり、今シーズン失敗したとしても、別のシーズンがあるのだ。流行り廃(すた)りのおかげで、大衆には希望が生まれ、ステータスを維持したい人たちによる再投資のニーズが常にある。
そのため、収益は繰り返し発生するのだ。前シーズンの商品の芸術的、文化的価値が、次のシーズンに流行する保証はない。さらに、クリエイティブなプロセスをめぐる動きがあり、新しいクリエイティブな結果を発表することで消費者を引き込むことができる。ストーリー、ブランドナラティブ、非排他的な参加者とのコラボレーションを伴う、1つの業界なのだ。
デジタル商品に関しては、そのような事態が起こってはいない。
「NBA TopShot」は今年はじめ、極めて人気であったが、大いに減速している。ブロックチェーンゲームの「Axie Infinity」には、かなりの勢いがついている。クリプトパンクは、クリプトアバターのトップラグジュアリー資産としての地位を固め、その価格は市場と連動して上下している。
Art Blocksなど、一部のプロジェクトに対する需要は、有機的に高まっている。一般的なクリプトキティー(CryptoKittys)など、そのクールさの欠如が不快なほどのものもある。
社会という群れが新しい思考や、進化におけるポジションを処理するに従って、このような感情はすべて、反転したり、曲がったり、変化するだろう。疑うことを知らない投資家に価値なきものを売りつける市場のバブルではないのだ。アートファッションであり、普遍のモンドリアンの絵画のようなものもあれば、時間と共に色褪せる意味のないお飾りもある。
重要なポイント
シリコンバレーの精神とテクノロジーが金融の世界に浸透する中、メディア企業が金融企業になることを怖れる仮説があった。例えばグーグルだ。しかし、別の事態も起こっている。金融商品や金融流通業者が、メディアのDNAを手に入れているのだ。これらはもともと社会的で、感情志向である。大いに小売り的で、取引にまつわるものであり、FOMO(機会を逃すことへの恐怖)に突き動かされている。
これらはすべて、DAOを思い起こさせる。初期のDAOは、DeFiプロトコルの実行を調整するもので、性質においてほぼ完全に金融的であった。新たに参入してきているDAOは投資シンジケートか、アーティストのコミューン、あるいはその2つの中間に近い。
しかし、インターネット文化と、ミーム的つながりによる結びつきを持っている。普通の組織とは異なり、いつの日か人間の法律によって固定されてしまうとしても、DAOは技術的ユートピアから生まれたのだ。
DAOは、デジタルな希少性を押し付けるブロックチェーンの世界につながっているため、ラグジュアリーと希少性のコンセプトに対処しなければならない。コードやデータには文化的意味はないため、目的のために組織された人々の社会的レイヤーによって、意味を作り出す必要がある。
誰もがマーケットメーカーになれる訳ではない。しかし、多くの人は、マーケットメイキングを可能にするプロトコルを管理し、それにまつわるストーリーを生み出し、それをオシャレに保つことで、利益を得ることはできる。
全員がNFTを買える訳ではない。しかし、多くの人はお金を持ち寄ってNFTを買い、購入したモノの文化的意義を示唆するメタインフルエンサーを生み出すことはできる。このような錬金術によって、DAOは季節的な金融ファッションを、時を超える投資のアートに買えることができる。
レックス・ソコリン(Lex Sokolin):CoinDeskのコラムニストで、ニューヨーク州ブルックリンにあるブロックチェーンソフトウェア企業、コンセンシス(ConsenSys)のグローバル・フィンテック担当共同責任者。この記
|翻訳・編集:山口晶子、佐藤茂
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|原文:Fashion Redefines Finance: The Logic of Digital Luxury