ソニーはなぜ“教育”に力を入れるのか?──創業者の“思い”を受け継ぎ、300年先の未来をつくる

ソニーは、言わずと知れたエレクトロニクスやエンターテイメント業界を代表する一大企業だが、近年、グループ会社のソニー・グローバルエデュケーションを通じて教育領域での存在感を高めている。なぜソニーは“教育”に力を入れるのか? 教育×ブロックチェーンにかける“思い”とは?

高橋恒樹/ソニー・グローバルエデュケーション 中長期企画部 ブロックチェーンプロジェクトリーダー

評価すべきは“アウトプット(結果)”ではなく“プロセス(過程)”

ソニー・グローバルエデュケーションは現在、4つの事業を展開している。ロボット・プログラミング学習キット「KOOV(クーブ)」、思考力を育むデジタル教材「PROC」、大人から子供まで参加できる世界算数大会「GLOBAL MATH CHALLENGE」、そして、これらのサービスに関する学習データを管理するのが「教育データネットワーク」だ。同ネットワークには「改ざん耐性」を備えるブロックチェーン技術を活用している。

ソニー・グローバルエデュケーションが展開する4つの事業(提供:ソニー・グローバルエデュケーション)

ソニー・グローバルエデュケーション中長期企画部ブロックチェーンプロジェクトリーダーの高橋恒樹氏は、これらの教育サービスを展開するうえでソニー・グローバルエデュケーションが最も大切にしていることは「多様性」だと述べる。もはや「テストの点数が良ければいい」という時代ではない。学習者が「答えがひとつではない問題に」対して、どう向き合うかが求められるようになってきている。

たとえば、同社が提供する「KOOV」のプログラミング学習では、生徒たちの作品を募集し毎月プログラミングコンテストを実施している。当然、プログラミングに正解があるわけではなく、子供たちが提出した作品だけを見て評価することはむずかしい。

「KOOV」は学んだ内容に応じて、プロセス(過程)がバッジとして可視化される仕組み(提供:ソニー・グローバルエデュケーション)

子供たちがどうやって最終的なアウトプットにたどり着いたのか、その過程でどのような創造性を発揮したのか。高橋氏は「子供たちがどこに問題を発見し、どのような試行錯誤を経て、最終的な答えにたどり着いたのか。これからの時代、評価すべきは“アウトプット(結果)”ではなく“プロセス(過程)”です。一連の学習で経験したこと、すべてが1つの場所に保存されていることが大事だと考え、教育データネットワークの構想につながりました」と述べる。

学習データに求められる2つの必須条件とは?

では、未来のインフラとも呼ぶべき「教育データネットワーク」に、なぜブロックチェーン技術を用いるのか。高橋氏は「学習者があらゆる“学習データ”を活用できるように、学習者が自らデータを蓄積できるシステムを目指しています」と話す。

ここで「学習者」とは、学生だけを指すのではなく、社会人や老人など生涯にわたって学ぶ人を意味する。転職やキャリアアップのために大学へ戻ったり、豊かな人生を過ごすために生涯学習に取り組んだりと、一生を通して学び続ける時代になった。そうした「人生100年」時代が実現する社会では学習者が何を学んだのか、その学習データを生涯にわたって蓄積し、活用できるネットワークが必要だというのだ。

ソニー・グローバルエデュケーションが描くブロックチェーン技術による教育データネットワーク(提供:ソニー・グローバルエデュケーション)

「学校、大学、企業……学び続けるのが当たり前になる時代では、“事業者やサービスを問わず利用できること”と“データがいつでも・どこからでも正しいことが確認できること”の2つが必須条件だと考えています。この条件を満たすには、ブロックチェーン技術の活用が有効です。“教育”という1つの目標に向かって、個人・企業・団体・政府など異なるステークホルダーが一体となり、共通の学習者データを適切な形で保有するには、ブロックチェーンのような分散台帳の仕組みが不可決だと考えています」(高橋氏)

「コンソーシアム型ブロックチェーン」を選ぶ理由

「教育データネットワーク」は、すでに3つの機能を提供し始めている。1つ目が「学位・成績証明書など貴重な学籍情報を記録するデータサービス」だ。成績証明書の真正性(authenticity:信頼がおけること)をブロックチェーンにより担保する試みだ。

学位・成績証明書など貴重な学籍情報を記録するデータサービス(提供:ソニー・グローバルエデュケーション)

2つ目が「学習に関するあらゆる情報が格納されるユニバーサルなデータストア」である。データへのアクセス権限をブロックチェーンで制御する。

学習に関するあらゆる情報が格納されるユニバーサルなデータストア(提供:ソニー・グローバルエデュケーション)

3つ目の「教材等コンテンツの権利情報を保証する基盤」は、権利情報をブロックチェーン上に書き込むことにより、教材等のデジタルコンテンツの所有権やアクセス権を売買するなどの活用が見込まれる。

教材等コンテンツの権利情報を保証する基盤(提供:ソニー・グローバルエデュケーション)

教育データネットワークでは、ユーザーが直接ブロックチェーンのネットワークにアクセスするわけではない。ブロックチェーン上にAPI(Application Programming Interface:ソフトウェアからOSの機能を利用するための仕様またはインターフェース)サーバーを構成し、APIを通じてさまざまな教育サービスとブロックチェーンが連携する仕組みだ。

教育データネットワークのサービスアーキテクチャ(提供:ソニー・グローバルエデュケーション)

同サービスには、オープンソースのブロックチェーン基盤の一つである「Hyperledger Fabric(ハイパーレジャーファブリック)」を選択した。これについて高橋氏は「教育分野は個人情報や秘密情報が多いこと、そして特定の独自技術に大きく依存するベンダーロックインを回避するためにも、Hyperledger Fabricのようなコンソーシアム型のブロックチェーンが適していると考えました」と語る。

これによりデータ管理の信頼性を高め、学校や民間企業、自治体など多くの教育関係者がアクセスできるとともに、「学習者が学習データの公開先を選択できる」環境も実現している。

「ブロックチェーンの可能性を探る」現場で広がる実証実験

「教育データネットワーク」の運用は、すでに始まっている。「世界算数」では、28万人以上の受験者の成績証明書をブロックチェーン上で発行している。さらにロボット・プログラミング国際コンテスト「KOOV Challenge」においても、コンテストの受賞者に同様のデジタル賞状を発行している。

また、自社サービスでの運用に加えて、「昨今は、教育ブロックチェーンに興味を持つ企業も増え、連携して実証実験に取り組むケースも増えている」と高橋氏は語る。

たとえば、富士通が提供するオンライン講座「Fisdom」では、同サービス内の日本語検定対策講座を受講した来日前の外国人留学生に対して、デジタル証明書をブロックチェーン上で発行する実証実験に取り組んだ。外国人就労者や希望留学生は来日前に、日本語講義の受講履歴や結果を受け入れ先に提出する必要があるが、今まではその受講結果の真偽確認が困難であることが課題だったという。

富士通が提供するオンライン講座「Fisdom」とのブロックチェーン活用の実証実験(出典:ソニー「外国人留学生の日本語講座の受講履歴や成績証明管理にブロックチェーンを活用する実証実験を開始」ニュースリリース)

また、小中高などで利用が広がるeポートフォリオ「Feelnote」(株式会社サマデイ)と提携し、ブロックチェーン技術を活用したeポートフォリオの実証実験にも取り組んでいる。部活動やボランティア活動、検定試験や課題研究の内容など、あらゆる学習データをeポートフォリオに蓄積することで、学習者を多面的に評価することが“ねらい”だ。2020年に実施される大学入試改革から、eポートフォリオの活用が始まるため、学習データをどのように蓄積するかは、今後の教育分野でもますます注目が高まる課題でもある。

「データの改ざんが防止できるのはもちろん、中学と高校で異なるeポートフォリオを利用していても、ブロックチェーン上に学習データが蓄積されていれば同じデータを活かすことができます」(高橋氏)

ソニーはなぜ“教育”に力を入れるのか?

“ソニー”といえば、家電にゲーム、音楽や映画など、エンターテイメントやエレクトロニクスの会社であるとイメージする人が多いだろう。では、なぜソニーは“教育”に力を入れるのか。

高橋氏は「ソニーでは長年にわたり、社会貢献の一環として科学技術の普及や、それを扱う人材育成などに取り組んできました」と述べ、ソニー創業者のひとりである井深大氏が起草した東京通信工業(現ソニー)の設立趣意書を紹介した。1946年1月に書かれた同書には、ソニー会社設立の目的が8つ並べられており、最後に記されているのが「国民科学知識の実際的啓蒙活動」だ。

ソニー創業の精神を受け継ぎ、約70年の時を経て、教育領域でのイノベーションを担っているのが2015年に設立されたソニー・グローバルエデュケーションだという。同社は「300年先の未来をつくる教育」をビジョンに掲げ、来るべき社会における教育インフラの創造を目指す。

出典:「SGE Education Blockchain」

ようやく“教育×ブロックチェーン”の認知度が広がってきたと感じています。以前は教育関係者に話しても、なかなか理解していただけませんでした。最近は企業を中心に実証実験をやってみたいという話も増え、技術活用の動きが広がってきました」(高橋氏)

認知や期待が広がる一方で、課題も多い。たとえば、教育現場では生徒の学習に関するデータを外に出してしまうこと自体に抵抗を感じる教育者が多くいるという。

「今の日本の教育は、制度やシステム、文化など、ある程度完成しており、ブロックチェーンが入っていくことは簡単ではありません。技術面ではないところの苦労が多いです」(高橋氏)

これは単にセキュリティ上の問題を懸念しているだけではない。これまで学校が管理してきた学習者のデータを手放すことで大きな変化が訪れる。それにともなう不安があるのだろう。“学習履歴は学習者本人のものか”、または “学校が管理すべきものか”、“学校の役割とは何か” といった根源的な問いがつきまとう。

筆者が教育領域を取材する中では「ブロックチェーンを何に使うのか見えない」「どのような価値をもたらすのか、わからない」と話す教育関係者が多い。しかし、学び続けることが求められる時代、学習者の学習データをどう管理していくのかは重要な課題だ。そろそろ本気で向き合わねばならない。

「ネットワークを通じて、世界でスケールできる教育サービスを提供していきたい」(高橋氏)

「教育データネットワーク」が業界を席巻する日は来るのか。ソニー・グローバルエデュケーションの挑戦は続く。


高橋恒樹(たかはし・こうき)/ソニー・グローバルエデュケーション 中長期企画部 ブロックチェーンプロジェクトリーダー

慶應義塾大学卒業。ソニー株式会社に入社し、クラウド開発・運用を担当。株式会社ソニー・グローバルエデュケーションにて、ロボット・プログラミング学習キット「KOOV」等主要サービスのクラウド基盤構築・運用に従事。2017年より教育領域へのブロックチェーン技術適用に携わる。

文:神谷加代
編集:久保田大海
写真:多田圭佑