フェイスブックが突き進めるメタバースに潜む危険【オピニオン】

ある動画が今週、ツイッター界を席巻している。ウォルマート流「メタバース」でのショッピング風景だ。

「これがウォルマートが思い描く#メタバースでの買い物だ。
 どう思う?」

ツイッターユーザーたちからの反応は、一言で言えば、冷たいものだ。「あらゆる点で、現在のオンラインショッピングに劣っている」と、あるユーザーは批判。

この動画が示す世界は、店舗の売り場の通路を進み、商品陳列棚から商品を選ばなくても良いという、オンラインショッピングの主要なメリットを破壊するものだ。

「あらゆる点で、現在のオンラインショッピングに劣っている。これが未来であるフリをしている人たちが理解できない」

Scribbler McGee──「現状のスーパーマーケットのオンラインショッピングと比べたメリットはどこにあるのか?」

waterboard apes──「株主たちに向かって、すでにeコマースをできる限り良いものにした、と言う訳にはいかない。メタバース暗号資産ブロックチェーンの世界に、成長のための新たな可能性があるフリをしなければならないのだ。ツイッターが毎年、誰も欲しがっていない新機能を導入するのと同じことだ」

「浮遊霊みたいな店員さんが付き添ってくれて、風景が勝手に変わることに困惑させられて、機械がガタガタと不気味な音を立ててくれれば、買い物がもっと楽しくなるのにと、常々思っていたんだ」

念の為に言っておくと、これは新しい動画ではない。世界最大規模の音楽・映画・メディアの複合イベント「サウス・バイ・サウスウエスト(SXSW)」のために、2017年に作られたのだ。それでもこの動画は、アメリカの経済界が「メタバース」への準備は整っていることを必死に示そうとする中、そのデフォルトのアプローチをしっかりと捉えたものになっている。

人々が低劣なメタバースアプリケーションを楽しんで使用するのは、3Dがクールだから、ということがこのような愚かさの前提となっているのだろうか?ユーザーがオンラインショッピングのエクスペリエンスに実際に求めていること、必要としていることに、まったく関心が払われていないのは間違いない。

最も根本的な話として、実際のウォルマートとまったく同じように見えるバーチャルウォルマートをなぜわざわざデザインするのだろうか?ウォルマートの実店舗での買い物は、かなりひどいものだ。3Dのバーチャル世界にいるのであれば、そのエクスペリエンスを作り直すために、限りない可能性を活かした方が良いだろう。

瀕死寸前で、存在を脅かされている様々な組織が、彼らなりの「メタバースアプリケーション」を持ち出してくるのに伴って、マシなものが出てくると期待しない方が良い。それらの大半が、ひどいものになるだろう。その理由の1つは、純粋な想像力の欠如だ。新聞が、紙面版のPDFを投稿することで「ウェブに進出」した時のことを覚えているだろう?

さらに重要なことに、このような取り組みはそもそも、本当にユーザーのためのものではないのだ。投資家、とりわけ若者から利益を吸い取るための市場チャンスを探している50代以上の人たちの目をくらませるための仕掛けなのだ。

もちろんそれが、フェイスブックの「メタ」へのリブランディングの真の核心だったのだから、マーク・ザッカーバーグ氏の誘導に従う時代遅れの企業から、マシなものは期待できない。

そしておそらく結末としては、彼らみんなが(バーチャルの?)崖から陽気に落っこちていくことになるだろう。それが2015年〜2016年にかけて、恥ずかしいほどに失敗した、フェイスブックの「動画への転換」で起こったことだ。

フェイスブックはメディア企業に対して、動画を最優先にするよう説得し、Vice、Vocativ、Upworthyなどが活字ジャーナリストを解雇して、その代わりに動画撮影者を雇うこととなったのだ。

UpworthyやVocativを覚えている人がいるだろうか?もし覚えていないとしたら、動画への転換によって、そのようなメディアは閲覧数の低下に悩み、破綻への道をさらに突き進んだからかもしれない。

フェイスブックが動画を推進したことで、何百ものジャーナリスト(ゆくゆくは、新しく雇われた動画撮影者たちも含まれることになった)が職を失い、多くのメディアに大きな痛手を与えた。

その理由の1つは、フェイスブックが自社の顧客を理解せず、転換を誤ったからではないだろうか。

それは、ほんの幕開けに過ぎなかった。今度はVRヘッドセットを売るための茶番にテック業界全体を引きずり込むことで、フェイスブックは何百もの潜在的競合に、根本的に欠点のあるアイディアに対して努力や資金を浪費させることになるのだ。

様々なメタバースのビジョン

紹介したメタベースショッピングの動画は、「メタバース」とは一体何なのかという点に関する混乱や議論も浮き彫りにしている。フェイスブックの発表時に多くの人が指摘した通り、この言葉は90年代のサイバーパンク小説の中で、「バーチャルリアリティ」と基本的に同じ意味を持つ言葉として生まれた。

しかし、他に誰もその言葉を使っている人がいなかった2017年頃から、イーサリアム界隈の開発者や理論家たちが、様々なインターフェイスを超えて使える、NFTなどの保有されたデジタル資産を基盤とした世界を表すために「メタバース」という言葉を使い始めたのだ。

例えば、オークション大手サザビーズは、フェイスブックが社名変更を発表する前に、NFT向けの「サザビーズ・メタバース」ブランドを立ち上げて、そのような方向に動いていた。

VRは、ブロックチェーンを中心としたメタバース議論の一部ではなかったのだが、そのような議論が、フェイスブックがVRのリブランディングにおいてブロックチェーンの影響力を取り入れる役に立った。

フェイスブックはすでに1度、このような取り組みをしていた。完全に失敗に終わった旧称リブラという、「暗号資産」(ザッカーバーグ氏がこの言葉で何を意味していたのかは分からないが)を目指したものだ。

あまりにも馬鹿げた思いつきで、しっかりと考え抜かれていなかったため、リーダーのデイビッド・マーカス氏は、米議会でこのアイディアにまつわる明らかな問題について詰問された時、準備ができていなかっただけではなく、本当に驚いたように見えたほどだ。

だからこそ、ブロックチェーンや暗号資産の関係者たちは、「メタバース」の実権を握る戦いをめぐるナラティブを、フェイスブックによる中央集権型企業VRの世界と、ディセントラランド(Decentraland)やイーサリアムなどが支える、より根本的に分散化したオープンなバージョンの間の競争と考えているのだ。

「基本的には、魅力的なメタバース作りを巡るイーサリアム vs フェイスブックの競争、ということになる。

開放型 vs 閉鎖型
透明 vs 不透明
非許可型 vs 許可型
コミュニティー所有 vs ザッカーバーグ所有

私はどちらに賭けるか決めた。一緒により良い未来を築いていこう」

この戦いにフェイスブックが勝てば、ウェブ2.0が抱えるのとまったく同じ問題を繰り返すことになる。1つの企業がバックエンドインフラ、とりわけデータ収集を支配し、その会社は、フロントエンドのエクスペリエンスを改善したり、革新するように圧力を受けないことになるのだ。

最近、Facebook.comのページを覗いてみただろうか?一般的なウォルマートの実店舗と同じくらいに騒がしく、気が散ってしまい、不快で不便なものだ。

ソーシャル動画とリブラプロジェクトにおける、無能で、詐欺的ともされるフェイスブックの取り組みは、現在「メタバース」プロジェクトに何百万ドルもの資金を注ぎ込んでいる企業にとって、耳をつんざくばかりの警告音となるべきだ。

フェイスブックの「メタ」へのリブランディングは、完全に自己本位のもので、ヘッドセットを売り、騙されやすい投資家を欺くためだ。ユーザーのことなんて気にしていないし、自社プラットフォームに依存している企業についても、同じくらい気にしていない。

最新の流行語とされた言葉に従順に従って進んでいく企業は、完全なコントロールの欠如、より強力な存在への完全な服従、そして上手くいくかの保証は皆無という状態を報いとして受けることになる。ザッカーバーグ氏に足元をすくわれても、自分以外に責める人はいない。彼はそういう人間なのだから。

|翻訳・編集:山口晶子、佐藤茂
|画像:rafapress / Shutterstock.com
|原文:Facebook, Walmart and How Companies Shouldn’t Set Up in the Metaverse