ここひと月ほど、ウェブ3には強い関心が寄せられ、熱い議論が繰り広げられている。より分散化した第3バージョンのインターネットという考えは、まったく新しいものだと感じている人もいるかもしれない。
しかし実際には、「ウェブ3.0」は、グーグルやフェイスブックなどの巨大インターネットプラットフォームの支配によって作り出された社会的、文化的、そして政治的歪(ひず)みと、ウェブ2.0のデータ中心的な経済の負の影響をめぐる、20年におよぶ議論の一環である。
イーサリアムとポルカドットの共同創業者ギャビン・ウッド(Gavin Wood)氏が2014年にブログで先陣を切った、暗号資産(仮想通貨)をベースとした最新のウェブ3にもはるかに先立つものだ。
ウェブ3をめぐる白熱した議論の両陣営とも、妥当な見解を持っている。
ウェブ3プロジェクトは真の価値を生み出しているという、ベンチャーキャピタル大手アンドリーセン・ホロウィッツ(Andreessen Horowitz/a16z)のクリス・ディクソン(Chris Dixon)氏のような考えもあれば、ウェブ3という言葉は、ベンチャーキャピタリストが株やトークンへの投資を吊り上げるために利用している流行語に過ぎないとする、元ツイッターCEOジャック・ドーシー(Jack Dorsey)氏のような立場もある。
スマートな人たちが、ウェブ2.0からの脱却について長年検討してきたという事実は、ウェブ3プロジェクトの目指すところは価値あるものであり、成功すれば、一般市民に対するメリットと、ビジネス上の見返りがあることを示唆している。
一方、ウェブ3をめぐる議論の長い歴史は、非常に大きな問題を解決することは困難であり、投資家は壮大な約束を鵜呑みにしない方が賢明であるということを、改めて思い出させてくれるものでもある。
ウェブ3をめぐる相反する2つの立場についてどう考えているかは脇に置いておき、ウェブ2.0が抱える中核的な構造上の問題、そこに変化をもたらす必要がある理由に重点を置くことが大切だ。
そうすることで、ウェブ3の前進を熱望するような抜本的な問題が見えてくるだろう。それは、インターネットを支配する巨大企業の利害と、一般市民の利害とのずれだ。
ブロックチェーンテクノロジーは、その解決に役立つが、解決策の唯一の部分でもなければ、最も重要な部分でもない。様々なテクノロジー(分散型および中央集権型)、規制、経済的原理を組み合わせて、企業と一般市民の対立する利害をひとつにまとめるビジネスモデルを実現する必要がある。
しかしまず、なぜこのような現状になっているのかを理解するために、ウェブ3の長い歴史を紐解いてみよう。
ウェブ3とは「ウェブ2.0ではない」ということ
ウェブ3とは概念的に、社会はウェブ2.0とそれがもたらす独占の問題から逃れる必要があるという考えとは切っても切れないものだ。長年にわたってウェブ3とは単に、「ウェブ2.0後のモデル」を意味するものであった。
有名なテックメディア実業家ティム・オライリー(Tim O’Reilly)氏による最近のコラムによると、「ウェブの父」とも呼ばれるコンピューター技術者ティム・バーナーズ=リー(Tim Berners-Lee)氏は2006年、このようなアップグレードの必要性を示唆した。
彼は、長年抱いてきた新しい「セマンティック・ウェブ」というビジョンを説明するのに「ウェブ3.0」という言葉を使ったのだ。バーナーズ=リー氏は、普遍的なデータフォーマットと人工知能の進化によって、第三者による仲介の必要がなくなり、真に「マシーンからマシーンへの」コミュニケーションネットワークが実現すると考えた。
バーナーズ=リー氏が本当に「ウェブ3.0」という言葉の名付け親なのかは、はっきりとしない。(オライリー氏のコラムでもリンクが貼られている2006年のニューヨーク・タイムズの記事では、バーナーズ=リー氏による「多くの人がウェブ3.0とは何なのかと尋ねている」との発言が引用されており、彼以前に別の人がこの言葉を使い始めた可能性を示唆している)
逆にはっきりしているのは、オライリー氏が「ウェブ2.0」という言葉の名付け親であること。2004年にはそれに関するカンファレンスを開催し、2005年には影響力のある記事で説明を行なっていた。
2004年までには、90年代後半のドットコムバブルを生き抜いたグーグル、フェイスブック、アマゾンが、成長を続ける価値のあるコミュニティに関して市場で巨大なパワーを集約していることはよく知られていた。
オライリー氏は、そのような企業の支配を可能にした、ネットワーク効果主導の新しいビジネスモデルに名前を与えたのだ。このようなプラットフォームの成長は、さらにユーザーを引き寄せ、広告主にとっては魅力的なものとなり、プラットフォームの巨大ユーザーベースは常に拡大を続けていた。
このようなパワフルな仲介業者の台頭は、オンラインでのコンテンツ提供者と情報の使い手が、お互いに直接的で非許可型のアクセスを持つことになるはずの、当初の分散型インターネットというアイディアとは著しい対照をなしていた。
このようなシステムが、社会的に有害なものであるということ、プラットフォームの成功の源、つまり、前例のないほどの大量のユーザーデータを集めて、それを広告主やその他の買い手のためにまとめ上げる能力が、「監視資本主義」」へと進化していくということは、大半の人がすぐに見抜けるようことではなかった。
私たちがこれら少数のプラットフォームが情報に対して持つ、抑制されないコントロールに依存するようになり、何を閲覧し、どんなものをクリックするかという情報へのアクセスを受け渡すことで、自ら認識もしないうちに監視され、エコーチェンバーのグループへと囲い入れられ、ターゲット広告や偽情報によって操作されることなど、私たちは予測できなかったのだ。
これが、私の言うところの利害のずれたビジネスモデルということで、サービスを提供する相手であるはずの顧客ではなく、企業のオーナーや情報の発信源の人たちのためになるものとなってしまっている。社会が情報を分配する在り方としては、非常に機能不全な状態であり、未来のウェブはこの問題を解決しようと待ちわびている。
「ウェブ3.0」がウェブ3になる
ギャビン・ウッド氏による2014年のブログ記事が投稿される頃には、私たちの陥っていた厄介な事態はよりはっきりとしていた。それに対する新しい見方も生まれていた。
ブロックチェーンテクノロジー支持者たちは、中央集権化されたインターネットの問題を解決するための方法としてだけではなく、それらの問題を表現する新しい方法としても、ブロックチェーンテクノロジーを位置付けていた。
当時イーサリアムを共同で立ち上げていたウッド氏は、「信頼」というブロックチェーン中心的なコンセプトに重点を置くことで、分散化の非効率性が中央集権型の独占に扉を開き、ウェブ2.0の根本的問題を押し進めていったという一般的な経済理論から、私たちの視線を別に向けさせたのだ。
ウェブ2.0の根本的問題とは、分散化されたコミュニティ間の不信感によって、人々は中央集権型組織を信頼して、互いのお金や価値ある情報のやり取りを調整してもらうようになるというものだ。銀行や通貨に関して常に正しかったことが、もう1つの価値あるコモディティ、データのやり取りの領域でも見られるようになった。
次なるステップは、イーサリアムといったブロックチェーンが、グーグルなどの中央集権型組織への信頼に取って代わることで、オープンプロトコルや分散型バリデーターネットワークを通じて取引を追跡するための、検証可能な「真の」手段という代替オプションを提供できると仮定することだった。
それが実現できれば、独占的なプラットフォームを、データシェアリングの分散型コミュニティで置き換えることができる、と考えられた。そのようなコミュニティのお金や情報の取引にはアプリケーションが対応するが、「自己主権型アイデンティティ」という考えにしたがって、そのような価値ある個人情報のコントロール権は各ユーザー個人のみにあるという、ビジネスモデルが生まれるはずなのだ。
ウッド氏はそのような考えに非常に重きを置いており、イーサリアムを去った後、パリティ・ラボ(Parity Labs)での取り組みを、このようなインターネットを是正するための巨大な目標に捧げた。そして2017年、ウェブ3ファウンデーション(Web3 Foundation)を立ち上げることで、ウェブ3.0をウェブ3へと実質的にリブランディングすることとなったのだ。
架け橋を築く
それから4年後、ウェブ3がほとんど誰でも知っているお馴染みの言葉となり、NFT(ノン・ファンジブル・トークン)などの暗号資産プロダクトと主に関連づけられる中、私たちはそのような目標を達成しているだろうか?
結論はまだ出ていない。分析のために、ウェブ3業界は本当の機能性よりも、ベンチャーキャピタルの利益のためにあると主張したジャック・ドーシー氏のような、批判ツイッターを見てみると良いだろう。
イーサリアムのトラストレスな(信頼できる仲介業者を必要としない)「スマートコントラクト」が、ツイッターユーザーが信頼する必要のあるツイッターでの「社会契約」よりも優れていると主張する起業家バラジ・スリニヴァサン(Balaji Srinivasan)氏のようなツイートもある。
ウェブ3は、暗号資産ファンたちが考えるよりもはるかに実現困難だと主張する、オープンソーステクノロジーを手がけるシグナル(Signal)の創業者モクシー・マーリンスパイク(Moxie Marlinspike)氏のような見方もある。
マーリンスパイク氏はその理由を、自身のウェブサーバーを運営するコストと手間のせいで、人々は自然とより効率的な中央集権型プラットフォームへとコントロールを委譲することになるからだと考えている。
それに対して、ビットコインの元中核的開発者、マイク・ハーン(Mike Hearn)氏は、完全性を維持し、中央集権型サーバーへの依存を回避しながら情報を処理することのできる負荷の軽いユーザー管理型ソフトウェアの例として、ビットコインのSPV(簡略化された支払い検証)ウォレットを挙げた。
どの立場も、もっともな点を突いている。そして確かなことが1つある。現状を打破するには、まだまだ道のりは長いということだ。
ブロックチェーンの「トラストレス」な交換モデルは、解決策の一部かもしれない。集団的行動の力が、中央集権型プラットフォームの持つネットワーク効果による優位に打ち勝つ可能性のある、自律分散型組織(DAO)の台頭も同様に、解決策の1つになるかもしれない。
しかし、もっと多くが必要だ。オライリー氏がより最近の記事で主張した通り、ウェブ3が「理想主義」を超えて「分散型信頼のための一般的なシステム」となるには、「実世界の法律システムや現在機能している経済との堅固なインターフェイスを開発する必要がある」のだ。
有難いことに、そのような架け橋を構築している人たちがいる。需要がその動きを加速させるだろう。メインストリームの弁護士が管理するようなメディア企業が、NFTやメタバース業界に進出することで、そのように標準化する機能の開発が求められるようになるだろう。
それでも、オライリー氏が言う通り、ブロックチェーンや暗号資産は単独の解決策ではない。より多くの要素が必要だ。
本来の目標を見失わないようにしよう。人類全体のために、私たちはウェブ2.0の泥沼からの脱出方法を必要としている。ウェブ3開発者のみなさん、努力を続けて欲しい。
|翻訳・編集:山口晶子、佐藤茂
|画像:Shutterstock
|原文:Web 3 Is a Long Fight Worth Fighting