2007年にシアトルでラナ・デル・レイのコンサートに行った時のことについて、語るのを止めない友達がいる。それも当然だ。その数年後、私がラナの音楽を聴き始めると、その友達は誰よりも先に自分が彼女を見つけたことについて、常に釘を刺してくるようになった。繰り返しになるが、それも当然だ。
しかし、その友達にとっては残念なことに、褒め言葉を受ける以外、彼がこの人気アーティストをいち早く見つけ出したことから、価値を得ることはできないのだ。
そんな事態が、変わろうとしている。
アーティスト早期発掘の価値
ラナが2007年に、クリエータートークンを持っていたとしよう。ブロックチェーンテクノロジーが当時すでに利用可能だったとして、$LANAという架空のティッカーを使うことにする。そして$LANAは、ラリー(Rally)のようなクリエータープラットフォームに登録されていたとする。
私の友達が$LANAに投資していたら、本当に初期のラナファンであったことを示す決め手となる。コンサートに行っただけではなく、アーティストに身銭を切って投資していれば、ファンであることを示す決定的な証拠となるのだ。
$LANAに投資することなく、コンサートに行っただけならば、初期からのファンであるという主張の説得力は薄くなる。しかし実際にお金を注ぎ込んだならば、本当に初期からのファンであったということが、ブロックチェーンに変更不可能な形で記録されるのだ。
アーティストの早期発掘には価値があるが、それを金銭的価値に転換することはなおざりにされてきており、その価値はまだ捉えられていない。メインストリームに普及し、素晴らしいと認定される前から何かを知っていたという事実は、確かにある程度良い気持ちにしてくれるのは事実だが。
これは、ミュージシャンに限った話ではない。クリエータートークンは、あらゆるコンテンツのクリエーターに使える。
私は『Red Scare』というポッドキャストをフォローしており、プラットフォームのPatreonには毎月5ドルを支払っている。その5ドルはクリエーター(ポッドキャストのホスト)とプラットフォーム(Patreon)で公平に分割されている。
1万2000人強のフォロワーは、エンゲージメントやソーシャルメディアでの投稿、そして毎月の金銭的投資を通じて、同ポッドキャストの成長に大きな影響を与えているが、ポッドキャストに対する所有権はゼロだ。
これは本当に残念なことだ。ファンはほぼ間違いなく、配信に使っているプラットフォームよりもクリエーターを好んでいるからだ。仲介業者を好きな人なんていない。
レコード会社を絶賛するミュージシャンや、インスタグラムの素晴らしさをはっきりと口にするソーシャルメディアインフルエンサーなんて思いつかない。もしそんな人がいるとしたら、おそらく最近名声を手にしたばかりで、お金に目が眩んでいるからだが、仲介業者を排除することは、クリエーターにとっても、ファンにとっても最良のシナリオだ、というのが現実である。
『Red Scare』のホスト2人が、独自の実用性を備えたソーシャルトークやNFTコレクションを作れば、リスナーに対して、そのポッドキャストの一部を保有するチャンスを与えることができる。
『Red Scare』が成長を続け、ホストがもっと有名になれば、ファンの投資も同じように成長することになる。ホストの1人はコメディー番組に出演し、ポッドキャストやインスタグラムのフォロワーは増えたが、それは、ファンにとって価値を生み出すことにはならない。
クリエーターに対するインセンティブ
クリエーターには何の得になるんだ?と疑問に思っている人もいるかもしれない。彼らはより収入が増え、ファンと直接関わり合うことができるようになり、検閲を恐れずにコンテンツからより収益を上げることができるようになる。繰り返しになるが、仲介業者が好きな人なんていない。
クリエータートークンが、暗号資産ネイティブの人たちにとって奇抜なものに見えるのが、私には不思議だ。
私は分散型取引所dYdXの創業者兼CEOアントニオ・ジュリアーノ(Antonio Juliano)氏から電話で、「教えて欲しいことがある」と言われた。そこで私は、冒頭に挙げた友達の話をし、ソーシャルトークンは「ファンの証」や「体験の証」を生むための解決策となるかもしれない、と語った。
暗号資産業界の人たちは、社会の一般的な人たちの多くが金融上の知識をそれほど持たず、ビットコインデリバティブなんてものに決して興味を持たないのに、DeFiプロトコルや分散型取引所を大衆に普及させようとしている。一般人は、音楽やリアリティー番組なら理解できる。そこに、暗号資産の出番があるのだ。
ソーシャルトークンが他の暗号資産コンセプトよりも親しみやすい理由は、現実に直接的なつながりがあるからだ。アーティストはトークンに裏づけられたデジタルアイテムを出品し、ファンに購入を呼びかけるだけで良い。
理論的には、普通の人にソラナ(Solana)の流動性プールに投資してもらうことの方が、お気に入りのアーティストのソーシャルトークンを買ってもらうよりも困難だ。
後者は、確かにまったく新しいコンセプトではあるが、ウェブ3への心地良い結びつきを生み出し、親しみやすい玄関口となってくれる。前者の方がおそらく収益性は高いかもしれないが、複雑過ぎて理解できず、一般市民にとっては、参入へのハードルとなっている。
ウェブ3の世界の人たちが、ウェブ3についてワクワクし、メインストリームへの普及がすぐにでも実現することに希望を抱いているのは知っているが、ウェブ3は、メインストリームに普及するには退屈過ぎるというのが現実だ。
暗号資産コミュニティには、楽しさが欠けている。ミームは、内輪の人にしか分からないジョークのようだ。ソーシャルトークンは、ファンが好きなアーティストの知名度や名声の一部を保有できることを知らなくても、即座に興味をそそり、エキサイティングな要素を加えてくれるから、大切なのだ。
クリエーターを金融の世界に巻き込み、感情に金銭的価値をつけることは、非常にディストピア的で奇妙に感じられるかもしれないが、避けられないものだ。私は、自分が好きで信じられる人に投資したい。
誰よりも早くラナを見つけた友達に言いたい。「私は君のことが好きだが、君の体験は、ブロックチェーンに記録され、トークンで裏づけられていない限り、何の価値もないのだ」と。
アジズ・アランガリ(Aziz Alangari)氏は、PR企業Wachsmanのマーケティング担当者である。
|翻訳・編集:山口晶子、佐藤茂
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|原文:The Financialization of Fandom