今から数年が過ぎ、暗号資産(仮想通貨)がグローバルエコノミーの一部となっていった軌跡を振り返った時には、今が重大な転換点と捉えられるかもしれない。
まず、攻撃にさらされるウクライナ政府が、世界中からの寄付で武器調達のための資金をクラウドファンディングするという前例のない事態が起こった。
これは、ピアツーピアでの送金をグローバルに行える暗号資産の力だけでなく、自律分散型組織(DAO)やその他の暗号資産コミュニティによる分散型の行動が、迅速に結集する力も示すことになったのだ。
同時に、国際送金・決済システムのSWIFT(国際銀行間通信協会)からロシアの銀行を排除すると各国がすばやく決断したことは、暗号資産が取って代わろうとしている現行の国際金融システムが、いかに管理されているかを短期集中で教えてくれる教訓ともなったのだ。
さらに重要なことに、人々は暗号資産の価値提案、そして暗号資産を受け入れることが何を意味するのかを考えざるを得なくなった。
暗号資産は金融の自由を要としている。常に、自由を中心としてきたのだ。しかし今になって、人々がそのことを理解するのに役立つ厳しい事態が展開している。
これによって人々が、定着しているパラダイムを変える暗号資産の力を認識するだけでなく、暗号資産が既存の優先順位や想定に対して突きつける難題を、一段と開かれた心で見てくれるようになることを、私は願っている。
自由という原則を曲げない取引所
これらの問題は、クラーケンやバイナンスなどの暗号資産取引所が、すべてのロシア人アカウントへの送金を無差別で停止するようにとのウクライナからの要請を拒否したことによって、スポットライトを浴びた。
ヒラリー・クリントン元米国務長官は、「いわゆる暗号資産取引所」が「リバタリアニズムだか何だかの主義主張のために、ロシアとの取引を停止することを拒否」しているのには「落胆させられた」と語った。
この発言は、もっともなように聞こえるかもしれない。今回の戦争において、2国間のどちらに非があるかというのは、極めて明白だ。それなら、ウクライナのビットコイン(BTC)とイーサ(ETH)アドレスに寄付が流れ込み続けるようにする一方で、ロシアとの取引は停止したらどうか?そのことが、なぜそんなに間違っているのだろうか?
問題なのは、ロシアの中央銀行の資産凍結や、制裁の対象となっているプーチン大統領を支えるオリガルヒ(新興財閥)のヨットを没収することだけでは済まないという点だ。
ロシア人の暗号資産アカウントを全面停止するということは、何百万人もの一般市民を排除するということで、その多くは現在、制裁によるパニックでATMからは現金が消え、ルーブルの価値が急落する中で、必死にお金を求めているのだ。
アカウントが停止される人たちの中で、誰がこの戦争を支持しているかを見極める方法なんて存在しない。モスクワで反戦デモに参加し逮捕された数千の勇気ある市民だけでなく、戦争反対の思いはロシアに根深く根差していると、多くの証言が聞こえてくる。
ロシア当局がビットコインに冷たい立場をとっていることを考えれば、ロシア国内のプーチン大統領の取り巻きたちが熱心な暗号資産ユーザーであるとは考えにくい。
一方、業界団体ブロックチェーン・アソシエーションのジェイク・チェルビンスキー(Jake Chervinsky)氏をはじめとする人たちが指摘した通り、ロシア政府が意義のある形で制裁を回避するのに暗号資産を使うのは、ほぼ不可能であると考える理由は、たくさんある。
暗号資産の存在理由は、外部からの干渉なしに人々が自由に使える価値の保管手段、交換の手段となることだ。どんな理由であれ、それが妨げられた瞬間、より高次元の意義が失われてしまうのだ。
確かに、ビットコインユーザーが法定通貨の売買のために、セルフカストディ型のウォレットから、クラーケンやバイナンスなどの中央集権型カストディ取引所へと資金を移動させる時には、暗号資産の自由の精神が基盤としている自律を放棄してしまうことになる。
しかし、とりわけ成功している暗号資産取引所は信頼されている。なぜなら、自由の精神を大切にする彼らは、価値観の上でも、経済的観点からも、そして被信託者としても、その精神を信じる顧客たちと足並みを揃えているからだ。(さらに、そこから反れてしまった時には、厳しく非難される)取引所が、ユーザーに対して原則に基づいた姿勢を一貫していることは、認識され、支持されるべきである。
取引の自由はあらゆる権利の根源
ところで、私自身が暗号資産を支持するのは、ヒラリー・クリントン氏が言ったような「リバタリアニズムだか何だかの主義主張」に基づくものではない。匿名のウェブ3の思想的指導者6259が述べたように、「取引する自由無くしては、他の憲法上の権利は実質上実現しない」という現実に根付いているのだ。
政府が言論の自由を支持すると明言するのは結構だが、国民がコンピューターやインターネット接続の料金を支払うために資金を獲得したり、送金したりすることを妨げるとしたら、実質的には、言論の自由という権利を認めないことと同じだという意味である。
前述の発言が含まれる、幅広く引用されている6529のツイートスレッドは、デモ関係者への暗号資産送金を制限することを取引所に強いたカナダ政府の措置への反応だった。
ウクライナでの惨状から何かプラスのものが生まれると考えるのは困難だ。しかし、もしそんなものがあるとしたら、それはロシアの卑劣な行為が、欧米諸国において、私たちが享受する自由への情熱を回復させ、それを守るために私たちは戦わなければならないという認識が生まれたことかもしれない。
金融の自由を推進し、保護する必要性に関する認識も、新たに生まれてくれることを願う。
|翻訳・編集:山口晶子、佐藤茂
|画像:Shutterstock
|原文:If Ever There Were a Time for Financial Freedom, It’s Now