イーサリアムの生みの親ヴィタリック・ブテリン氏は1日、「ビットコイン・マキシマリズム(ビットコインが最上な暗号資産であり、他のコインは必要ないとするビットコイン史上主義)」を擁護するような、説得力を持った詳細な記事をブログに投稿した。
この手記はおおむね真面目なものだったが、エイプリル・フールに投稿されたとあって、ブテリン氏の本当の意図については、様々な憶測が飛び交った。
イーサリアム批判
マキシマリストたちは、ビットコイン(BTC)そのものに対する変更に反対しつつ、より複雑なブロックチェーンシステムには、致命的な欠陥が不可避的に内在していると主張。
ブテリン氏がマキシマリストを称えたことが衝撃的なのは、マキシマリストの最も一貫した批判の対象がイーサリアム(ETH)であるからだ。批判の理由は主に、スマートコントラクト機能という複雑性がもたらす、脆弱性だ。
ブテリン氏は手記の中で、自らが生み出したシステムに対するこのような批判に頻繁に同意。開発者向けの通貨を生み出すというイーサリアムの提案も批判している。その非難の矛先は、道徳的に疑問のあるビジネスや、政治の世界のリーダーたちと会談する自らの傾向にさえも向けられている。
「このような人たちの中には、(中略)ヴィタリックが支持しないような深刻な人権侵害に積極的に関わっている人もいる」と、ブテリン氏は語り、「この人たちがお互い、地政学的にどれほど険悪な関係にあるのか、ヴィタリックは認識できていないのだろうか?」と自問する。
釣り目的の皮肉な発言と片付けてしまうのは簡単だが、ブテリン氏はどうやら、エイプリル・フールを隠れ蓑に、マキシマリズムをめぐる議論の微妙で複雑な性質を、浮き彫りにしようとしているのだ。
イーサリアムに対するブテリン氏の「攻撃」は、暗号資産(仮想通貨)エコシステムは多くの異なるアプローチを内包するものだと主張するためと解釈するのが最善だろう。
ブテリン氏は、多くのイーサリアムファンを含む「『ブロックチェーン』チーム」を、「『通貨や資本主義を超えていく』という主張で善人アピールをしたり、趣味としての『分散型ガバナンス実験』にワクワクせずにはいられない、富裕国の特権階級の人たち」と形容。
一方で、「『ビットコイン』チーム」は、「自由で自立した通貨というツールを使って、現代を生きる人たちに本当の価値をもたらしている、(中略)リッチな人と貧しい人から成る非常に多様なグループ」だと表現している。
ブテリン氏自身、分散型ガバナンスを有益なイノベーションであると支持しているため、この表現はある程度皮肉を含んだもののように思われる。しかしブテリン氏は、ビットコインを改善させてイーサリアムを作ろうと取り組む前には、何年もビットコインに夢中であったことを忘れてはならない。
複雑さと分散化のバランス
ブテリン氏は、今回の手記の要点について、完全に本気であるようだ。ブロックチェーンの多様なアイディアの中でも、ビットコインコミュニティが見せる慎重さへのコミットメントと、必死にビットコインを守ろうとする意欲は、とりわけ価値あるものだと、ブテリン氏は主張。
イーサリアムマイナーがユーザーにフロントランニング(ユーザーの取引が成立する前に、より有利な価格で取引する攻撃)を仕掛ることや、開発資金への課税提案などの例を挙げてブテリン氏が詳細に説明している通り、イーサリアムのようなシステムの機能の豊富さには、予測可能性と耐久性に対するリスクが内在しているのだ。
究極的には、複雑な機能がシステムの分散化を脅かしたり、弱体化させ、攻撃に脆弱なものにしてしまうというのが、大きなリスクだ。さらに多くのマネーが暗号資産業界に流れ込み、暗号資産の中核的な前提を弱めてしまうような「イノベーション」に基づいた短期的な利益を奨励する中、マキシマリズムは価値ある防衛でもあると、ブテリン氏は主張する。
「全体に及ぼす影響というのは本物だ」とブテリン氏は語り、「非常に複雑でリスクの高い分散型アプリケーションのエコシステムを、その複雑性が何らかの形で仇にならないような形で通貨が『実現』することは不可能なのだ。ビットコインは、安全な選択をしている」と説明した。
「ただ通貨である」ビットコイン
ブテリン氏の言う「安全な選択」とは、ビットコインの通貨としての価値提案を弱めてしまうような二次的な機能を導入する代わりに、「ただ通貨であること」に専念するというものだ。
「ビットコインはただ通貨であることによって、『競合に遅れない』ためや、『開発者たちのニーズに応える』ために、機能を追加し続けるように中核的開発者たちにプレッシャーがかかることを回避する」と、ブテリン氏は主張。
マキシマリストの「毒々しさ」のおかげで、「革新をもたらせ」という絶え間ないプレッシャーを押しのけることができ、新しいリスクがもたらされないで済んでいると、ブテリン氏は考えているのだ。
ブテリン氏自身はこの点に言及してはいないが、この「ただ単に通貨である」という精神は、暗号資産分野におけるより急進的な実験を金銭的に支えることで、暗号資産エコシステム全体にも恩恵をもたらしている。
ビットコインがテラ(LUNA)などの他のトークンの担保として機能するなど、非常に直接的な恩恵をもたらすこともあるが、最近ではチェーンを超えてコインを橋渡しする「ブリッジ」という機能の安全性に疑問が生じる事件も起こっており、このような役割は脅かされるかもしれない。
ブテリン氏の巧みな文章は、曖昧な遊び心を含んだままの形で受け取るのが最善だろう。それなのに、その論旨をはっきりとさせるために、私自身の考え方を反映させて、自分なりに解釈してしまったことは認める。
しかし少し目を凝らせば、ブテリン氏の主張のより大きなポイントが、あなたにも見えてくるかもしれない。ビットコインが勝てば、全員が恩恵を受けるということだ。身近にいる、毒々しいマキシマリストに感謝しておこう。
|翻訳・編集:山口晶子、佐藤茂
|画像:ヴィタリック・ブテリン氏(CoinDesk)
|原文:Ethereum Founder Vitalik Buterin Praises ‘Bitcoin Maximalism’ (Maybe)