イーサリアム開発の暴露本『The Cryptopians』は、クリプト界の教科書か【コラム】

先月発売された『The Cryptopians』は、イーサリアムの開発・立ち上げに伴う舞台裏での確執を暴露して、話題となった。しかし、暗号資産(仮想通貨)についての報道やポッドキャストに長年携わってきたローラ・シン(Laura Shin)氏による同書は、内輪のもめごとの暴露以上に、多くの有益な情報をもたらしてくれる。

これまでにジャーナリストが書いた暗号資産に関する本の中では、最高の出来かもしれない。

同様に素晴らしく、おそらくより力強く書かれている『Kings of Crypto』の著者ジェフ・ロバーツ(Jeff Roberts)氏には申し訳ないが、シン氏の本に登場する型破りな人物たちは、(暗号資産取引所コインベースのCEO)ブライアン・アームストロング氏のような企業人よりも、興味を引く存在であるため、シン氏の本が僅差で勝っている。

さらに同書は、控えめな文体で書かれているが、そのことは、シン氏の見事なジャーナリストとしての手腕を引き立てている。イーサリアムの初期について、衝撃的かつ興味深い驚きの新事実を多く暴いているため、凝った文体によって飾り立てる必要などないのだ。

今のところそのような詳細なストーリーは主に、暗号資産関係者や、特定の人物や組織への洞察を深めたいと考えるビジネスマンたちの興味をそそるものであるということは指摘しておくべきだろう。

同書はまた、多くの暗号資産プロジェクトが目指す、緩やかで民主的なスタイルに沿って構成されたプロジェクト運営にまつわる現実を知るための、深みのあるガイドにもなってくれる。

イーサリアムとは何か、何ができて、なぜ重要であるのかについて、実用的な紹介もしているが、この本の要点はそこにはない。暗号資産を知り始めたばかりの人たちはおそらく、別のところをあたった方が良いだろう。

一方、基礎知識を持った人にとっては、この本は豊富な実世界の例を通じて、イーサリアムやブロックチェーンに関する技術的理解を深めてくれる存在となるはずだ。

シン氏の細部へのこだわりは目を見張るもので、ある出来事を語るために、特定のアドレス間の取引の膨大なリストを含めたりしているのだ。「The DAO」ハッキング事件で盗まれたコイン、ユーザーが誤ってコードライブラリを削除したために失われたパリティ(Parity)の資産を取り戻そうとする取り組みなど、特に難解なトピックに関するシン氏の説明は、基本的な知識を、真の理解へと高める役に立つだろう。

この本は時に、ほんの少し長ったらしく感じられることもあるので、とりわけ細かいセクションのいくつかを、私は読み飛ばした。しかし、そのような詳細な記述のおかげで、『The Cryptopians』は数年、あるいは数十年にわたって、重要な参考書となるはずだ。

人間模様

イーサリアムのコンセプトを発表した後、ヴィタリック・ブテリン氏のもとに集まったチームは確かに、大仕事を成し遂げはしたが、明らかに変わった人たちの集まりでもあった。シン氏は、イーサリアムの共同創業者全員に関して、豊富で絶妙な描写をしている。

まずは、アミール・チェトリット(Amir Chetrit)氏。他のメンバーから、十分な働きをしていないと思われたため、早々とチームを去っていった。そしてもう1人早めにいなくなったのが、アンソニー・ディ・イオリオ(Anthony Di Iorio)氏。他のメンバーたちからは、利益とコントロールにこだわり過ぎると思われていたようだ。

彼らと対極にいるのが、ジョセフ・ルービン(Joseph Lubin)氏と、ヴィタリック・ブテリン氏。一貫して思慮深く冷静な人物として描かれており、イーサリアム共同創業者の中で、今でも親しいままであるのも、この2人だけのようだ。

しかし、シン氏の取材に最もよく応じていたのもこの2人であったようだ。この本に登場するとりわけ痛烈な人物描写の一部は、直接引用されていない場合でも、ブテリン氏から来ているようである。

それでもシン氏は明らかに、人に影響されずに考えられる人であり、ルービン氏やブテリン氏を標的にすることもためらわない。ただ単に、隠し事の少ない人の方が、複雑な嘘や欺瞞のしがらみに囚われた人よりも、自分のナラティブを自分で定義する力を持つだけのことだ。

『The Cryptonians』では、カルダノを手がけるIOHKのCEOで、カルダノとイーサリアムの創業者であるチャールズ・ホスキンソン(Charles Hosukinson)氏に対する、暗号資産コミュニティで長年続く嫌悪感に、多くのページを割いている。

ホスキンソン氏は、チェトリット氏と同じ時に、イーサリアムの創業者チームから追い出された。彼は、驚くような大胆さを持った嘘つき、かつ人を操る名人として描かれており、反社会的人格障害者と紙一重だ。

彼の嘘には、学歴にまつわる虚偽の主張や、ルービン氏を含めたシン氏の情報源によれば、ビットコインの生みの親サトシ・ナカモトであるという主張も含まれる。暗号資産の世界では、それほど大きな罪はない。

(ちなみに私も、ホスキンソン氏にまつわる不快な経験をしている。2018年に彼の引き起こした様々な対立に重点を当てたインタビュー記事を私が執筆した後、ホスキンソン氏は暗号資産コミュニティに対して、私は悪質なジャーナリストであり、私と関わらないようにと警告する長い動画をユーチューブにアップしたのだ。

ホスキンソン氏に攻撃されたことは、私のキャリアにプラスの影響をもたらした。強くお勧めしたい経験だ)

『The Cryptopians』には、2人目の悪役のような人物も登場する。イーサリアム財団の元トップ、ミン・チャン(Ming Chan)氏である。彼女の尊大な利己心や、感情の不安定さ、権力を手に入れるための策略とも思われるやり方が、詳細に記されている。この本の中でも最も緊迫したシーンのいくつかは、イーサリアム財団が万策尽き果てて、彼女を交代させる場面にある。

シン氏はこのようなクレイジーな逸話を、細部への徹底的なこだわりを持って、感情を排したトーンで記述するという、一見直感に反するが、明らかに正しい決断をしている。(私のような)劣ったライターであれば、滑稽な人物たちの恥ずかしい行いを本全体に散りばめ、彼らを手当たり次第に批判せずにはいられなかったはずだ。

私のお気に入りの例は、本の後半に登場する。ルービン氏が創業したコンセンシス(ConsenSys)が、2017年から2018年の暗号資産ブームのピーク時に、小惑星採掘企業プラネタリー・リソーシズ(Planetary Resources)を買収した時の話だ。ルービン氏は当時、「深宇宙に関する能力」が、自らの暗号資産企業にどれほど大切かを力説する滑稽な声明を発表した。

それでも、美味しいお菓子を拒否できる長距離アスリートのような自制心を持ったシン氏は、特に自らコメントせずに、自明のバカらしさを淡々と記述するだけであった。

常に人が大切

シン氏によれば、ミン氏とホスキンソン氏のイーサリアムに対する悪影響はかなりわずかなもので、主に心理面での影響であった。ミン氏は時折、妨げになったり、面倒を起こしたりしたが、シン氏の記述によれば、たくさんの大切な仕事も成し遂げた。一方のホスキンソン氏は、実際の開発作業の大部分が始まる前には、チームを離れていた。

しかし、彼らのストーリーや、『The Cryptopians』に描かれた小さな対立や衝突の数々は、より広範な教訓を痛感させてくれる。暗号資産の世界では、「トラストレス」という言葉は、道徳面での自由裁量のように誤って解釈されてしまっている技術用語だ。ブロックチェーンがどうにかして、悪人から守ってくれるから何でもありだ、という雰囲気を生んでいる。それは時に行き過ぎて、犯罪者と分かっている人物がプロジェクトを運営しても大丈夫だという、奇妙な考えにさえ表れている。

しかし本当は、暗号資産の開発や投資においてはおそらく、より形式的、あるいはより伝統的な状況よりも、人がさらに大切なのだ。開かれた指導陣構成は、狡猾な性格の人が不信感を植え付けたり、自らの利害をプロジェクトよりも優先するための、より大きな隙間を生む。開発の分野においては、あまり情報を持たず、欲深い人たちに対して悪いアイディアを売り込み、失敗と詐欺の境目を誤魔化すことがはるかに簡単だ。

MITからもう少しで卒業するところだったと言い張る人物が並べ立てる嘘っぱちを飾り立てる、テクノロジー面での機能はしばしば、意図的に誤解を招こうとするものだ。多くの場合、新規プロジェクトによる技術や金銭関連の主張よりも、そのプロジェクトを支える人々、彼らの過去の行い、現在の動機を理解することの方が大切だ。

ブテリン氏ほど、このことを示すのにぴったりの人物はいない。彼はしばしば、技術やシステムに関する天才と称賛されるが、それほど注目されていないのは、彼の強い道徳的、知的な軸である。

非営利へのこだわり

イーサリアムの歴史において鍵となった対立は、プロジェクトを営利目的にするか、非営利のものにするかをめぐる決断だった。ブテリンはその議論において最も影響力を持った単独の人物であり、彼が非営利の組織にこだわったことが、ディ・イオリオ氏の排除につながった。

ブテリン氏は広く、非営利の仕組みが大切だと考えていた。オープンプロトコルとパブリックインフラという暗号資産界の価値観と一致するからだ。確かに、それが暗号資産全般にとって決定的だというのは言い過ぎだろう。イーサリアムが先駆けた非営利の仕組みは、プロジェクトをより公共心あふれたものにするのに役立ったのと同じくらいに、悪用されてきたのだから。

それより大切なのは、それがブテリン氏という人物について、ひいてはイーサリアムの驚くような成功について何を示唆するかだ。彼が初期に無私無欲な公共心にこだわったことで、イーサリアムはあらゆる型破りな考えをする人たち、お金だけに興味を持たない人たちにとって快適な居場所となったのだ。

さらに、思いもしないおまけもついてきた。寛容さは富を生み出すという結果になったのだ。これは、どんな世界でも当てはまる真理なのだが、とりわけ暗号資産の世界ではなおさらだ。

それは受け入れるのは難しい教訓のようだ。すっかり大人になった人にとってもだ。ビットコイナーが常に「時間選好の低さ」について語っているこの世界において、多くのプロジェクトが極めて短期的な視点しか持っていないというのが現実だ。

詐欺師たちが最も顕著な例だが、スループットのために安全性で妥協してしまうことや、リターンが他の優先事項を押し退けてしまうあらゆるプロジェクトにも同じことが言えるだろう。

そのようなプロジェクトが登場し、限られた利己的な小さな指標を実現したりしなかったりしながら消えていくのを横目に、イーサリアムはまだ存続している。

滅多に認められることはないが、それはブテリン氏が、非常に初期の頃においてさえも、オープンであること、アクセシビリティ、公平性という原理原則にこだわったからだ。さらに、彼は自らの力を理解して、それを利他的な目標のために(彼なりの控えめな形で)誇示することをためらわなかったのは明らかだ。

これは、イーサリアムを始めた時には、アメリカで飲酒できる年齢にも達していなかった人間としては、本当に驚異的な倫理的選択である。彼が話すことのできる言語の多さや、暗号資産エコノミクスやインセンティブのデザインの巧みさよりも、はるかに感動的だ。

私は、歴史の偉人説(歴史は主に、偉人の影響力によって説明できるという歴史学上のアプローチ)のファンではないが、ブテリン氏の場合には、特別扱いしても良いかもしれない。

|翻訳・編集:山口晶子、佐藤茂
|画像:ヴィタリック・ブテリン氏(CoinDesk)
|原文:Ethereum’s Dark Underbelly Shows That Even in Crypto, Trust Matters