Web3の規制で「技術的中立性」が重要だ【オピニオン】

人生で逃れられないのは、死と税金だけだという決まり文句がある。ここに、新しいテクノロジーを加えても良いだろう。人工知能(AI)、メタバース、自動運転車、空飛ぶ車……このようなものが、登場してくるのだ。

政治家たちは、パラダイムシフトにうまく対処したければ、思慮深く、洞察力に富んだ包括的な形でテック規制に取り組むべきだ。しかし、アメリカの議会においてコンセンサスを形成することは困難で、何らかの合意点を見出すのは、ほぼ不可能と言っていい。

さらに困ったことに、テック政策への包括的アプローチというものは通常、何らかの危機によって政治家たちが行動を余儀なくされ、メディアから一斉に非難が寄せられた時に初めて起こる。そのように生まれた法律は、急ごしらえで、あまりよく考えられたものにならないリスクが高いのだ。

ブロックチェーンが支えるWeb3においては、新しい規制の枠組みが必要となってくる領域もあるが、イノベーターや投資家が既存の法律や規制をもとに事を進めることができ、政治家の負担を軽くしてあげられる分野もある。

技術的中立性

そこで、技術的中立性の話をしよう。

Web3やテックイノベーションの文脈において、「技術的中立性」とは次のようなことを意味する。新しいテクノロジーが既存の活動とほぼ同じ活動を可能にする場合、法律では2つの活動を同様に扱うという前提からスタートしよう、というのだ。

言い換えれば、法律は可能な限りテクノロジーに対して中立的で、法的な扱いの差異は、テクノロジーに関連するビジネスやリスクの重要な差異に起因するべきなのだ。

バイデン大統領が署名した暗号資産(仮想通貨)に関する大統領令では、多くのことが未決のままとなっているが、それでも「同じビジネス、同じリスク、同じルール」と宣言することで、このアプローチに暗黙の賛同を示している。

暗号資産コミュニティは、米証券取引委員会(SEC)のアプローチを嫌悪する可能性が高いが、少なくともそれは、私たち皆が理解できる文脈の中に置かれることになる。

Web3や暗号資産の世界では、規制当局もイノベーターも時に、この点を取り違えてきた。例えば、新規コイン公開(ICO)ブームの中、SEC委員長は、目にしてきたすべてのICOトークンは証券だと述べたのだ。

分散台帳上のデジタルトークンは無限に多様なもので、メンバーポイントから企業の株式までのあらゆるものを象徴できるのに、この発言は、ウェブ3の法的リスクは実体的行為ではなく、テクノロジーそのものに起因するということを示唆していた。

このような考え方のもとでは、分散型台帳上のトークンは「ハイリスク」ということになる。しかし、そのような見方はとても筋が通っているとは言えない。この考え方こそが間違いなく、アメリカが現在、効果的に暗号資産を規制できていない原因の1つであり、そこから学ぶことがなければ、将来的にはウェブ3の規制も効果的に実施できないだろう。

「分散型台帳」という、極めて様々な用途を持つ汎用テクノロジーを管理するための一元的な規制枠組みというのは、スプレッドシートの利用を一元的に規制するようなものだ。

実際の用途に注目

テクノロジーでひとくくりにしてしまうのではなく、そのテクノロジーを人々が実際にどのように使っているか(実体的な活動)を考え、ブロックチェーンテクノロジーそのものは重要ではないという前提からスタートしよう。

どんなビジネスか?当事者の間でどのような権利が生まれているのか?その権利は売り手から買い手にどのように伝えられているのか?ビジネスにはどのようなリスクが伴うのか?

このような疑問からスタートすれば通常、既存の法律、規則、判例の中に関係のある前例が見つかる。さらに大切なことに、イノベーターや投資家、規制当局がこれを共通の出発地点として使えば、いくつかの重要なステップを踏み出せるのだ。

まず、テックイノベーターと投資家が、最先端のビジネスに伴うリスクを評価するための共通の枠組みを持つことができる。Web3ビジネスは「リスクが高い」という曖昧な認識が、的を絞った質問と答えに取って代わられる。

既存のビジネスで最も類似性が高いのは?そのビジネスはどのように規制されているか?新しいビジネスと既存ビジネスの相違点は?その相違点のうち、どれが法的に重要で、そこに起因するリスクに対処するためにどうするのか?一般の人に影響を与えるのはどの部分で、どのような影響か?

規制当局の負担軽減

次に、政策決定者の仕事が単純化される。ウェブ3や暗号資産のような広範なテクノロジーの場合、明確性を求められることは規制当局にとって、当然ながら大変なことだ。インターネットは広範なテクノロジーであり、規制はもちろん、eコマースなのか、ソーシャルネットワーキングなのか、消費者保護なのか、データプライバシーなのかなどによって、変化する。

技術的中立性という出発地点を使うことによって、ウェブ3の活動にまつわる大半の問題に答えを見つけられるとしたら、より少ない数の真に新しい問題に関しては、政策決定者に委ねることができる。

包括的な規制策定や法律が必要な分野が出てくることも避けられないだろう。業界としては、それを求めることをためらうべきではない。しかし、昔からあることを単に新しい方法でやるという、Web3や暗号資産の分野も幅広く存在する。すべてが革新的ではないのだ。既存のものを参照できる場合には、現行の法律のもとで存在する明確性に頼ろうではないか。

つまり、Web2を適切に理解して、規制できなかった政府の失敗から私たちが学ぶことがあるとしたら、それは私たちが、政府の仕事をもっと楽にしてあげる必要があるということだ。私たちがそのようにしてあげても、政府はヘマをするかもしれない。あるいは政治的思惑のせいで、Web3ビジネスの影響とは無関係に、すでに確立した利害を優先するようなことがあるかもしれない。

大切なのは、あるテクノロジーを他のテクノロジーと比較して、その価値を評価することでなく、詐欺から消費者や企業を守ることなのだ。

|翻訳・編集:山口晶子、佐藤茂
|画像:Shutterstock
|原文:The Case for Technological Neutrality in Web3