最新のデータによると、イギリスのインフレ率は9.1%。アメリカ、イタリアをはじめとするG7諸国の中で最も高い。これは、アメリカの金融引き締め政策の根拠と、現在進行中のインフレの実際の原因に、ズレがある可能性を浮き彫りにしている。
財政支出拡大とインフレ
2020年にアメリカが新型コロナウイルスのパンデミック対策として支出を拡大して以来、著名な新自由主義的経済学者たちは、パンテミックの影響を緩和させるための大規模な財政支出アプローチの危険性を警告してきた。
アメリカは、国民への給付金、小規模企業への返済免除条件付き融資、新たなパンデミック関連の連邦支出などで、GDPと比較して、世界の主要経済大国の中で最も多くの支出を行った。
そうした金融緩和政策が始まった頃から、ハーバード大学の経済学者ラリー・サマーズ(Larry Summers)氏などは、インフレを引き起こす可能性を警告してきた。そして確かに、しばらくの間は、そうした人たちの意見は正しかったように思えた。
2021年の終わり頃まで、アメリカのインフレ率はOECD(経済協力開発機構)諸国の平均を上回っていた。しかし、世界各国のインフレ率がアメリカを上回るようになった今、そうした意見の信憑性に疑問が投げかけられている。世界の6月のインフレ率の中央値は7.9%、アメリカは111カ国の中で48位だった。
アメリカは他の国々よりも多くの紙幣を増刷したのに、なぜ他国と同じようなインフレ率となっているのか? 最も説得力のある仮説は、とりわけ気前の良い経済刺激策はアメリカのインフレ率をしばらくは上昇させていたが、その効果はあらゆる国々に打撃を与えている、通貨政策以外の要素におおむね取って代わられたというものだ。その要素は明白だろう。新型コロナウイルスと戦争だ。
パンデミックに対する救済支援策を実施しなかったとしても、コロナウイルスは大きな価格上昇圧力を生んだはずだ。アメリカの拡充された失業手当が終わって以来、賃金は大幅に上昇した。その一因は、パンデミックの初期に急激に減少した働き盛り世代の就労率が、いまだに2019年の水準まで回復していないからだ。
失業手当を受け取ることができたとはいえ、仕事のために外出しないことで健康へのリスクを避けることを選ぶ労働者がまだ存在する。保育施設などのサポートを失ったことで、仕事を辞めざるを得なかった人たちも女性を中心に存在する。
同時に、労働人口が病気や死によって減少したという厳しい現実もある。失業保険などが登場する何世紀も前、ペストでヨーロッパの農民が大打撃を受けた時にも同じような理由で賃金は上昇した。
パンデミック関連の救済支援策、とりわけトランプ大統領時代の失業手当の拡充や給付金支給は、アメリカ国民を家に留まりやすくすることで、その命を守っただけでなく、他の先進経済国と比べるとアメリカの不況がどこよりも短期間で、景気回復がどこよりも力強かったことの助けになったことも忘れてはならない。
これについては、トランプ政権で財務長官を務めたスティーブン・ムニューシン氏に感謝できるだろう。彼は明らかに、2008年の金融危機に対する非力な財政対策によって、その後の景気回復を遅らせたオバマ政権から教訓を学んだようだ。
「一時的」ではない
一方、新型コロナウイルスは世界中で大規模なサプライチェーンの混乱をもたらし、物価を押し上げた。その典型例が半導体。不足により、自動車の供給は抑制され続けている。
イエレン米財務長官をはじめとする指導者たちが、インフレを単に「一時的」とみなした理由の1つは、インフレの初期サインを示していたのが、自動車などの特定の業界だけだったからだ。特に影響が顕著だったのは、アメリカでの中古自動車価格。2021年にひどく高騰し、最近になってやっと下落し始めている。
そしてもちろん忘れてならないのは、ロシアによるウクライナ侵攻だ。ロシア産原油の輸出に制限がかかったため、エネルギー市場に即座に影響が及んだ。世界で最も生産性の高いウクライナの農地をロシア軍が奪うなか、食糧価格にも壊滅的な影響が出始めている。半導体不足は自動車などの特定の業界にのみ影響を与えるが、原油や食糧価格は、ほぼあらゆるもののコストに影響する。
つまり、通貨供給増が要因となったインフレから、供給不足によるインフレという、2つの明確なインフレ要因の間の移行期に、私たちはいるのかもしれない。この2つを完全に切り離すことは難しい。パンデミック対策の経済刺激策に使われたお金はいまだにアメリカ人の支出の一部を支えている。
しかし、アメリカほど大規模な財政支出拡大によって新型コロナウイルス対策を行わなかった国々が現在、アメリカよりも高いインフレ率を経験していることから、支出拡大がインフレを引き起こすという、サマーズ氏のような見解を受け入れ続けることはあまり筋が通らない。
数年後に振り返れば、イエレン財務長官のようなハト派(物価の安定よりも低失業率などを重視し、景気刺激に前向きで、緩和的な金融政策を支持する人たち)の考えが正しかったと、裏付けられるかもしれない。
それでもアメリカでは、米連邦準備制度理事会(FRB)の対応に注目が集まり続けている。FRBは流通する米ドルの供給量を縮小させるための、積極的な一連の利上げを開始した。利上げは、FRBが持つ数少ない手段の1つであり、FRBは価格の安定性を維持する点において、アメリカの機関の中では最も明白な責任を負っている。
需要の破壊
しかし、通貨供給増が問題ではないとしたら、FRBの金融引き締め策はどんな影響をもたらすのだろうか?
その答えはある意味、かなりシンプルだ。FRBによる金融引き締めは、供給不足によって価格が上がっている特定の業界に対する需要を抑える代わりに、主に雇用に打撃を与えることによって、ほとんどあらゆるものに対する需要を冷え込ませる。
インフレタカ派(物価の安定を重視し、金融引き締め的な政策を支持、利上げを容認する人たち)のサマーズ氏は、物価をコントロールするために失業率を2倍近い6%にする必要があると考えている。
これは、多くの労働者や企業にとっては、本当に壊滅的なシナリオだ。古い格言の通り、ハンマーしか持っていなければ、すべてがクギに見えてくる(特定の手段に固執することで、問題の本質を見失い、手段が目的化してしまうことをいう)。
それは、一時的な減速ではなく、おそらくアメリカ経済への長期的なダメージを意味する。生産的な労働者は職を失い、生産的な施設はお蔵入り。どちらも経済が好転し始めた時に、回復させるのが難しいものだ。
ある意味では、即時に壊滅的なダメージを与えるパンデミックによる恐慌と引き換えに、よりゆっくりで、できればそれほど痛手とはならないが、その厳しさはあまり変わらない不況を、私たちは経験しているのかもしれない。
そして、需要を抑制しても、ロシアの原油やウクライナの小麦の供給量は増えることはない。ただ単に、同じ供給量の食糧やエネルギーをめぐって競い合う人たちの数が減るというだけのことだ。職を失い、買えなくなってしまう人が増えるのだから。
これは、1979年から1987年にFRB議長を務めたポール・ボルカー氏から受け継がれたインフレ対策の論理だ。彼はインフレ対策のために、1980年台初頭に大規模な不況を引き起こしたことで有名。その時のインフレも、少なくとも部分的には、需要側ではなく、供給側の問題によって引き起こされていた。具体的には、中東での戦争によって引き起こされた長引くオイルショックだ。
ありがたいことに、不況は厳しいものだったが、ボルカー氏の愛の鞭によって、1980年台半ばから1990年代後半まで続いたアメリカの大規模な景気拡大の準備が整った。
FRBが経済全体を押し潰してしまう鉄槌よりも、もっと繊細な道具を持っていれば、あるいは政治指導者たちがもっと的を絞った政策を実施する力を持っていればと願いたくなってしまうかもしれないが、今感じている痛みは、あまり遠くない未来に、一段と安定した健全な状況がやってくることを意味しているのかもしれない。
|翻訳・編集:山口晶子、増田隆幸
|画像:Shutterstock
|原文:What if the Federal Reserve Has Inflation All Wrong?