ビットコイン(BTC)をはじめとする暗号資産の情報サイト「99 Bitcoins」は、ビットコインに対する「死亡宣告」の数を集計している。それによると、ビットコインはこれまでに466回、「ゲームオーバー」と宣言された。
だが、金融メディア、ソーシャルメディア、テレビでの専門家のインタビューやポッドキャストなどを考えると、この数はほぼ間違いなく少ない。暗号資産史上で最も厳しい冬の中にあっても、暗号資産支持者たちの方がメディアに登場して予測を行う人たちよりも現実を理解しているようだ。
暗号資産は終わり?
FTXの破綻以降、ビットコインへの死亡宣告はゆるやかに増えている。インドのコラムニスト、チェタン・バガット(Chetan Bhagat)氏は先週、インドの新聞『Times of India』で「暗号資産はもう死んだ」と宣言した。
2013年以来、ビットコインの終わりを叫び続けているノーベル賞受賞経済学者のポール・クルーグマン(Paul Krugman)氏は先日、暗号資産業界は「忘却の彼方へ」と語った。
『エコノミスト』紙はスマートに、疑問形で表現した。暗号資産はいかにして崩壊するか? と。そして答えに「皆が使うのをやめたら」と書いている。この主張はシンプルだが、しっかりと考えるべきことだ。なぜなら、暗号資産がなぜ消滅しないかの核心に迫るものだから。暗号資産の核心とは、他者を信頼する必要性をなくすことだ。
『エコノミスト』によれば、暗号資産企業に対する信頼の低下は、ブロックチェーン利用の減少につながり、ブロックチェーンは攻撃に対して脆弱になる。記事は、いわゆる「51%攻撃」を特に注目すべきリスクとして取り上げ、ブロックチェーンのセキュリティは、直接的に暗号資産価格から作り出されると主張した。
「オンチェーン・アクティビティおよびトークンの価値は自己強化的。(中略)恐怖心から暗号資産を避ける人が増えるほど、その安全性は低下する」と記事は指摘した。逆に言えば、トークンの価値が高いほど、ブロックチェーンで取引を覆すために必要なシェアを集めることはより困難になる。
鋭い読者の方ならお分かりだろうが、51%攻撃はブロックチェーンにとって恥ずべきことだ(さらに基盤となる資産への信頼を損ねるかもしれない)が、ブロックチェーンの終わりを意味するわけではない。例えば、ビットコインからフォークしたビットコインキャッシュは2021年、2度の攻撃を経験したが今でも健在だ。
トラストレス
しかし、より大きな視点の方がもっと重要だ。人々は暗号資産にうんざりして、使うのをやめたり、ブロックチェーン上での開発をやめたりするだろうか?
『エコノミスト』がこの質問を重視している理由は、暗号資産を理解している人にとってはバカげた質問に思えることと同じ理由だ。ビットコインに始まる分散型ネットワークは、代替システムを作り上げようとする試みであり、その際の重要な違いは、使用する時に誰かを信用しなければならないかどうかだ。
「トラストレス」という命題に対する、各ブロックチェーンの成功度はさまざま。業界が、企業が運営する取引所などに大きく依存し、中央集権型組織が抱える問題を再現してしまったことも事実だ。
だがポール・クルーグマン氏のような人物が、ピア・ツー・ピア送金を「犯罪者以外に誰が望んでいるのかまったくわからない」と言うことは、イマジネーションの著しい欠如のように思える。
未来へのイノベーション
暗号資産は未来を見据えている。中核となるイノベーションは、長期的な社会の変化(資産のセルフカストディの方法を学ぶ、お金とは何かを考え直す、集団的アクションの新しい方法を生み出す)に関わるものだ。今、我々は暗号資産が失敗しえるあらゆる形を見せつけられているが、成功し得るものも数多く存在する。
ハーバード大学の経済学者マシュー・フェランティ(Matthew Ferranti)氏は先日、中央銀行のビットコイン保有が合理的な状況についての研究論文を発表した。おそらく数カ月に及ぶ研究の成果である論文は、その結論がこれ以上に滑稽に思える時はないだろうというタイミングで発表された。
ビットコインは、米国債やドルなどのいわゆるリスクフリー資産を部分的に置き換えるどころか、そもそも生き残れるのだろうか?
フェランティ氏の結論は、イデオロギー的なものではないが、国家でさえ、ビットコインのような「制裁に耐えうる」資産は有用だろうと仮定している。この毛ケースは、ビットコインが成功するために必要ではない。だが、お金は中央集権的な後ろ盾を持つ必要はないというアイデアを実証することになるだろう。
暗号資産は金融業界をリプレースする必要はなく、ビットコインが唯一のお金になる必要もない。分散型プロトコルが企業を排除する必要もない。これらは代替的な選択肢として存在する。
冒頭で紹介した99 Bitcoinsの「ビットコインの死亡宣告」の集計は完璧ではないかもしれないが、メディアが暗号資産に対して偏見を持っているという、広く共有されている見方を裏付ける試みだ。
メディアに対する信頼がかつてないほど低下している今、人々は暗号資産に対する信頼を失うだろうと主張することは、とりわけ的外れだろう。暗号資産は常に、人に対する信頼を最小化するものだった。
|翻訳・編集:山口晶子、増田隆幸
|画像:Shutterstock
|原文:The Bitcoin Obituary Obituary