暗号資産のここ半年は、破綻、レイオフ、巨額損失に彩られた。しかしそのような厳しい状況のなか、2人のきわめてパワフルな存在が異彩を放っていた。
故郷は地球?
1人はFTXの元CEO、サム・バンクマン-フリード氏。もう1人は、その競合バイナンス(Binance)のCEO、チャンポン・ジャオ(Changpeng Zhao)氏。FTXが破綻した今、残るはジャオ氏だけになった。
FTX破綻にジャオ氏が大きな役割を果たしたことは間違いない。しかしまずは破綻騒動の前から、バイナンスがすでに取引高で世界最大の取引所であったことは指摘しておかなければならない。
ジャオ氏は、バイナンスがある特定の国に属しているように見られることを嫌い、独自の方法でバイナンスを率いている。彼はどこにでもいるが、どこにもいない。
私は2018年、ジャオ氏にどこを拠点としているかと聞いた。「会社はどこにあるか、自分はどこにいるかという非常に強い概念が人々にはいまだに残っている。企業はコンセプト。組織もコンセプトだ」と彼は答えた。
どこが故郷かと尋ねると「その質問への答えは持ち合わせていない。地球かな?」という答えが返ってきた。
影響力を拡大
伝統的金融の世界では、こうした発言は型破りかもしれないが、ここは暗号資産の世界。ジャオ氏の姿勢は、グローバルかつ分散型のお金の精神を体現していると言うこともできる。
法定通貨と従来の銀行システムを拒否する彼の姿勢も同じ。今年6月には「ドルは持っていない。すべて暗号資産」とCNBCに語り、銀行口座は持っているが「まったく利用しない」と述べた。
すべての国の政府が、バイナンスのやり方を快く思っているわけではない。しかし、バイナンスはさまざまな国の規制当局との摩擦に直面しながらも、暗号資産における影響力は拡大を続けた。他の企業がレイオフを進めるなか、ジャオ氏は人員採用計画を進めていた。
ジャオ氏のツイッターのフォロワーは800万人近くに達し、世界中に熱烈なファンを抱えている。バイナンスはツイッターに5億ドルを投資し、イーロン・マスク氏の指揮下で、ツイッターに影響力を確保した。ジャオ氏個人は銀行口座を使うことに興味を持っていないが、バイナンスは銀行買収に興味を示しているようだ。
FTXの破綻
しかし真にジャオ氏のパワーを確実なものにしたのは、FTXの破綻だ。FTXの姉妹企業アラメダ・リサーチのバランスシートの大半が、FTXが発行したFTTトークンであると米CoinDeskが報じたことを受けて、ジャオ氏はバイナンスが保有しているFTTトークンを売却すると発表。
その直後、FTX買収の意図を表明しながらも、財務状況を精査した後、自らの手に負えないと判断して、買収の方針を撤回した。この動きにより、投資家が資産の引き出しに走り、FTXへの信頼は低下。すぐに破綻となった。FTXの買収は「我々の勝利ではない」とジャオ氏発言したわずか2日後、FTXは破産申請を行った。
これは当初、ジャオ氏による高度な戦略のように思われた。彼の動きが競合に致命的な打撃を与えたからだ。しかし、問題は取引所のライバル関係よりもはるかに大きいことが徐々に明らかになってきた。
FTXが顧客資産を使って、アラメダでリスクの高い投資を行っていたことなど、FTXに関する不穏な情報がさらに浮上してきた。バンクマン-フリード氏は、投資家から集めた資金のうち、3億ドルを個人的に受け取っていたらしい。FTXの資産の大半はどこかに行ってしまっており、債権者たちは自分の資産が戻ってくるのかどうか、わからずにいる。
ジャオ氏の意図が何であったとしても、彼は歴史の正しい側に立つことになった。
救世主の交代
FTX破綻後、バイナンスの影響力は論争を呼び起こすものになったといえるだろう。ジャオ氏は、暗号資産業界の「救世主」というバンクマン-フリード氏がかつて担っていた役割を担い始めた。
FTXはバイナンスほど大きくはなかったが、規模よりも大きなことに取り組もうとした。バンクマン-フリード氏はここ1年で、ボイジャー・デジタル(Voyager Digital)やブロックファイ(BlockFi)など危機に陥った企業の救済を試み、ホワイトナイトのような存在として知られるようになっていた。
FTXがいなくなった今、バイナンスが前に進み出た。バイナンスは破綻した暗号資産関連企業から資産を購入し、業界を支えるためのリカバリーファンドに10億ドル相当のBUSD(バイナンスのステーブルコイン)を供出。その後、さらに10億ドルのBUSDを供出した。
Aptos LabやJump Cryptoなど、ファンドへの協力を申し出た企業はあるが、ジャオ氏がその顔になっている。先日のブルームバーグは「バイナンスのビリオネアCEO、暗号資産の新しい救世主に」と伝えた。
見覚えがあると感じたとしたら、その感覚は正しい。『暗号資産の最後の希望』と題された、バンクマン-フリード氏に関する記事が今年7月、エコノミストに掲載されている。バンクマン-フリード氏は「窮地にある暗号資産企業を救う試みの中心人物」と紹介されていた。
もちろんこれは、バンクマン-フリード氏やジャオ氏の発言ではなく、メディアの文章だが、ジャオ氏が、バンクマン-フリード氏がかつて演じた救世主として捉えられていることは間違いない。
バイナンスUSはいまや、FTXが買収しようとした暗号資産レンディング企業のボイジャーを手に入れようとしている。バンクマン-フリード氏は、アメリカの政界での影響力を得ようとしていたことでも知られているが、今ではバイナンスUSが政治資金団体PACを組織しようとしている。
リスク
救世主の役割には、複数の理由で問題がある。まず、トラストレスで分散型、単一障害点に対する耐性という暗号資産の中核的な理想に反する。
しかし、もっと実際的な問題もある。FTXは多くの企業と事業を行っていたため、破綻はドミノ倒しのような影響をもたらした。FTXがかつて救済しようとしていたブロックファイは先日、破産を申請した。
ジェネシス・トレーディング(Genesis Trading)やジェミニ(Gemini)も影響に苦しんでいる。さらに多くの企業が苦しむことになるだろう。
バンクマン-フリード氏ほど有名で、かつては大勢に好かれていた人物が凋落したことも、すでに規制当局や市民からの信頼を得ることに苦戦していた暗号資産業界にとっては大きな打撃となった。
もちろんバンクマン-フリード氏の凋落は、彼自身の行為が原因。しかし、その過剰なまでの影響力が、状況を悪化させたことは間違いない。
バイナンスに何か起これば、その影響はさらに壊滅的なものになるかもしれない。世界最大の暗号資産取引所を救済してくれる人物は残っているだろうか?
ジャオ氏は本当に、自らが信じている業界を救済するために、自分のパワーを使いたいのかもしれない。しかし最近の事態が私たちに教えてくれたことがる。つまり、暗号資産はたとえそれが誰であっても、1人の救世主に多くの希望を託すべき世界ではない。
|翻訳・編集:山口晶子、増田隆幸
|画像:ジャオ氏をイメージしたNFT画像(Aleqth/CoinDesk)
|原文:And Then There Was One