イーサリアムを「公共財」と捉え、守るために【オピニオン】

「公共財」という言葉自体は近代以前まで遡るが、公共財を定義するために初めて確固たる枠組みが作られたのは1950年代のことだ。最初は経済学者のポール・サミュエルソン、その後に同じく経済学者のリチャード・マスグレイブが「非競合性」「排除不可能性」といった今でもよく使われる言葉の定義を確立した。

きれいな空気、公園、道路、国の安全保障などが公共財の例としてあげられる。1人がアクセスできれば、他の皆もアクセスでき(非競合性)、1人が使ったからといって、他の人の分が使い果たされることはない(排除不可能性)ものを言う。

これらの定義は、第2次世界大戦後に形成されたばかりのグローバル環境の中できわめて特殊な時期に生まれた。ナショナリズムはまだが顕著な特徴となっており、国家という基本的な境界を超えた「公共」の概念の理解は、幸福や存続が国家に依存していた社会にとって必ずしも明確ではなかった。

グローバル公共財

インターネット登場以降、グローバル公共財をめぐる議論とその意味をめぐる議論は大きく発展している。グローバル公共財について考えたとき、はるかに広範な競合性や排除可能性の存在が明らかになった。例えば、特定の都市に入ることが許されなければ、道路にアクセスできないかもしれないし、公園の入口は夜間は鍵がかけられているかもしれない。

インターネットは、衛星を使ったインターネット接続サービス「スターリンク(Starlink)」のようなプロジェクトが登場し続けいるなかで、至るところにあるものになっているが、まだ世界中どこでも完全にアクセスできるわけではない。

私たちはまだ、それほど公共ではない多くの財にお金を払っている。そうした財のオープン性を大切にしたいという理想を認識しつつ、現実的にはそうした財が生み出すプラスの外部性に焦点をあてているからだ。我々は需要によってパンクしてしまうかもしれない地下鉄にお金を支払っている。地下鉄は街の繁栄に貢献するからだ。

料金を支払うことで、乗客は経済活動を生み出すコミュニティを形成し、駅周辺の価値が高まることで不動産保有者は利益を得る。そして利益の一部は税金として街に還元される。限界はあるが、地下鉄システムのような財は集団的な幸福を高めてくれる。

イーサリアムは公共財

イーサリアムブロックチェーンは、ときに取引に時間がかかることもあるが、地下鉄のように意義のあるプラスの外部性を生み出す。イーサリアムブロックチェーンが人間の主体性や協調性を高めることについては多くの議論がなされており、その成果や発展を都市にたとえる人もいる。また一部の人たちは、初期のインターネットが情報の移動を可能にしたように、プログラム可能なお金によって価値の移動が可能になると指摘している。

つまりある意味では、イーサリアムブロックチェーンは公共財だ。ある種のデジタル都市のようなものが、多くの場合、その市民たちによって、皆の幸福という目的のために建設されている。

しかし現実的には、私たちが公共財と定義する多くのものと同じように、特に国家がかかわっていない状況では、イーサリアムブロックチェーンは「コモンズ(共有財産)」のように機能する。そしてすべてのコモンズは慎重に管理する必要がある。

イーサリアムの管理

2009年、経済学者のエリノア・オストロムはコモンズの管理についての研究でノーベル賞を受賞した。生物学者ギャレット・ハーディンが指摘した「コモンズの悲劇」、つまり漁獲資源のような最も基本的な必需品の避けられない枯渇は、ローカルで自己管理型のシステムを設計することで、国や企業に頼らずに解決できることをオストロムは示した。

イーサリアムブロックチェーンにおいて、メンテナンスとは、重要なオープンソースソフトウェアの開発に関わり、分散型のガバナンスに参加し、複数の試練をくぐり抜けてきたエコシステムの基礎的な文化的原則の希薄化を防ぐことを意味する。

イーサリアムブロックチェーンのようなコモンズの管理は複雑なプロセスだ。従来の中央集権型組織モデルとは異なり、イーサリアムブロックチェーンの管理は多くの利害関係者間に分散化されており、何十億ドルもの価値を扱っているプロトコルについて大まかに合意しなければならない。

「ブロッコクラシー(blockocracy)」、つまりユーザー──さまざまなクライアントチームの開発者、リサーチャー、バリデーター、そしてイーサリアム財団のような大規模組織──が維持管理に注力していることがそうした事実を証明している。さらにDAO(分散型自律組織)、DeFi(分散型金融)、NFTの開発者も維持管理に責任を負っている。

我々が失敗するとすれば、我々が自身の自己組織型エコシステムを理解せず、それぞれが責任を負わないときだ。我々は繊細な境界を超え、ときに牧場の中に想定以上に牛を増やしてしまい、牧場の衰退を加速させてしまう。

イーサリアムを2つにわけるグループ

イーサリアムブロックチェーンは2つのグループにわかれている。一方は「Regen(リジェン)」と呼ばれ、グローバルな公共インフラを作り出し、維持するための革新的なスマートコントラクトの驚異的なエコシステムの源と見られている。

もう一方は、革新的でパーミッションレスなDeFiやNFTを推進し、ときにラグプルなどの詐欺を招く「Degen(ディジェン)」。ハイリスク・ハイリターンを好むディジェンは我々のエコシステムの中で重要な役割を果たし得るが、我々はこれら2つのグループが協力し合える方法を定義する必要がある。両者は対立する必要はない。だが協調が必要だ。

おそらく両者を連携させる、より優れたフレームはリジェン、ディジェンのそれぞれが「宣教師」「(カネ目当ての)傭兵」と呼ばれる違いにあるだろう。ディジェンを自認する人の多くも心の奥深くではイーサリアムの精神を大切に思っているはずだ。

「宣教師」は、我々がそうであるように「テクノロジーに魅せられている」。一方で「傭兵」は、自分たちの意思でイーサリアムブロックチェーンをよりオープンで、透明性の高いものにしようとするだろう。

イーサリアムを信じて

徹底的なパーミッションレスは、暗号資産カルチャーでは神聖なものだ。分散化や検閲耐性と同じように、絶対に譲れないものだ。しかし、技術的にはブロックチェーンへのアクセスを拒否することは誰にもできないため、それは常にカルチャーや期待の問題に帰結する。より良い期待を設定することにベストを尽くそう。

公共財としてのイーサリアムブロックチェーンを信じ、そして、なぜこうした公共インフラが大切なのかについて強固なカルチャーを発展させることで、傭兵たちを封じ込め、エコシステムを次のサイクルに向けて強化することができる。

イーサリアムエコシステムを、手入れが必要な共有のコモンズとして捉えることで(牛を放ち過ぎるのではなく)、リジェンとディジェンの間に我々独自の未来を築き上げることができる。

ポール・J・ディラン-エニス(Paul J. Dylan-Ennis)博士:ユニバーシティ・カレッジ・ダブリンのビジネススクールの助教。
スコット・ムーア(Scott Moore)氏:デジタル公共財の開発、資金提供に特化したインターネットネイティブコミュニティ、ギットコイン(Gitcoin)の共同創設者。

|翻訳・編集:山口晶子、増田隆幸
|画像:Shutterstock
|原文:Ethereum’s Regens Tend to Ethereum’s Public Goods