サムに溺れている──米Amazonでベストセラー、元FTX創業者を描いた書籍から抜粋

FTXの創業者サム・バンクマン-フリード(SBF)は、メディア、市民、政治家たちの目をくらませることで、暗号資産業界で最大級の取引所と個人的な評判を築き上げた。ニュースサイト「Axios」の記者ブレーディ・デール(Brady Dale)は、SBFの名声を求めたことこそが、最終的に彼を破滅に追いやったと考えている。

米AmazonのEconomicsでベストセラーとなっているデールの著書『SBF: How The FTX Bankruptcy Unwound Crypto’s Very Bad Good Guy(SBF:FTXの破綻が暗号資産史上最悪の好青年を凋落させた軌跡)』から第1章をお届けする。


第1章:私は信じたい(I Want to Believe)

私はサムに溺れている。彼はあらゆるところに存在する。しかも彼と同じくらい壮大な凋落を遂げた他のCEOとは異なり、彼の歩みを検証するジャーナリストを介して間接的に私のもとにやって来るのではない。

この氾濫する情報こそがサムだ。彼は止まらない。まるで止まることを知らないかのように。私はFTXのストーリーをまとめたいのだが、サム・バンクマン-フリードというノイズの中から、どうやって見定めれば良いのだろう。これこそ、SBFだ。彼は、鼻にかかった、過剰なまでに情報に富んだ語り口で、さまざまな出来事をきわめて偏った独自のミステリアスな解釈で語ることをやめない。

この文章は、SBFに関するこの本の執筆の折り返し地点で書いている。今日は2022年12月1日。ニュースサイト「Axios」での仕事を終え、SBFの会社の1つであるアラメダ・リサーチ(Alameda Research)が支援していた企業について少しリサーチする時間を作ろうとしていたが、数億ドル相当の暗号資産を失ったSBFがツイッター・スペースを開催するとのメッセージを受け取った。

ツイッター・スペースは数人が音声のみでオンラインで会話し、それを何百、何千人もの人たちが聞くことのできる機能だ。スペースは、有名アカウントがメッセージを伝えるための人気の場所となっている。そしてSBFは2022年11月から現在の12月上旬に至るまで、メッセージを広めることに躍起になっている。

『SBF: How The FTX Bankruptcy Unwound Crypto’s Very Bad Good Guy』の表紙(Wiley)

これ以前にSBFは、キャスターのジョージ・ステファノプロス(George Stephanopoulous)の朝の情報番組に出演していた。私はまだ、その番組を見ていない。さらに、ニューヨーク・タイムズもジャーナリストのアンドリュー・ロス・ソーキン(Andrew Ross Sorkin)によるSBFのインタビューをオンライン中継した。こちらもまだ見ていない。私が知る限り、メディア業界のなかでこれらを見ていないのは私だけだ。私は今、この本の執筆に忙し過ぎて、いつでも見られる動画を見ている時間はない。後で見るつもりだ。しかし今、SBFはまたツイッターでジャーナリスト気取りの人に話を始めている。聞いたのは不運だった。

少し聞いていたが、有益な情報というよりも事態を悪化させるものだった。彼に関する情報が多すぎる。私は溺れている。

サムは露出をやめない。このようなメディアへの頻繁な登場は、問題対処の黒魔術を身につけた魔術師並みの広報担当者が企てたPRの傑作と人々は語っている。

だがそのような見方は、PR側、おそらくPR会社のクライアント視点だ。これはPRではなかった。PRは、私が本職とする砂嵐のような場所だ。陳腐な単調さからできた無意味な弾丸で、その中から必死に信頼できる意見を探し求めなければならない大混乱だ。PRとは多くがリスク回避だが、SBFがしていたことは違う。

これがサムだった。絶え間ないメディア露出は彼のニーズから生まれていた。すべてサムだった。

サムが多すぎる。

私はサムに溺れている。

2022年12月1日

サム・バンクマン-フリードは、信じたくなるようなストーリーを提供してくれる。暗号資産という富を生み出すエンジンから泥棒男爵のように軍資金を生み出し、世界の問題を解決しようとしたおしゃべりなビリオネア青年。

図書館建造のために寄付をしたアンドリュー・カーネギーのようになるはずだった。カーネギー図書館が嫌いな人はいるだろうか?カンザス州にある私の故郷の小さな町にもあった。美しい建物だ。

しかしアンドリュー・カーネギーがそうした図書館を建設できたのは、一部には、より良い条件を求めた組合労働者たちを排除するために、ごろつきを雇ったおかげでもある。今となっては、良い話ではない。本来、その建設費は、私たちの祖父母の年代の人たちの何人かに支払われるべきものだった。

SBFは、空気汚染を引き起こす工場や、健康に害を及ぼす労働環境といった邪悪なもので軍資金を膨らませたわけではない。SBFの軍資金は、インターネットから作られた。ブロックチェーンを飛び交うデジタルマネーから純金のかけらをかき集めている。多くの人の庭に汚染物を残すどころか、ブロックチェーンは現実のものとは思えない。

では、仮に好青年が登場し、富を築き、その富で多くの人を助けることができるとすれば、どのような不都合があるだろう?

SBFは魅力的だった。多くの人がそうしたストーリーに引き込まれた。私もその1人だった。SBFは、彼自身が語るストーリーを信じていると私も信じていた。歌手のボニー・タイラーが1984年に歌ったとおり、そして私たちが今感じているとおり、私たちは皆、ヒーローを求めている。

こんな問いかけをしてみたい。

もし、SBFが世界を救うことに挑戦できなかったことが、私たち全員にとって良いことだったとしたら?

もし彼が、誰もが決して望まないヒーローだったとしたら?

もしSBFから学ぶ教訓が実際、次のようなものだったとしたら? 「誰もが最も必要していないのは、ヒーローだ」

※敬称略

|翻訳・編集:山口晶子、増田隆幸
|画像:『SBF: How The FTX Bankruptcy Unwound Crypto’s Very Bad Good Guy』の表紙(Wiley)
|原文:Why Author Brady Dale Is ‘Drowning’ in Sam Bankman-Fried