ゲイリー・ゲンスラー氏は2021年に米証券取引委員会(SEC)委員長に就任した際、「分散化シアター」には懐疑的だと暗号資産(仮想通貨)プロジェクトに警告した。これは、DAO(分散型自律組織)やプロトコルが実際にはあきらかに中核的指導者チームを抱えているのに、表面的にはリーダー不在(したがって、訴追不可能かもしれない)と誤解を招くような主張をすることを念頭においたものだ。
ゲンスラー委員長やバイデン政権によって進行中の暗号資産への取り締まりは現在、異なるタイプの分散化を引き起こしているようだ。大手暗号資産企業の「アメリカ離れ」だ。
地理的シフトは起こり得る
取引所のコインベース(Coinbase)やジェミナイ(Gemini)、ビットコインアプリを手がけるストライク(Strike)、資産運用プラットフォームのバックト(Bakkt)などは最近、アメリカを脱出する姿勢を見せている。
テスラとコインベースに莫大なロングポジションを抱えることで知られる投資家のキャシー・ウッド氏は先日、暗号資産業界がアメリカから離れていくなか、アメリカが「ビットコインのムーブメントを失いつつある」と発言した。
このような地理的シフトは実際に起こるものであり、過剰に規制を行う地域にとっては非常に良くない結果をもたらし得る。例えば、医薬品メーカーのバイエルは先日、規制を理由に事業のメインをヨーロッパから移すと発表した。
しかし、より深く掘り下げてみると「アメリカ離れ」を発言する暗号資産企業の一部は、本当に移転を計画するというよりも、別の種類の「分散化シアター」かもしれない。そしてこちらも、規制当局に影響を与えることはなさそうだ。
口先ばかり
アメリカ離れを示唆する暗号資産企業を理解するのには、2つの見方がある。1つは、規制上の不透明感や予想される取り締まりを理由に、本当にそう考えている企業もあること。もう1つは、雇用と収益を他国に移すと脅すことで、規制当局に影響力を行使しようとしているかもしれないことだ。
今のところ、暗号資産企業の大規模なアメリカ脱出を伝える多くのニュースは、後者のようだ。完全な見せかけではないとしても、それにかなり近い。
ニュースの一部は、軽率なメディアの過剰演出の結果だろう。米インターコンチネンタル取引所(ICE)の子会社でデジタル資産サービスを提供するBakkt(バックト)の幹部は、EUの暗号資産規制「MiCA」を好ましく思って拡大計画を示唆しただけで、アメリカを去る意図を表明したわけではなかった。ジェミナイの海外展開も「脱出」と誤って伝えられた。同様にコインベースもグローバルな拡大を示唆したが、これまでのところ実体は伴っておらず、国際版の取引所は非常に限定的なサービスしか提供していない。
より実体を伴ったように見える動きもあるが、その影響ははっきりしない。マイアミで開催された「Bitcoin 2023」カンファレンスでは、暗号資産取引サービスを手がけるストライク(Strike)のジャック・マラーズ(Jack Mallers)CEOがアメリカの規制当局を痛烈に批判。エルサルバドルに「本拠地を置く」と宣言した。
しかし同社はその後、これは「グローバル本社」となるもので、シカゴにあるアメリカ本社はそのままと説明した。マラーズ氏が住むシカゴが同社の真の中心地であり続けると考えて良さそうだ。
マラーズ氏はさらに「エルサルバドルに本社のある」企業について語るなかで、ビットコイン投資プラットフォームを手がけるスワン・ビットコイン(Swan Bitcoin)とウォレット開発を手がけるフォルド(Fold)にも言及した。しかしこれらの企業はエルサルバドルでの存在感を高めているだけで、本社を移転するわけではなさそうだ。
アメリカを出て行けない理由
バイデン政権によるアンチ暗号資産政策が明確になってから、2カ月ほどになる。長い時間ではないが、これらの企業が真剣に移転を計画していたのだとすれば、もっと実質的な進展があって良いはずだろう。
規制環境がそこまで敵対的だとしたら、なぜ暗号資産企業は大挙してアメリカを出て行っていないのだろうか?
その答えとなりそうな要因は無数にあり、すべてが暗号資産業界に対して広範な影響力を持っている。まず、アメリカに住むスタッフが、エルサルバドルやマルタに引っ越すことを歓迎する可能性は低い。アメリカはいまだに、暗号資産業界の人材の巨大な中心地だ。
次に、規制当局による取り締まりにもかかわらず、アメリカの法律や株式システムは暗号資産企業にとって多くのメリットがある。そしてアメリカは、SECの敵対的姿勢にもかかわらず、流入を続ける豊富なベンチャーキャピタルの資金を含め、ほとんど比類がないと言って良いほど充実した金融セクターを抱えている。
しかし、暗号資産企業が積極的に移転しない最大の理由は、大変さの割りに得るものが小さいからだろう。最もわかりやすいところで言えば、ここ2年間で「アメリカの企業ではない」と言い張ったところで、SECの事実上の世界的な影響力から逃れられないことが明らかとなった。
さらに、大統領が暗号資産企業のアメリカ脱出を受けて、暗号資産への取り締まりを方針転換するという反応を見せるかは不明瞭だ。
行動に移しても意味はない?
アメリカでの雇用が暗号資産業界での雇用の大半を占めているが、アメリカの雇用全体に対する暗号資産業界の雇用の割合はきわめて小さい(ただし多くの場合、給与は高い)。
はっきり言ってしまえば、バイデン政権にとっては暗号資産よりもインフレとの戦いの方がはるかに重要であり、数百人分の雇用を消失させるというのは、恐ろしい脅迫というよりも興味をそそる提案に見えるかもしれない。
民主党員、なかでも行政府にいる人たちは、暗号資産は詐欺以外の何かになり得るという考え方にまったく耳を貸さないようだ。共和党員は雇用について騒いではいるが、下院で多数派を占めるにもかかわらず、あまりにまとまっておらず、無力なようだ。
つまり、暗号資産への取り締まりをやめるよう当局を説得することが狙いなら、アメリカを脱出することは、実際に行動に移したとしても脅しと同じくらいの効果しかない。すなわち、まったく効果はない。
|翻訳・編集:山口晶子、増田隆幸
|画像:Shutterstock
|原文:Cathie Wood Thinks the U.S. Crypto Exodus Is Here. Is It?