2008年8月18日から10月31日まで、サトシ・ナカモトは慌ただしい数カ月を過ごしたに違いない。この夏、ナカモトはドメイン名「bitcoin.org」を登録。今ではよく知られる匿名の暗号技術専門家が、おそらく自分は何かを掴みかけているかもしれないと気づいたことを示していた。
ビットコインというアイデア
ビットコインのホワイトペーパーが暗号技術メーリングリストに初めて送信され、プロジェクトが世界に発表された2008年のハロウィーンの日までに、ナカモトはプロジェクト全体をハードコーディングしていた。
「実は私はこれを、逆方向でやったと言ってもいいだろう。私はすべての問題を解決できると自分自身を納得させる前に、すべてのコードを書く必要があり、そのあとでホワイトペーパーを書いた」とナカモトは2008年11月11日に記している。
ナカモトは暗号技術メーリングリストのメンバーで、2004年にはビットコインにインスピレーションを与えた再利用可能なプルーフ・オブ・ワーク(PoW)システムを開発した。最初のビットコイン取引の受け取り手として知られるハル・フィニー(Hal Finney)氏への返答の中でのことだった。
ナカモトが2008年よりはるか以前にこのアイデアを思いついていたことを示す証拠もある。例えば、2010年に元ビザ(VISA)幹部のジョン・マトニス(Jon Matonis)氏に宛てたメールで、マトニス氏が電子マネーの長年の開発について書いたブログ投稿を称え、ナカモトは「私が3年前に研究を始めたときに、そのようなものがあればよかったのに」と述べている。
「ビットコインはあなたの興味を引くだろう」とナカモトは述べた。マトニス氏はその後、ビットコイン財団の設立メンバーとなっている。
ナカモトは当時、ビットコインについて狭い範囲でしか語っていなかった。興味を持つ潜在的なユーザーに返信したり、暗号技術ファンや筋金入りのコーダー、リバタリアンにこの革命的なテクノロジーを届けようと自ら働きかけることもあったが、ナカモトはビットコインをきわめて実用的で質実剛健なプロジェクトとして紹介していた。
2010年7月、誰かがビットコインの最初のウィキペディアページを作成したとき、ナカモトはそれがあまりにも「宣伝的」で自分の好みには合わないと語っている。
「ビットコインが何なのか、電子マネーの分野でどのような位置づけにあるのかを人々に知らせるだけで、良いものだと説得しようとはしていない」
ビットコインは、ナカモトが説明したように、電子的なピア・ツー・ピアの通貨のようなシステムだ。人々がビットコインに価値を見出す限り、ビットコインは通貨に「なる」可能性があり、面白いものを集めたいとか、オンラインでクレジットカードを使う代わりにビットコインを使いたいとか、いろいろな理由で起こりうるとナカモトは述べた。
「ビットコインには配当も将来の配当の可能性もない。収集品やコモディティのようなものだ」
「造幣局」の不在
しかし、ナカモトも当初からわかっていた最大のイノベーションは、ビットコインには中心的存在となる発行者がいないこと、つまり彼がときおり呼んでいた「造幣局」がないことだった。
「ビットコインを運営する中央の造幣局や企業は存在しない。ユーザーがいる限り、ビットコインは存続する」と彼は2010年にマトニス氏に送った電子メールに記している。
90年代、デジタル通貨に深く関わった人たちは、DigiCashやLibertyReserveのような実験的取り組みが失敗した原因は、中心となる人物や企業が問題を起こす可能性があったからだと認識していた。
ビットコインは革命的なアイデアで、「信頼されるべき仲介者」を暗号技術による保証とユーザーの集団的エンパワーメントに置き換えた、暗号資産の最初の実験。あとは多くが続いた。
ユーザーはビットコインに価値を与え、ネットワークが成長することにインセンティブを持つ。ナカモトは当時、ビットコインは国際送金や個人的な支払いのみならず、銀行の「膨大な諸経費」が不可能にしているマイクロペイメントのような少額取引にも有用なのではないかと考えていた。
ナカモトの初期のアイデアがすべてうまくいったわけではない。
マイクロペイメントは実現しておらず、現在ではビットコインのような完全に公開されたネットワークが、プライバシー保護にどれほど適していないかは多くの人が痛感している。
ビットコインの成長
しかし、ビットコインが信頼ベースの金融に代わる選択肢に成長するという彼の考えは正しかった。現在、ビットコインの時価総額は6720億ドル(約101兆円、1ドル150円換算)以上に達し、ブラックロック(BlackRock)からヴァンエック(VanEck)に至る大手金融機関が参入を図っている。
ビットコインは、銀行や他の金融機関がすべての取引を追跡し、最終的にどれが有効で、誰がシステムを利用できるかを決定する、現代の通貨システムに本質的に存在する信用を排除した。
ビットコインは通貨ネットワークであると同時に、公共放送システムであり、誰でも、どこでも、自分でブロックチェーンを検証し、確認することができる。
あるいは、ナカモトがビットコインのもうひとつの祖先であるB-moneyの発明者ウェイ・ダイ(Wei Dai)氏に語ったように、「二重支払い」問題や通貨の信用性に関する問題などを「取引にタイムスタンプを押し」「プルーフ・オブ・ワークをやり直さない限りは変更できない進行中のチェーンにハッシュする(データをランダムの値に置き換える)ピア・ツー・ピア・ネットワーク」を使用することで解決した。
ナカモトは2008年8月22日、ビットコインのホワイトペーパーにどのように引用すべきかを尋ねるために、ダイ氏に連絡を取った。
|翻訳・編集:山口晶子、増田隆幸
|画像:Shutterstock
|原文:Bitcoin 2008: Satoshi Nakamoto’s Busy Few Months Building the Revolutionary ‘P2P Electronic Cash’ Network