ビットコインの生みの親サトシ・ナカモト、亡くなった私の友人だったのか?

間もなく公開される HBO のドキュメンタリーによって、ビットコインの生みの親サトシ・ナカモトはレン・サッサマン(Len Sassaman)氏だという憶測が再燃した。彼は私の友人だった。そしてこの説には信憑性がある。

米時間10月8日に公開されるHBOのドキュメンタリー番組によって、私の亡き友人レン・サッサマン氏がビットコインの匿名の生みの親サトシ・ナカモトだという憶測が再燃した。ドキュメンタリーの製作者は、サトシに違いないと信じる人物と直接対峙したと述べており、2011年に自殺したレンがその人物に当たる可能性は低い。しかし、合理的に考えるとサトシの正体として候補にあがるくらい、レンの技術力について説得力のある長文を書いている人もいる。

今回のドキュメンタリー番組の内容がどうあれ、私が知っていたレンについて、そしてなぜ私も彼がサトシである可能性が高いと思うかについて、お伝えしたい。

筆者のジャスティン・ニュートン(Justin Newton)氏は、身元確認サービスを提供するネットキー(Netki)のCEOであり、本記事は同氏のリンクトイン(LinkedIn)への投稿を元にしている。

出会い

私がレンに出会ったとき、彼はしわくちゃのジャケットとネクタイをしていた。私たちは、ペンシルベニア州ポッツタウンにある寄宿学校、ヒルスクール(Hill School)の歴史教師トーマス・ルース(Thomas Ruth)先生のリビングルームにいた。当時レンは同校の3年生で、卒業していた私はデータセンター事業に携わっていたが、長い週末を過ごしにサンフランシスコのベイエリアから戻って先生を訪ねていた。

レンはソファに座り、私は近くの椅子に座っていた。私のメンターの1人である先生は、困難な生い立ちや周囲に溶け込むのに苦労している子供たちへの指導で有名だった。レンもそのような子供の1人だった。レンは普通のアイコンタクトを保つのに困難があり、自分のやったことについては非常に過小評価していた。

レンはまだ16歳だったが、先生はコンピューター科学者としての大きな将来性を見出し、私にコンピューター分野の友人としてレンが自分の立ち位置や行く末を見定める手助けをしてくれないかと頼んできた。私は先生に大きな恩義があったので、もちろん同意した。その初日、私たちは先生のリビングルームで約2時間半を過ごし、熱いお茶を飲んだ。それはジョルトコーラのようだった。というのもティーカップの中に砂糖とカフェインが2倍入っていたからだ。

この時の会話を振り返ると、話し合った多くの事柄が思い出される。振り返ってみると、レンの考えは(存命か不明だが)本物のサトシ・ナカモトのものと非常に一致していた。

とある私の別のメンターは、テクノロジーと歴史が周期的に影響し合うこと、そして偉大な発明が社会と世界を変えることを指摘してくれたが、私はこの発見の瞬間をレンと共有した。テクノロジーの優れたスキルをもってすれば、十分に強く引けば世界を私たちが望む方向に動かせるレバーにもなり得るものだった。

この瞬間、レンは会話の途中で、消極的で内気で控えめな性格から、情熱的で非常に積極的な性格に変容した。その時点まで、彼は人気者によって形作られた世界の住人の1人だったが、脚光を浴びなくても未来を形作ることに貢献できる道が見えたことで、彼の姿勢は、猫背だったのが真っ直ぐで前かがみに、そして伏せ目だったのが大きく見開いて私をまっすぐに見つめるように、瞬間的に劇的に変化した。

この時点で、先生は椅子に深く腰掛け、顔には意味ありげな笑みを浮かべ、ときおり立ち上がっては、レンと私が会話を続けるために、悪名高いロケット燃料のような先生自慢の飲み物が減っていないか確かめていた。その後の数時間、私たちはコミュニケーションの自由、オンラインでの匿名性、情報の民主化の重要性について話し合い続けた。この時の会話には、オープンソースソフトウェアと規格の開発、コードによる価値観の表現、世界を変える可能性のあるソフトウェアの作成、そしてそれらの影響のいくつかを予測することなどが散りばめられていた。

シリコンバレー時代

私がロサンゼルスに移り、インターネットサービスプロバイダーのネットゼロ(NetZero)で働くようになってから間もなく、レンはサンフランシスコに引っ越した。私は彼をノースアメリカン・ネットワークオペレーターグループ (NANOG) とインターネット・エンジニアリング・タスクフォース (IETF) のコミュニティの友人に紹介し、彼が自らの仲間を見つける道程で彼を私の仲間とつなげた。

その後、私たちは割と密接な関係を10 年ほど続けた。しばらく話をしていなかったのだが、その後、メールやテキストメッセージで「電話をする時間はありますか」と、何の脈絡もなく尋ねられた。電話では、彼が就職を検討していた際のキャリアアドバイスや、あまり興味のない仕事に留まるべきかどうかなど、簡単な質問もあった。彼の電話は大抵が短いものだったのだが、というのも彼は自分が考えていることや目に見えていることを、その分野で信頼できる誰かに確認してもらいたかったようだ。

もっと長い電話の時は、先生宅のソファでの会話に似ていた。私たちは、オープンでパーミッションレスなイノベーションの価値や、パーミッションレスに構築できるネットワークの重要性について何時間も話し合った。

私たちは、悪人が悪事を行えてしまうようにする代わりに、保守的で仕事の遅い機関による承認を待たずに善人が迅速に行動できるようになるメリットというトレードオフについて何時間も話し合った。

最終的に、私たちはネットワーク自体は完全にオープンであり、コントロールは他のレイヤー、可能な限りはテクノロジーで、あるいはどうしても必要な場合は法律で構築されるべきだと意見が一致した。

この原則はビットコインの核心であり、おそらく最も価値があり永続的な特徴である。

サトシの正体

レンはサトシではないという合理的な理由をあげる人は多いが、私の見解では、そのような人はレンがどのような人物だったかを知らない。こうした意見に対する私の回答は次のとおりだ。

  • 「レンは裕福ではなかったし、彼の家族は今も裕福ではない」
    レンは、テクノロジー業界で働く目的は金持ちになることではなく、私たち全員が暮らしたいと願う未来を創ることだと信じていた。これは、ビットコインの生みの親がマイニングしたビットコインが動かされていないことを考えると、サトシがビットコインから本来得られるはずの利益を決して得ていない事実とよく合致する。レンが自分のマイニング・ウォレットの秘密鍵を破壊し、自分や他の誰かが自分のやったことで利益を得られないようにする姿は、100%目に浮かぶ。
  • 「レンはビットコイン懐疑論者で、ツイッター(現X)で批判的だった」
    レンは、自分が深く関わっているプロジェクトに対して、しばしば、とても批判的だった。自分の仕事が素晴らしいものであっても、十分ではないと信じることが、彼の性格の表れ方のひとつだった。それらの批判を公表することは、彼が本当にサトシであれば求めているであろう匿名性と距離を保つためには良い方法だっただろう。

その他の点としては、以下のようなものがあげられる。

  • レンは、イノベーションのためのオープンでパーミッションレスなネットワークを構築することを強く信じていた。ビットコインの持つこの特徴こそが、私がビットコインに惹かれた最初の理由であり、レンがそのようなネットワークを構築したとしても驚きは無い。
  • レンは、権力よりも個人の権利を完全に信じていた。同時に、彼は初期のビットコインコミュニティに集まった自由主義者のタイプではなかった。彼がサトシだったら、自分の作品が一攫千金を狙う人々に利用されるのを見て、同プロジェクトから離脱し、おそらく憂鬱が増しただろうことは間違いない。

誤解のないように言うと、レンと私はビットコインについて話したことはなく、彼がサトシだったとしたら、彼が私や友人たちとビットコインについて話したがらないのは容易に理解できる。結局のところ、彼がサトシだったかどうかはわからない。彼のスキルと人柄を考えれば、確かにそうだったかもしれないのだ。

いずれにせよ、レンは素晴らしい人物で、世界が彼に与えた扱いよりも、良い扱いを受けるに値した人物だった。彼の思い出は、私の心の中で輝いている。

最後に、本稿に目を通し、事実確認をしていただいた、レンの高校時代の親友の一人、カール・ジェイ・パルディーニ(Carl Jay Pardini)氏に感謝申し上げる。

|翻訳:T.Minamoto
|編集:CoinDesk JAPAN編集部
|画像:レン・サッサマン氏、2006年頃(Simon Law/Wikimedia Commons)
|原文:My Friend, Satoshi?