2023年、スペイン東海岸の穏やかな夜、オリビエ・アクーニャ(Olivier Acuña)は、これまで何百回となく行ってきたように、自分の全財産を別の暗号資産(仮想通貨)ウォレットに送金するためにコンピュータの前に座っていた。
「暗号資産の送金は常に不安を引き起こす」とアクーニャはCoinDeskに語った。その夜、この言葉は、痛いほど真実味を帯びた。
アクーニャが送金ボタンを押したとたん、すべては終わった。40万ドル(約6280万円、1ドル=157円換算)相当の暗号資産、つまり彼の全財産が、匿名のフィッシング詐欺師によって盗まれ、消えてしまったのだ。アクーニャの耳に突き刺すような音が響き、体は火照り、彼は拳を握りしめた。
アクーニャの損失は、誰も暗号資産ハッキングに無縁ではないことを示している。彼は暗号資産業界7年のベテランで、ブロックチェーンに潜む危険性から、警戒の必要性をしっかりと理解している人物だ。
アクーニャはかつて、数十年にわたってジャーナリストとして仕事してきた。メキシコの暴力的な麻薬カルテルや刑務所での拷問に直面し、警戒を怠らないことは必須だった。
それなのに、彼は暗号資産詐欺の多くの犠牲者の一人となった。2023年、米国当局は6万9000件、総額56億ドル以上の暗号資産窃盗の報告を受けた。
盗まれた暗号資産を取り戻すことは難しい。通常の銀行口座が被害にあった場合は、ほぼ確実に保険で損失がカバーされる。しかし、暗号資産にはそのような高度に規制されたシステムはない。暗号資産は周知のとおり、意図的に分散化されている。
そのように仲介者を排除することは、暗号資産利用者が切望する組織からの自由を与える一方で、諸刃の剣にもなっている。ゲートキーパーを取り払うことは、人々をワンクリックで破滅に追いやる可能性もあるのだ。
ハッキング自体は、特別な手口ではなかった。アクーニャはLedgerのハードウェアデバイスで資金にアクセスできなかったため、ソーシャルメディアを通じてカスタマーサポートに連絡した。するとサポートになりすました詐欺師がやって来て、30分後には、アクーニャは詐欺師の罠にはまっていた。
「フィッシング詐欺は今でも信じられないほど多発している」と、Web3セキュリティを手がけるImmunefiのトリアージ責任者エイドリアン・ヘットマン(Adrian Hetman)はCoinDeskに語り、次のように続けた。
「犯罪者はフィッシング詐欺を、大規模にユーザーの資金を盗み、ソーシャル・エンジニアリングを使ってプロジェクトのインフラをより高度に攻撃する効果的な方法と見なしている。暗号資産の世界ではフィッシング詐欺の被害が拡大している」
アクーニャは再び、無力さを感じていた。メキシコでの冤罪による投獄という恐ろしい試練の後、彼の救いであったブロックチェーンに今回は翻弄されることになった。
潜入捜査
アクーニャは1990年代にジャーナリストとして活動を始めたが、そのキャリアによって彼は政府による検閲、冤罪による投獄、殺害予告に直面した。
組織犯罪、選挙、汚職に関するアクーニャの仕事は、すぐにUPI通信社とメキシコの新聞「レフォルマ(Reforma)」によって注目され、世界で最も悪名高く暴力的な麻薬カルテルに深く潜入するようになった。
アクーニャはロスモチスからマサトランまで西海岸を走るメキシコのシナロア州を拠点としていた。この肥沃な山岳地帯は組織犯罪の温床となり、ホアキン・“エル・チャポ”・グスマンの悪名高いシナロア・カルテルを生んだ。
シナロア・カルテルに関する報道からアクーニャはやがて、フリージャーナリストとして独立。その記事はAP通信やロイター通信にも取り上げられるようになった。メキシコでの彼のキャリアが激動の頂点に達したのは、この頃であった。
アクーニャの汚職に関するある記事が当局の目にとまり、彼らはもう我慢できなくなった。検事総長の武器を隠しているとして、アクーニャを告発。アクーニャは16時間拷問を受けたという。
「ある日、私は想像を絶するほど暴力的に車に放り込まれた。拷問で有名な警察司令官を送り込み、私を拉致した。16時間もの間、水責めにされ、縛られ、血行を断たれ、後屈の姿勢に無理矢理体を反らされた。『隣の部屋にはお前の家族がいる。一人ずつここに連れてきて、銃のありかを言うまで、お前の目の前で殺す』と言われた」
アクーニャはその後、(アクーニャは虚偽だと言っている)嫌疑により2年間投獄されたが、告発は後に取り下げられた。彼はメキシコ当局を相手に、人権訴訟を起こした。
暗号資産は救いか、それとも…
2017年、アクーニャは苦難の過去から再出発を決意。素晴らしく奇妙な暗号資産の世界に足を踏み入れた。決済会社エレクトロニアム(Electroneum)の広報、ブロックスライブ(BloxLive)のテレビプロデューサー、そして最近ではDePIN(分散型物理インフラネットワーク)企業IOTEXの広報を務めた。
彼の耐えてきた厳しい過去は、暗号資産業界への準備になった。この業界は伝統的金融セクターに受け入れられつつあるにもかかわらず、黎明期のワイルドウエスト(西部開拓時代)のような環境と格闘し続けているからだ。
アクーニャの経歴は、暗号資産業界で働く人々にとって一般的ではないかもしれないが、暗号資産業界の魅力は投機的な金銭的利益だけではないことを思い出させてくれる。政府、銀行、エリートの権力を抑制する業界でもあり、アクーニャにとってはそれが魅力的だった。
「暗号資産とブロックチェーンについて書き始めた最初の日、私はこう思った。『これは、表現の自由の欠如にまつわるあらゆる問題の解決策だ。これは、政府の腐敗に対する解決策だ。これこそ遂に、私が信念を持ち、情熱を持ち、実行できるものだ』と」
全財産を失ったにもかかわらず、アクーニャは暗号資産業界で働き続けている。しかし、暗号資産がメインストリームになるにはまだまだ時間がかかると、彼は警告する。
「マスアダプションを望むなら、シームレスである必要がある」とアクーニャは語った。今のところ、ユーザー体験は「不安を誘うものだ。暗号資産を送るたびに、『間違えたのでははないか?お金を失うのではないか?』と考える。毎回毎回だ」。
「すべての暗号資産が同じアプリの中にあり、どのネットワークであろうと関係なく、好きなものに変換して送ることができるようなアプリが登場しない限り、普及するとは思えない」
この点が業界にとって、依然として大きなハードルとなっている。技術に精通したミレニアル世代は、イーサリアムで資産を購入し、ソラナにブリッジし、Pump.funでミームコインを購入してから取引所に送る方法を知っているが、大多数の一般人は知らない。
「暗号資産から手を引きたくないし、暗号資産にはまだワクワクしている」とアクーニャは言う。
「お金の移動は常にトラウマになるのだろうか? そうだろう。それでも私は、このセクターが大好きだ」
※敬称略
|翻訳・編集:山口晶子
|画像:オリビア・アクーニャ(CoinDesk)
|原文:How a Journalist Went From Exposing Mexican Cartels to Losing His Crypto Life Savings