国内の酒類市場で無許可転売が深刻な問題となっている。2023年末に大阪国税局が20代の男性を酒税法違反で行政処分した事例は、この問題の一端を示している。男性は1500本、2500万円相当の高級ウイスキーを購入し、価格を上乗せして転売していた。
この問題は新型コロナウイルス感染症を機に顕在化し、その後も拡大を続けている。全国の国税局による行政処分は年々増加傾向にあり、フリマアプリやネットオークションの普及がさらなる拡大を後押ししている状況だ。
興行チケットの不正転売に関しては、2019年6月に「チケット不正転売禁止法」が施行され、オンライン上での高額転売が規制されている。一方、酒類の転売に関しては、従来の酒税法による規制だけでは、デジタル化が進む市場への対応が追いついていないのが実情だ。
酒類販売には免許が必要で、違反した場合は1年以下の懲役または50万円以下の罰金が科される規定(酒税法第56条)があるものの、取り締まりは容易ではない。
国税庁は、家庭で不要になった酒類を単発的に売却するケースは免許不要としているが、継続して出品・販売を行う場合は販売業免許が必要と定めている。しかし、「継続して」や「単発的」の定義は明確でなく、フリマアプリやオークションサイトでの取引実態に即した規制とはなっていない。
また、品質管理の観点からも、家庭での保管状態や製造からの経過期間を確認できない酒類の流通は新たなリスクをはらんでいる。
特に深刻な影響を受けているのが、プレミアム日本酒市場だ。フリマアプリやネットオークションでは、希望小売価格の2倍から3倍の価格で取引される商品が後を絶たない。飲食店や結婚式を装った大量購入、製品の識別番号を消去した転売など、手口は巧妙化している。品質管理の観点からも大きな課題となっており、製造から消費までの適切な期間を超過した商品の流通も確認されている。
こうした状況に対し、日本酒「獺祭(だっさい)」で知られる山口県岩国市の旭酒造は、ブロックチェーン技術を活用した新たな対策に着手している。
最高級酒「Beyond the Beyond」へのこだわり
旭酒造は、同社の最高級日本酒「獺祭Beyond the Beyond 2024」に、世界初となるチタン素材対応の開封検知機能付きNFC(近距離無線通信)タグを導入した。
「BeyondtheBeyond」は年間生産本数を23本に限定し、世界の一流ホテルや富裕層向けに提供されている特別商品だ。販売される場所によっては1本数百万円にもなる。原料となる山田錦は、旭酒造が主催するコンテストでグランプリを獲得した最高品質の米を使用。1俵50万円という特別な原料米を60俵使用するため、タンク1本あたりの原料米コストは約3000万円に達する。
「いい米を使って終わりではわけではなく、磨けるところまで精米を進めていく。醸造の部分でもうちの酒作りのトップ2人が、朝から晩まで付きっきり。時間も精神的なものも全部を費やしている」と旭酒造の桜井一宏社長(写真上)は説明する。
その品質基準は極めて厳格で、過去には大吟醸として優れた出来栄えであっても、「獺祭らしくない」という理由でその年の販売を見送った例もあるという。
この最高級酒に導入されたのが、SBIトレーサビリティとUniTagが共同開発した「SHIMENAWA(しめなわ)」システムだ。通常、NFCタグはチタン素材と接触すると内部アンテナの周波数帯に影響し読み取りができなくなる。今回開発されたタグは、チタン製ボトルでも読み取り可能で、開封検知機能も備えている。
このシステムは米R3社開発のエンタープライズ向けブロックチェーン基盤「Corda(コルダ)」とUniTagのNFC/RFID技術を組み合わせたもので、日本酒の真贋証明、開封検知、正規品管理機能などを提供する。
購入者はスマートフォンでNFCタグにタッチすることで開封情報をブロックチェーンに記録でき、アプリ画面で「開封済」が証明される。旭酒造はこの通知を受け取ることにより、「いつ」「どこで」「どのくらい」消費されたかのデータを取得することが可能となる。
また、SHIMENAWAには限定サイトへの誘導やNFTを配布する機能も実装されており、マーケティング分野での活用も期待できる。
旭酒造は効果的な転売対策を模索する中、SBIトレーサビリティからの提案を受け、SHIMENAWAの採用を決めた。
現在、このNFCタグ付きの「Beyond the Beyond 2024」は流通済みだが、まだ開封通知は届いていない状況だという。「基本的には飲食店から『もう飲んだよ』という連絡は入っているが、タグの読み取り自体はまだのよう」と桜井社長は現状を説明する。
価格高騰より大きな問題
「ワインもウイスキーも、ある程度人気が出てくると転売の影響にさらされる。これは私たちも例外ではない」
獺祭のような高級日本酒において、転売は単なる価格高騰以上の問題をはらんでいる。
「品質管理がちゃんとできないというのが一番の課題。私たちは海外に送る際は冷蔵コンテナを使用し、酒屋さんでも長期保管時は冷蔵庫に入れてもらう。しかし転売の場合は、コストを優先してそういった管理が望めない。それが私たちにとって大きな抵抗となっている」
獺祭は、20年以上前から海外展開を積極的に進めてきた先駆者的存在だ。現在では売上の約半分が海外市場によるものだという。2024年9月期の決算によると、獺祭の日本での売上高は195億円(このうち清酒は187億円)で、内訳は国内100億円、海外輸出87億円となっている。特にアメリカと中国が主要市場だが、これらの数字にはアメリカの酒蔵での売上は含まれていない。
ちなみに裏話だが、獺祭が脚光を浴びたきっかけについて、一般的には「安倍首相がオバマ大統領にプレゼントした」とされているが、事実は違うという。
「実際には、安倍さんがアメリカに行った時に、オバマさん側がサプライズで用意して、ホワイトハウスの晩餐会に出したのが一番インパクトがあったんです」。大使館を通じてホワイトハウスから直接オファーがあったもので、安倍首相本人も晩餐会の席についてメニュー表を見るまで知らなかったという。「よく安倍さんがサミットに出したという話を聞きますが、サミットに出たことは一度もないんです」と桜井社長は笑う。
国際展開における課題も浮き彫りになってきた。「転売された商品が大量に税関で見つかったという報告を受けることもある」。こういった課題に対応するため導入を決めたのが、ブロックチェーンによるトレーサビリティ(追跡)システムというわけだ。
「今回のシステムが全てを解決するとは思っていない。現状では穴が多い」と桜井社長は率直に語る。しかし同時に、「触らずに文句を言うのではなく、限定的でもいいから始めてみて可能性を探っていく」と前向きな姿勢を示す。
酒造メーカーを悩ませる根本的な問題もある。業界全体の衰退だ。「日本酒業界は昭和49年からずっと下降トレンドにある。この20年で酒蔵の数は2000から1200程度にまで減ってしまった」という。
国税庁がまとめた「酒類製造業及び酒類卸売業の概況(令和3年調査分)」によると、日本酒を製造する事業者は1167にまで減少している。
農林水産省によると、日本酒の国内出荷量は、ピーク時(1973年)には170万キロリットルを超えていたが、他のアルコール飲料との競合などにより減少が続いている。特に2018年以降は特定名称酒(吟醸酒、純米酒等)も同様に減少幅が大きくなり、2023年では約39万キロリットルまで減少している。
桜井社長は、日本酒市場が低迷する原因について「おいしい日本酒をちゃんと飲んでもらうことを、皆が努力しきれていなかった」と作り手と売り手双方の課題を指摘する。
日本酒復活へ
先端テクノロジーを積極的に取り入れる旭酒造だが、デジタル技術の活用について現実的な見方も示す。
「お酒は『ものがある存在』だし、フィジカルなものの方が動きやすい。デジタルについては、むしろお客さまが自発的に発信してくれるものが強い」
このような認識のもと、同社は従来、お酒の会などのリアルイベントを通じた消費者とのコミュニケーションを重視してきた。ホームページのブログ「蔵元日記(Kuramoto diary)」を覗けば、その活発さを知ることができる。
また、それは酒造りについても同様で、200人もの蔵人という驚くべき人数が酒造りに携わりながら、その上で人の技を補完する手段の1つとして、データや最新技術を活用している。
その上で今回のSHIMENAWAシステム導入について、「品質を上げて、お客さまにとっての価値を高めていく“1つの手段”と割り切って取り組んでいる」と桜井社長は説明する。
システムの展開には具体的な課題も見えてきている。「このシステムをお酒だけではなく一般の消費財にまで広げられれば、マーケティングの新しい可能性が開けるかもしれない」とのCoinDesk JAPANの提案に対し、桜井社長は「可能性はあると思う。ただし現状では、NFCタグの導入でコストが2~3割上がり、機器の設置や人件費も必要。流通が負担せざるを得ない利用者への説明コストもかかる。結局それは消費者が負担するか、企業が利益を削るしかない」と課題を指摘する。
このような課題を踏まえ、現在の計画では実証実験的なアプローチを採用している。「まずは高額な特別商品(Beyond the Beyond)のラインナップに導入して、効果があるようならば他の商品へと展開を広げていきたい」と可能性を探る。
転売対策としてブロックチェーン技術に期待を寄せる獺祭の取り組みは、まだ始まったばかりだが、「できないと言って放置するのではなく、まずは始めてみる」と桜井社長は繰り返す。その眼差しは、業界の課題解決の先にある、「日本酒復活」を見つめている。
この獺祭の取り組みは、日本におけるブロックチェーン技術の実用化の一例だ。トレーサビリティ分野では、キリンビールがIBMの技術で製造工程を可視化し、KlimaDAO JAPANは「J-クレジット」のトークン化でカーボンクレジット市場の透明性向上を目指している。NFTの活用も広がり、ソニー銀行が歌手LiSAのツアーと連動したキャンペーンを展開。ゲーム分野では「オフ・ザ・グリッド」が配信サービスで1位を獲得するなど、2024年は多分野でブロックチェーンの実用化が進んだ。
|文:栃山直樹
|画像:旭酒造提供