【芥川賞】仮想通貨小説「ニムロッド」が問う“ビットコインの存在意義”

2019年1月、仮想通貨をテーマにした小説『ニムロッド』が第160回芥川賞を受賞した。会社に命じられてビットコインの採掘をはじめた主人公の気づきを通して、仮想通貨やブロックチェーンの本質が“文学的かつ情緒的に”理解できる、前代未聞の作品だ。著者の上田岳弘氏は39歳で、IT会社の現役役員。同作の執筆経緯や仮想通貨観を聞いた。

上田岳弘(うえだ・たかひろ)
1979(昭和54)年、兵庫県生れ。早稲田大学法学部卒業。2013(平成25)年、『太陽」で新潮新人賞を受賞し、デビュー。2015年、『私の恋人』で三島由紀夫賞を受賞。2016年、『GRANTA』誌のBest of Young Japanese Novelistsに選出。2019年、『ニムロッド』で第160回芥川賞を受賞。著書に『太陽・惑星』『私の恋人』『異郷の友人』『塔と重力』がある。

サトシ・ナカモトと「桜花」の大田正一

──なぜ仮想通貨をテーマにしたのでしょうか。

2018年のはじめにビットコインが暴騰するまでは、ニュースとして知ってはいましたが、作家的興味と呼べるものはありませんでした。ところが暴騰のタイミングで色々と調べてみたら、ビットコインの提唱者がナカモト・サトシという日本名。しかも日本人ではないらしい。興味を惹かれたんです。なぜ日本名なのか。しかも最小単位が「satoshi」って(笑)。そして、2年ほど前にNAVERまとめで見つけた「ダメな飛行機コレクション」のことを、ふと思い出しました。

出典:NAVERまとめ「ダメな飛行機コレクション

──作中、中本の先輩・荷室(にむろ)が、メールで中本に送りつけてくるものですね。

はい。以前読んだ時に、「ダメな飛行機コレクション」の中にあった日本軍の特攻機「桜花(おうか)」が頭に残っていました。特攻という目的を達成してはいますが、着陸することも、旋回して戻ってくることもできない、飛行機としてはダメっぷりを極めた機体です。「桜花」の発案者は海軍特務少尉の大田正一さんという方で、戦後に世間から叩かれて自殺を試みるも死にきれず、その後は名前を捨てて生きていました。名前だけが存在しているサトシ・ナカモトと、名前を捨てた大田正一。このふたりが背中合わせに見えたので、2要素を駆動させれば作品になるだろうと踏んだんです。

──「ダメな飛行機」の中には、タイトルにもなっている「BAE ニムロッド AEW.3」というイギリスの機体も出てきます。

それは偶然なんですよ(笑)。タイトルは、旧約聖書に登場するバベルの塔を建造したニムロッドから。当時、僕の一連の著作群で「塔」のモチーフが占める割合がどんどん大きくなっていて、バベルの塔と比較するような書評も見受けられるようになりました。バベルの塔は使い古されたモチーフなので、今さら使うのは多少恥ずかしくはあったけど、まあ、やってみようかなと。

ビットコインの価値はどこから生じるのか?

──「実現不可能なこと」意味するバベルの塔をはじめ、たくさんの比喩やアナロジーを用いて仮想通貨の本質に迫っていますね。なかでも「ものの価値は何によって担保されるか」は印象的な論点でした。

古典的な心理学で言うなら、ジャック・ラカンの鏡像段階理論ですよね。「誰かが欲しがっているから、自分も欲しい」。それをソースコードで表現した結果、実際に価値を持ってしまったのがビットコインであり仮想通貨です。しかも、今までの人間の歴史において、「欲しいもの」は常に実体を伴っていたのに、仮想通貨には実体がない。にもかかわらず、価値が生じている。とても不思議なことですが、きっと人間の精神構造のなかで、なにがしかの「芯を食っている」からだと思います。

──仮想通貨を小説にたとえるくだりは、両者の本質があざやかに説明されていました。「書いているのは単なる取引履歴だけど 、実際にそれで価値が生み出され」るのが仮想通貨。「僕たちがここにこうして 、ちゃんと存在することを担保するために我々は言葉の並べ替えを続ける」のが小説であると。

ソースコードだって文字の羅列ですから。それをコンピューターが読んで解釈してるだけ。そこに8兆円だかの価値があるなんて、ロマンがありますよね。

──ビットコインの「埋蔵量が決まっている」性質も示唆に富んでいます。

埋蔵量が決まってるというのは、貴金属のシミュレーションそのもの。ビットコインがこのまま存在し続けるならば、良きタイミングで埋蔵量を「増やす」プランなんかも、もしかしたら仕込まれているかもしれないと思うんですよ。それって、地球の石油が早晩枯渇すると言われながら、結局いつまでもなくならないことに似ています。

総量が規定されることによって価値が出るというのは、「デジタルなものは無限コピーできるから価値がある」とは真逆の価値観ですよね。価値観が一周回って跳ね返っている。そういう意味で、仮想通貨はもはや現実世界のシミュレーションをはじめている──という考えかたもできます。

ブロックチェーンは国家に対するアンチテーゼ

──その現実世界は、ブロックチェーンの普及によって今後どう変わっていくのでしょうか。

『ニムロッド』と同時期にYahoo! JAPANのスマホ向けサイトと文芸誌の「新潮」誌上で、『キュー』という作品を連載していました。同作のもっとも大きなテーマは「等(とう)と錐(すい)の戦い」です。「等」は文字通り、等しく分散していくイメージ。「錐」は一点に集まってくるイメージ。相反するふたつの概念の衝突を物語にしました。

出典:Yahoo! JAPAN「上田岳弘の長編『キュー』を読む」特設サイト

これを現実世界に置き換えるなら、「等」はブロックチェーン的なもの。「錐」は国家。これまでは「等」が社会に実装できていませんでしたが、今は実装がはじまっている。結果、仮想通貨という、ものすごい価値が生みだされています。

仮想通過に投機的な気運が生まれた背景には、「現状存在する国家ベースの通貨とは違うものを作らなければいけない」という、人間の集合的無意識が働いている気がするんですよ。ドルや円といった国家由来通貨に対するアンチテーゼ的な気分、すなわち「錐」に対するアンチテーゼとしての「等」です。

そんなブロックチェーン技術の構造や世界観を文学に落とし込んだのが『ニムロッド』である、という側面もあります。分散処理によって「みんなで価値を支えていく」仕組みが実装されているのが現代であり、そこには世相が繊細に反映されている。今までの通貨は、国がなりなんなりが支えないと価値なんて生まれなかったけど、明らかに変化している。そういう気分を作品に込めました。

ビットコインも文学も「わからなさ」である

──世相の反映で言うと、作中の登場人物・田久保紀子は「人類の営みみたいなもの」に「のれない」と口にして、結婚や出産に消極的な意思を示します。このことや「ダメな飛行機」が象徴するものを通して、人間やITにとって「生産性とはなんぞや」を問題提起している作品でもありますね。

生産性を上げると余剰ができる。その余剰によってさらに生産性を上げようとする。でも、それを延々繰り返して一体どこに行き着くんだよと、僕は思うんですよ。生産性を上げるためのライフハックも、ある程度はありですが、突き詰めすぎると、とんでもない方向に行くじゃないですか。5、6年前にライフハックの気運がすごかった時期があって、友達の会社に遊びに行ったら彼の社員のパソコンの前に大仰なTo Doリストが貼ってあるんですよ。To Doリストに支配されていると言ってもいい。お前はなんなんだ、機械なのかと突っ込みたくなりました(笑)。

もうそろそろ、時代的に効率化やライフハックを止めるタイミングじゃないですかね。ライフハック的なものは、ビジネスチャットツールのSlack(スラック)程度で十分でしょう。普通にタスクだけこなすんだったら、仕事の物量は昔と比べてだいぶ減りましたよ。調整ひとつ取っても、コミュニケーションがすごく楽になりました。正直言って、人間はもう8時間も働く必要がないかもしれない。そういった意味でも『ニムロッド』が、この先の人間は余剰を何に注ぐべきかを考えるきっかけになってほしいですし、もっと言うなら「余剰で何をするか」の答えのひとつが、「文学」であってほしいと思います。

──「余剰を埋める」以上に小説が担う役割を、何だと考えますか。

たとえば今、映画の興行成績はビッグデータ的に「こういうストーリー、こういう俳優だったら興行収入は何億円くらい行きそう」という感じまで、一応落とし込めているという話を聞いたことがあります。ちろん現実はそんなに単純ではないと思うですが。でも文学は、そもそもそれよりずっと手前にいて、むしろ「わからなさ」みたいなものを作り続けている。それがキモだと思うんですよ。

ブロックチェーン技術によるビットコインと同じく、「なぜそこに価値があるのか」が結局のところはわからない、解析しきれないのが小説であり、文学です。それらを「ほーら、解析してみろよ」みたいな態度で出し続けられるのが、AI(人工知能)とは違った人間の固有性かなと思います。今のところは。

構成:稲田豊史
編集:久保田大海
写真:多田圭佑