ジル・カールソン(Jill Carlson)氏は無料でオープンな金融システムの権利を目指す非営利の研究組織Open Money Initiativeの共同創業者。アルゴランド(Algorand)、リスクラボ(Risk Labs)、dYdX、コインリスト(CoinList)、テゾス(Tezos)などのスタートアップのアドバイザーおよびコンサルタントも務めている。
なぜ仮想通貨は主流になっていないのか?
「スケールしない」
「遅い」
「高い」
「ボラティリティが大きい」
「使いにくい」
もしくは、そもそも主流を目指していなかったのかもしれない。
だからと言って、仮想通貨の重要性、意義、有用性が低いと言っているわけではない。むしろ、我々は仮想通貨の成功(もしくは失敗)を間違った基準で測っているのかもしれない。魚は木に登る能力で評価できない。
設計上、仮想通貨は主流の問題を解決できない。スケール、スピード、コストはすべて、実体経済からウォール街に至るまで、ファイナンスの主流な問題の例だ。
クレジットカードのネットワークがダウンする。株式の取引は決済に数日かかる。銀行送金はお金がかかる。
状況によっては、仮想通貨はこれらの問題を少しは改善できるかもしれない。だが多くの場合、ブロックチェーンベースのシステムは、より伝統的、中央集権的ソリューションと比べるとうまくいかないだろう。
設計上の不備?
これは設計の不備を意味するわけではない。実際、これは意図的なトレードオフだ。
分散型システムは、スケール、スピード、コストを1つの重要な機能のために犠牲にしている──検閲への耐性だ。仮想通貨は、検閲を受ける人、つまり本質的に主流ではない人が直面する問題を解決する。
特に仮想通貨は、個人や組織が検閲を受けつつも取引を行うことを実現する。インターネットでの薬の購入。これは検閲を受ける取引の一例。アルゼンチンで米ドルを購入することもそうだ。
セックスワーカーへの支払い。イランの友人への送金。銀行口座を持っていない個人としてオンラインショッピングをすること。薬局として大麻を販売すること。ベネズエラからお金を持ち出すこと。香港の反体制派を支援すること。
仮想通貨の第一の有用性は、抑圧あるいは禁止された金融活動に関わるところにある。
自由のツール
これは、仮想通貨の意図として明示されている。ビットコインの生みの親サトシ・ナカモトは仮想通貨を自由のツールと呼んだ。彼はビットコインを、同じように検閲に対して耐性を持つトーア(Tor)のようなピア・ツー・ピア・ネットワークに例えた。
逸話的な証拠を見れば、実際にこのことが中国からパレスチナまで、さまざまな場所でビットコインの使用方法であることがわかる。さらに手に入るわずかな定量データも、仮想通貨の利用は金融規制が厳しい国で盛んなことを示唆している。
これらの結果は、長年存在してきた仮想通貨の普及をめぐる予測と一致する。仮想通貨は、法律や社会構造を破る時に最も有用──この、おそらく不愉快な現実を直視する時だ。
プライバシーを保護する技術
検閲に抵抗し、プライバシーを保護する技術には長い歴史がある。例えば、メッセージングにはシグナル(Signal)、ファイルのシェアにはビットトレント(Bittorrent)、ウェブの閲覧にはトーア。ビットコインと同様に、これらのツールは主流派向けには作られていない。
ほとんどの人はフェイスブック・メッセージ(Facebook Message)、ドロップボックス(Dropbox)、グーグル・クローム(Google Chrome)などのより速く、よりスムーズで、よりカッコいい、中央集権型の選択肢を使いたがるだろう。
しかし検閲を受ける人々や組織のために、分散型技術は常に逃げ道を提供してきた。これらのプラットフォームは存在するだけで、一定レベルの社会的な不快感をもたらしてきた。この不快感は、こうしたツールが無法状態であることに起因するわけではない。
規制は、どの法域とも同じくらいダークウェブにも存在する。むしろ、政府の政策や社会的規範を執行しようとする時に、これらのプラットフォームが表す困難に起因する。これらの技術は、検閲を受ける行為を止めることをより困難にしている。
良いこと、悪いこと、その間のあらゆること
分散型技術は、良いこと、悪いこと、その間にあるあらゆることに使える。ハンムラビ法典から愛国者法(Patriot Act)まで、法の倫理性は常に議論の的だった。ある法域の法律はしばしば、その国民や他の地域の人々には非倫理的で受け入れられないと見なされる。
仮想通貨が主に違法行為や社会的に受け入れられない行為に使われていると発言することは、規範的なことではない。仮想通貨は、自由の戦士、テロリスト、ジャーナリスト、反体制派、詐欺師、ブラックマーケットのディーラー、革命家、そして政府関係者によって使われている。
市民が不当な法を破り、人道的な危機を逃れるために使われ、そしてまさにそうした法を定めた為政者によって使われている。そしてもちろん、これは分散型支払いシステムの元祖についても言える。現金だ。
主流を目指すべきなのか?
業界として、仮想通貨の主流派への普及をいかにして促進するかを検討することに多くの時間が費やされている。私個人としては、仮想通貨が主流として使われるようになった世界には住みたくない。そうなったとしたら、その世界は本当に恐ろしいところになる。
これは、分散型技術を改善させる取り組みを阻止したり、その価値を低めるものではない。業界の多くのプロジェクトは、技術の欠陥を最適化することに取り組んでいる。
レイヤー2プロトコルは、スピードアップを実現する。新しいコンセンサス・メカニズムやシビル攻撃を防ぐことは、スケーラビリティを改善し、インフラコストを削減できると期待されている。よりユーザーフレンドリーなウォレット、オンランプ、取引所、その他のツールが開発されている。
これらすべての開発は重要だが、大規模な普及には決してつながらないかもしれない。しかしスケーラビリティ、スピード、コスト、ボラティリティ、そしてユーザーエクスペリエンスの改善は、いかに非主流であろうと、ユーザーにとって、重要な違いをもたらす。
ビットコインで生き延びているベネズエラの若い女性や、国境を超えた取引にテザーを使っている中国のビジネスマンのように。
仮想通貨を主流への普及で評価することは、達成を決して目指していない指標で評価することだ。
翻訳:山口晶子
編集:増田隆幸
写真:Jill Carson, co-founder of Open Money Initiative
原文:Cryptocurrency Is Most Useful for Breaking Laws and Social Constructs