鎌倉の「まちのコイン」、東京・丸の内の「東京ユアコイン」、大阪の「近鉄ハルカスコイン」……。国内でデジタル地域通貨のブームが再燃しそうだ。
慢性的に地方経済が伸び悩む日本で、キャッシュレス化を進める特効薬としてのスマートフォン・決済アプリが人気を集める中、企業と行政は、地域通貨を使いながら社会課題を解決する動きを強めている。デジタル地域通貨の効用は、果たして期待できるのか。
ブロックチェーンを基盤とするプラットフォームを作り上げ、事業を展開するエリア全域に独自の地域通貨を巡らせる。エリア内での移動や宿泊、買い物における決済は、スマートフォン1台でデジタルに完了する。ブロックチェーンに蓄積されたデータを利用して、より正確な顧客の消費動向を把握すれば、効果的なマーケティング戦略を打ち出すことができる。
こんなビジネスのエコシステムを作り上げようとしているのが、大阪、奈良、京都、三重を中心に鉄道事業を展開する近鉄グループホールディングス。観光列車の「しまかぜ」や「青の交響曲(シンフォニー)」で知られる、100年以上の歴史を持つ大阪の企業だ。
旅行者がつくる経済圏のデジタル化
近鉄は2018年頃から、この構想の一環であるデジタル地域通貨と、鉄道・バス・タクシーの移動手段をシームレスにつなぐMaaS(モビリティ・アズ・ア・サービス)の開発を加速している。
ビルとしては日本一の高さを誇る「あべのハルカス」で、デジタル地域通貨「近鉄ハルカスコイン」を使った社会実験を2度にわたり実施してきた。実験で得られた学びを生かして、2019年11月には、場所を風光明媚な伊勢志摩エリアに移し、地域通貨「近鉄しまかぜコイン」の運用を3カ月限定で行った。
現金を近鉄しまかぜコインに替えて、スマホアプリでチャージする。1コインは1円。1人あたり10万円までチャージできる。電車のしまかぜに乗ってやってくる旅行客は、ホテル、温泉、美術館、レストラン、お土産屋で近鉄しまかぜコインを使って旅を楽しむ。
一方、「ぶらりすと」は、期間限定の観光地型・MaaSアプリ。2019年10月に1回目の利用実験を経て、今年1月9日から3月末までの間、2度目の実験を行なっている。志摩エリアを訪れる旅人が、スマホアプリに目的地を入力すれば、近鉄グループの鉄道、バス、タクシーの予約・決済を行うことができる。多言語対応で、国内外どこからでも操作が可能だという。
MaaS、地域通貨、デジタル乗車券
2月、近鉄はブロックチェーンを使った「デジタル乗車券」の実験プロジェクトも実施した。スマホアプリで自動改札を通過できる取り組みの研究を進めていく。今後、ブロックチェーンを広く活用しながら、地域通貨とMaaSにフォーカスを当てた、新たなビジネス・エコシステムを作り上げていく。
鉄道事業を軸に、不動産、ホテル、百貨店、スーパーなどのビジネスを運営する近鉄。年間の売上収益は1兆2000億円を超える。近鉄はなぜ、次世代の事業プラットフォーム開発のペースを速めるのか。
少子高齢化、人口減少がより早く進む多くの地方都市において、鉄道の沿線人口と、定期収入の減少傾向は、事業の成長と企業価値の向上を進める上で、克服すべき大きな課題だ。
「沿線外からの顧客の呼び込みが不可欠」と近鉄は説明する。
近鉄が描く構想では、同社グループのそれぞれの事業領域と、地理的エリアで形成される経済圏で、顧客を引き止める「接着剤」としての地域通貨が利用されるようになる。それが一つのスマホアプリで管理できれば、客が、その利便性から、近鉄が提供するモノとサービスの消費をリピートする可能性は高まる。
しかし、100を超える国でその感染を広げ、世界経済の成長を失速させるほどの新型コロナウイルスの問題は、近鉄に限らず、多くの企業が立てる事業計画を遅延させる可能性がある。人の移動や宿泊、実体験が不可欠な鉄道やホテル、飲食業には、ダイレクトに負のインパクトを与える。少なくとも短期的な収益の減少は必至だろうし、中長期的には、依然として不透明感が漂う。
ビッグシティを走る地域通貨──スマート化で遅れる東京
今年、東京のデジタルトランスフォーメーションを急ピッチに進めようと、小池百合子・都知事は、2020年を「スマート東京・元年」にすると宣言した。2月7日、元ヤフー社長で副知事を務める宮坂学氏は、その戦略ロードマップを記者説明会で披露。
「経済」、「テクノロジー」、「気候変動」、「人口構造」の4つの点で、東京は歴史的な転換点に直面しているとした上で、デジタルテクノロジーを積極的に導入して、グローバル都市としての東京の競争力を上げると、説明した。
都市全体のデジタル化における世界ランキングで、東京は28位に位置するという。ロンドン、シンガポール、ソウルがトップ3を占め、ニューヨークとヘルシンキ、モントリオールがその後を追うかたちだ。
「東京は世界では出遅れている。スペイン・バルセロナは先を行く。シンガポールもスマートに変えようとしている。もっと、がむしゃらにやらないといけない」と、宮坂氏は述べる。
都が主導する地域通貨「東京ユアコイン」を利用した取り組みは、キャッシュレス化を進めるモデル事業として、1月中旬から2月までの間行われた。
自由が丘などの東急電鉄の沿線地域を中心とする「生活エリア」と、丸の内・大手町・有楽町の「オフィスエリア」の2つに分け、時差通勤や、レジ袋・プラスチックごみの削減でポイントを付与した。利用者は延べ100万人を超えた。
都は、今回のモデル事業で得られたデータと、その効果を分析して、事業の継続を図っていく。協力企業を増やして、東京ユアコインを活用しながら、キャッシュレス化と環境保護対策をどこまで進められるのか。
一方、「日本の多くの地方都市が“小さな東京”になろうとしているが、その多くは、都市が持つ固有の価値を上げることができていないのではないだろうか」と話すのは、神奈川県・鎌倉市に本社を置く面白法人カヤックで、戦略執行役員を務める佐藤純一氏。
「小さな東京」戦略を捨てる──コインで作る濃いつながり
神奈川県が「SDGs」の普及と自分ゴト化を進める中、カヤックは昨年、鎌倉市内で神奈川県「SDGsつながりポイント」の実証実験を実施した。
SDGsとは:Sustainable Development Goalsの略で、持続可能な開発目標。2015年の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」に記載された、2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す国際目標のこと。17のゴール・169のターゲットで構成されている。
実験では、カヤックが既に開発した地域通貨サービス「まちのコイン」を元に、スマホアプリを開発。鎌倉市内の店舗や企業など22の団体が参加した。市内のビーチクリーン活動に参加するとコインがもらえ、フードロス(食品ロス)になってしまうパンをコインで受け取れるなどの仕組みを使った。
スマホゲーム開発事業を展開するカヤックは、地域通貨を利用したこのSDGsへの取り組みにゲーム性を持たせることで、参加者が楽しみながら、自然・地域・人に触れる機会を増やした。活動の参加頻度でボーナスコインが付与されたり、コインが増えるとユーザーのレベルが上がるような仕掛けを設けた。
「町づくりは行政がやるものと考える人が多いですね。鎌倉の場合、自分の町を良くしたい、暮らしの環境を整えたいと思う多くの人が、その活動を積極的に進めています」(佐藤氏)
地域の個性が資本となる鎌倉資本主義、コミュニティの人の力をアップデート
カヤックは、地域固有の魅力を資本と考え、「地域資本」と名づけた。その資本を高めるためには、コミュニティと人、人と人との濃いつながりが必要だという。地域通貨を活用することで、つながりは濃くなり、地域の社会課題を解決しやすくする。地域経済の活性化にもつながる。カヤックは、この考えを「鎌倉資本主義」と呼び、同社が展開する地方創生支援事業の拡大を図っている。
カヤックは現在、神奈川県・小田原市でも導入される「SDGsつながりポイント」事業を進める一方、福岡県で最大の森林を持つ八女市の創生事業に着手した。昨年、新たな林業の事業モデルを構築する八女市の企業「八女流」を子会社化した。
「それぞれの地域の独創的な個性(資本)を伸ばしていけば、小田原資本主義や八女資本主義として、地方都市がそれぞれの地域資本主義経済を形成していけるのではないだろうか。そのためには、コミュニティの人の力が大きな役割として機能してくる」と佐藤氏は述べた。
取材・文:佐藤茂
写真:多田圭佑