ウィリアム・ムーゲイヤー(William Mougayar)氏は『ビジネスブロックチェーン』(原題:The Business Blockchain)』の著者で、トークン・サミット(Token Summit)のプロデューサー、そしてベンチャー投資家。
我々はあたかも別の惑星から来た野獣であるかのように、仮想通貨を定義したり、分類しようとすることをやめるべきだ。
そうではなく、お金の未来としてただ受け入れればいい。仮想通貨は通貨だ。証券ではなく、証券法によって規制されるべきではない。ドル、ユーロ、人民元、ポンドは証券当局によって規制されていない。
継続的に検証、議論、分析する必要があるものかのように仮想通貨を定義し、型に入れ、分類しようとすることにほとんど価値はない。
代わりに、仮想通貨の普及を促進することに注力しよう。仮想通貨は花開き、今後も存在し続けるのだから。
「仮想通貨とグローバル金融システム(Virtual Currencies & the Global Financial System)」というテーマの先日のDLD 2020のパネルディスカッションでは、司会者の最初の質問は「仮想通貨の定義」だった。
3人のパネリストはそれぞれ、自身の定義を示すという(痛ましい)試みを行った。
「トークン資産からトークンエコノミーへ(From Token Assets to a Token Economy)」というダボス会議2020でのパネルディスカッションでは、トークンを仮想通貨の一種と捉えて議論した。
両方のパネルディスカッションでは、トークンと仮想通貨を新種の動物のように定義しようとしていた。
定義に意味はあるか?
仮想通貨をさまざまなタイプに分類することに、本当に意味はあるのだろうか?
仮想通貨は通貨のようなものだ。よりパワフルな性質を持つこと以外は。パワーの大きさが既存勢力を怖がらせ、新しい参加者を興奮させている。
長期的、そして最終的に、仮想通貨は現在の通貨と同じくらい幅広く、通貨に匹敵する多様性を持って使われるようになる。
現在、我々は仮想通貨をお金の将来の形として見ている。だが、将来は欠くことのできないお金の一部となる。
当初、eメールは新しいものであり、eコマースは奇抜なものだった。
オンラインで税務申告をしたり、免許証を更新することは、当たり前で、ときに唯一の選択肢になるまでは珍しいことだった。
オンラインバンキングは革新的で、オンラインで友達を見つけることは驚くべきことだった。数十億の人々にとって、オンラインでニュースを読むことはもはや当たり前だ。
現在、仮想通貨はその利用と理解がわずかな人たちの手に握られた特異なものになっている。だがすぐに我々の社会、習慣、ビジネス、政府に広がり、当たり前のものになる。
分類の泥沼
分類の泥沼に入れば、結果として生じる狂気と専門用語が生み出す混乱にすぐに気づくだろう。
ステーブルコイン、ステーキングされた通貨、ユーティリティトークン、セキュリティトークン、ネイティブコイン、デジタル権利トークン、ノンファンジブルトークン等々。
ステーブルコインと市場が動かすコインが存在する。
ステーブルコインは、ステーブル(安定した)という名前が示すように、ボラティリティが少ないコインのこと(アルゴリズム、あるいは資産に裏付けられた安定性を持っている)。一方のそうではないコインは市場の供給/需要による価格変動の影響を受ける。
仮想通貨は政府の裏付けを受けることも受けないこともできる。政府の裏付けを受けた仮想通貨はまだ珍しく、アクションよりもさらなる議論の対象となっている。
余談だが、仮想通貨は最終的に中央集権的に管理されたデジタル通貨になるだろう。分散型でプログラム可能な特定のブロックチェーンから生まれたものではないだろう。
トークンの分類もあいまい
目的を持った、本質的には仮想通貨であるトークンも存在する。そして法の領域に入れば、トークンは、どのようにして作り出されたか、誰が受け取るのか、その究極の機能は何かに基づいて、ユーティリティトークン、あるいはセキュリティトークンに分類される。
ほとんどのトークンにとって、排他的なユーティリティと、セキュリティのような性質の境目はあいまいだ。
ユーティリティトークンとセキュリティトークンの間には、ノンファンジブルトークン(NFT)もある。物理的なものが存在しないデジタル資産の独自の所有権を表すものだ(クリプトキティー、あるいは特別な戦車や剣のようなゲーム関連のものなど)。
残念ながら、規制当局を喜ばせるために、我々はこれら多くの分類を発明している。
トークンに関して規制当局と政府は動揺している。なぜなら紙幣の発行はかつては主権国家の権利だったにもかかわらず、企業は今、トークンを通貨として発行できるからだ。
しかし企業は数十年にわたって株式を発行してきた。株式は仮想通貨トークンが証券として機能する際に真似をする、もう1つの価値の形態だ。
次に、トークンの機能性について見てみよう。
利益を生むことはできるのか? 売ることは? 買うことは? 利用することは? 報酬とすることは?
支払いの単位になるのか? 特権的な行為(投票や情報へのアクセス獲得など)に対する権利だろうか?
利用せずに保有するだけで価値は上がるか? ブロックチェーンネットワークから生まれたものか、あるいは既存のプラットフォームや単独のアプリケーションに結び付いたものか?
上述の分類は今、我々が考えていることで、まだ考えていない新しい分類があるかもしれない。これらの機能の中には他とは明確に異なるものもあるが、その多くは互いに重なり合っている。
これが仮想通貨の分類が役に立たない理由だ。我々はまだ形成期にいる。
定義をやめる
現実をチェックする時だ。我々はまだ、インターネットを定義しようとしているだろうか? 誰もしていない。しかし初期の頃には定義を試みていた。
我々はお金をユースケースによって定義しているだろうか? 食料品を買うお金、通行料金を支払うお金といったように。あるいはお金をその性質によって定義しているだろうか?
お金の主要な性質は、移動でき、交換でき、検証でき、分割でき、そして希少な価値の単位であり保管手段であることだ。
仮想通貨はこれらすべての性質を受け継ぎ、さらにお金にはないユニークな機能が加わっている。
つまり、その不変性はデジタル(物理的なものではない)で、交換可能にも不可能にもなり、そのポリシーの適用は中央集権型である必要はなく、埋め込まれたロジックによって非常に強力なプログラム可能な能力を持ち、移動可能性はピア・ツー・ピア(中央集権的な仲介者は不在)だ。つまり、仮想通貨とは強化されたお金だ。
まずは、我々が知っているお金と共有されている、最も一般的な特徴にしたがって仮想通貨を使い始めよう。そこから進化していけば良い。
初期のウェブサイトはスクリーン上の見栄えの良いパンフレットであり、そこから単一的なユースケースを超えて、eコマース、eビジネス、双方向コミュニケーション、社会的交流など多くのユースケースへと進化していった。
仮想通貨を使うことは普通の人にとっては簡単ではなく、かなりハードルが高い。だが、状況は改善している。
仮想通貨にふさわしい場を与える時だ。新しいお金としてのポジションを手に入れるためには、まず簡単なユースケースから始めて、徐々にその種類と複雑性を増やし、その利用を拡大する必要がある。
仮想通貨を前面に押し出し、通常の通貨やウェブと同じくらい人気のあるものにする必要がある。
仮想通貨を制約するような方法で定義したり分類することをやめよう。そうではなく、可能性を切り開き、我々の生活やビジネスの中に定着できるような方法で使い始めよう。そうすれば受け入れられ、歓迎され、恐れられなくなる。
仮想通貨は新しいお金であり、新しい通貨。メインストリームの流れの中に入っていく時だ。
翻訳:山口晶子
編集:増田隆幸
写真:William Mougayar
原文:Defining Cryptocurrency Is the Best Way to Kill It