JPモルガン・M&A統括:「日本企業の買収が変わった。銀行は激変する」年間1.3兆円を注ぎ込むものとは

2008年の世界金融危機を境に、多くの人材が金融界(ウォール街)からテクノロジー業界(シリコンバレー)へと流入し、金融機関は自らを変える取り組みを進めてきた。既存の金融業をディスラプトするフィンテック・ベンチャーの台頭は、その変化のスピードをさらに速めている。

200年以上の歴史を持つJPモルガン・チェース(J.P. Morgan Chase & Co)は、米金融界をリードし、その業界の変化を牽引する世界最大級の銀行だ。従業員数は約26万人、年間純収入は1,000億ドル(約11兆円)を超え、同社の3,700億ドル(約41兆円)という時価総額は、トヨタ自動車の約2倍にあたる。

東京・丸の内にあるその日本オフィスで、日本市場における投資銀行部門のM&A(合併・買収)を統括するのは土居浩一郎(48)氏。企業が時に数兆円を費やす合併や買収をいくつも提案・助言してきた土居氏は、日本企業による買収のかたちもここ数年で大きく変わってきていると話す。

日本企業による買収戦略の変化は、投資銀行が練り上げる戦略提案の導き方や、投資銀行の内部体制すら大きく変える可能性があると、同氏は言う。

セクター概念はもはや機能しない

JPモルガン・投資銀行部門・M&A統括 土居浩一郎氏。

投資銀行の内部構造は伝統的に産業セクターごとに区分けされている。TMT(テレコム・メディア・テクノロジー)に所属すれば、ソフトバンクやKDDIなどのテレコム(電気通信)企業や多くのテクノロジー企業がクライアントとなり、FIG(フィナンシャル・インダストリー・グループ)は銀行や保険会社などの金融機関を担当する。

「もはやセクターという概念は意味をなさないのかもしれない。投資銀行には、クライアント企業が属するセクターを超えた情報収集や考え方が必要になってきた」と土居氏は語る。「世界を見渡して、他業界の企業が画期的な取り組みをしていたら、それをクライアント企業に当てはめて思考を繰り返し、提案に落とし込む作業が必要になってきている」と続ける。

グーグルの親会社アルファベットは自動運転車を開発し、LINEは金融業を始めようと考え、ソフトバンクは巨大投資会社にトランスフォームしようとしている。日本の従来の製造業が従来通り良質の製品を作れば売れるという連続性はすでに崩壊している。

グーグル本社近くでテスト走行を行うアルファベットの自動運転車部門ウェイモ(Waymo)の自動運転車(写真:Shutterstock)

技術イノベーションが短期間で他国の競合に追いつかれる社会で、日本の製造業は圧倒的なブランド力あるいは規模を持ち続けるか、請負製造会社に徹するか、それともやはりイノベーションを起こし続けるのか、企業戦略が多様化する中で、投資銀行に求められるM&A提案はそれに応じなければならない。

言い換えると、戦略の選択と投資の集中によっては、低成長が続く日本市場でもよく売れる家電製品は存在する。外国の某メーカーは、以前から存在した技術を活用して家電製品を製造し、日本で販売数量を伸ばした。牽引したのは技術力ではなく、強いブランド力と優れたマーケティング力だったと、土居氏は一例を挙げる。

「マーケティングにイノベーションを起こすのも一手。そのためのM&A戦略を仮につくるのであれば、セクターという概念とはかけ離れた思考が必要になるのではないだろうか」(土居氏)。

銀行から巨大金融テック企業に変身する

「ICOみたいな話は、金融機関が全く絡まず何千億円というお金が実際に調達されている」(土居氏)

伝統的な巨大金融機関のJPモルガンも、自らをテクノロジー武装する取り組みを進めている。例えば、独自で「Quorum」と名付けたブロックチェーンを開発した動きがその一つだろう。

企業間の決済から貿易金融と呼ばれる商取引まで、企業と金融機関はブロックチェーン技術を活用して、従来の煩雑な手続きをシンプルにしようとする取り組みを積極的に進めている。

JPモルガンは年間約115億ドル(約1兆3000億円)をテクノロジー関連に費やし、およそ30億ドルの資金をベンチャー企業への出資や新規投資に使う。

過去2年間で進めた「イン・レジデンス」と呼ばれる取り組みでは、フィンテック領域のベンチャー企業を選び、JPモルガンのニューヨークとロンドンのオフィスに招き入れ、彼らがブロックチェーンやロボティクス、ビッグデータ解析などにおけるアイデアを事業化する支援を行なった。

「金融機関のあり方はさらに大きく変わっていくはず。ICO(イニシャル・コイン・オファリング)みたいな話は、金融機関が全く絡まず何千億円というお金が実際に調達されている。もちろん信用の問題や失敗もあるだろうし、厳格なルールが必要になるけれど、我々銀行の役割というのはこれから大きく変わるだろう」と土居氏。

M&Aブームの平成から令和へ

2018年、世界のM&A総額は前年から14%増の4兆1000億ドル(約460兆円)。JPモルガンがまとめた報告書によると、大型買収案件の増加が一因となり、100億ドルを上回る買収は44件で、前年の32件を大きく上回った。

日本企業による海外企業・事業の買収、いわゆるクロスボーダー・ディールは1840億ドル(約20兆5800億円)に上り、前年の790億ドルから倍増。武田薬品工業による6兆円を超えるアイルランド製薬大手・シャイアー(Shire)の買収は、日本企業で過去最高額のディールとなった。

「失われた30年」と呼ばれる平成時代に、国内企業は海外の企業・事業の買収を継続して進めてきた。過去30年間、少子高齢化と人口減少による国内需要の鈍化は、あらゆる評論家が警笛を鳴らしてきた。先細りする需要を背景とし、蓄え続けてきた記録的な規模の内部留保を盾に、日本企業は海外買収のアクセルを踏み続けてきたと、土居氏は説明する。

「自動運転、EV(電気自動車)、ライドシェア……。自動車メーカーは10年くらい前から、今の形で生き残れるのかという問題意識を持ち続けてきたと思う。中国はガソリン車をある意味あきらめ、国はEVにシフトしている。グーグルは(親会社アルファベットの自動運転車部門ウェイモ)自動運転の開発を進めている。気がついたら、横からとか、斜めとか全く違うところから脅威が押し寄せてくる」

M&Aバンカーの社会への思い

慶應義塾大学を卒業後、M&Aバンカーとしての道を走り続けてきた土居氏。金融業界の変化をリードする世界最大級の銀行で働く同氏のライフスタイルにも変化はあるのか?

昨年から週末の空いた時間を使ってボランティア活動を始めたと、土居氏は話す。東北の東日本大震災による被災地に出向き、NPO団体を通して東北の起業家を支援するボランティア活動に参加しているという。

持続的に事業を続けていくため、コミュニティーに貢献することは米金融機関を中心に当たり前になりつつある。日本企業へのM&A助言という金融サービスから学んできた知識と経験を生かし、岩手県の陸前高田や宮城県の気仙沼などを訪れ、起業家の経営課題や資金調達についてのアドバイスを行った。

「日本社会はさまざまな変化により、世代間格差、貧富の差、地域格差を生み出した。自分の経験と取り組みが、それらの問題を解消する一助になればと思う」とM&Aバンカーは語った。

インタビュー/文:佐藤茂
編集:浦上早苗
写真:多田圭佑
取材協力:北原美和