アートビジネスへのブロックチェーン活用を目指す「スタートバーン」は、UTEC(東京大学エッジキャピタル/東京大学エッジキャピタルパートナーズ)、SXキャピタル、電通、元クリスティーズジャパン代表の片山龍太郎氏らにより総額3.1億円の資金調達を実施した。新たにCOO(最高執行責任者)として加わったのが、フィンテック企業「AnyPay」でCEO(最高経営責任者)を務めた大野紗和子氏だ。 世界の美術品市場は約7兆5000億円(「The Art Basel and UBS Global Art Market Report 2019」)と推計されている。「アート×ブロックチェーン」は巨大市場をどう変えるのか。大野氏に聞いた。
AnyPayで経験した「3つの事業」で見えたこと
────フィンテック企業であるAnyPayのCEO(最高経営責任者)から、アート分野のブロックチェーン企業であるスタートバーンのCOO(最高執行責任者)への転身、とても驚きました。
私がAnyPayへ参加したのは2016年8月でした。6月に登記したばかりの会社でしたが、(AnyPay創業者で投資家の)木村新司さんに声をかけていただき、せっかくだったらゼロから立ち上げる会社に行こうと8月からフルタイムで参加しました。AnyPayでは、主に3つの事業に関わりました。①決済サービス、②ブロックチェーン分野のICO(イニシャル・コイン・オファリング、新規仮想通貨発行による資金調達)のサポート、③投資事業です。
決済サービス(①)についていえば、私が入社した2016年後半は、AnyPay以外にもたくさんのキャッシュレスサービスが登場してきたタイミングです。しかしリーガル(法律面)の建て付けが非常に複雑な時期であり、私たちも他のサービスも、ユーザーからは同種のサービスに見えても法的建て付けが異なっていたり、ユーザーには少しわかりづらかったかもしれません
最近、ようやくオンラインでのKYC(本人確認)が認められることになりました。今までは本人確認のため郵便物を送る必要があり、そのコスト負担は大きいものでしたが、オンラインKYCにより負担が減ります。決済領域で競うスタートアップにとってはいい材料です。
ICOのサポート(②)では、2017年からサービスの立ち上げに関わりました。この分野はクライアントの大半が海外の企業で、国ごとにタイミングに波があります。一時期、ICOは盛り上がっていましたが、その後にニーズがSTO(セキュリティ・トークン・オファリング、証券規制に従うトークン発行による資金調達)に移っていきました。結果として、ICO、STOのどちらもお手伝いすることになりました。
また、特にSTOは金融規制の枠組みの中で実施するので金融業の色彩が強く、2018年頃から業界に投資銀行等金融出身の方々が増えているのを感じていました。
企業経営の視点では、決済事業やICO/STOアドバイザリー事業、さらに投資事業(③)の3つをAnyPay一社の中で運営するという事業ポートフォリオを作る経験をしました。
決済サービス、ICO・STOのサポート、投資事業。AnyPayでの経験は、すべて勉強になりました。一方で、自分の感覚として、何をやっていると生き生きするのか。やはり「サービスを作っている」という実感を持てるところに情熱を感じると気づきました。
書籍『HARD THINGS』(ベン・ホロウィッツ著、日経BP社、2015年)にも出てくる言葉ですが、起業家と投資家はベーコン・エッグのベーコンと卵のようなもので、二つ揃って初めていいことがある。事業家は自分の肉をベーコンにするし(自分自身の人生を賭ける)、投資家はニワトリのように卵を産む(リスクを承知で投資する)。
そのエコシステムの中でどこが自分にとって楽しいか。自分はベーコン(事業)側の人間だと思いました。そうした気づきが、事業会社であるスタートバーンに飛び込む決心につながっています。
アート業界の課題と向き合う
──なぜ「アート×ブロックチェーン」をテーマとするスタートバーンを選ばれたのでしょうか?
AnyPay時代に手がけたSTOでは、土地や会社の株、乗り物など実体のある資産を裏付けにして、トークン化・証券化する取り組みをしてきました。スタートバーンが扱うアート作品も実体の裏付けがある資産と捉えることができます。アート作品をブロックチェーンやオンラインサービスに結びつけることで、今までにない広がりを作れるのではないか。そこに興味がわきました。
スタートバーンとの出会いは、2018年12月。AnyPayを退任(2018年11月)した後です。たまたま共通の知り合いがいて、話を聞きました。それまで私自身はアートに関わったことはありませんでしたが、アートという実体のあるコンテンツを軸にしてブロックチェーンに関わっていくのは「とても面白い」と直感的に思いました。
スタートバーン代表取締役CEOの施井(泰平氏)は、ブロックチェーン登場以前からオンラインでアートを扱うサービスを考えてきた人です。その分、テクノロジーの部分だけでなく、アートの業界の人たちと長く向き合ってきた。だからこそ、アート業界の課題を解決できる何かを作れるはずだと感じました。
スタートバーンが注力しているのが、ブロックチェーンを使った来歴管理です。アートの業界では、ギャラリーなどの各機関がアート作品に関する証明書を発行するカルチャーがあります。違う機関が違うフォーマットで発行しているため、管理が複雑です。土地の登記や音楽の権利の管理などと違って、業界で共通のプラットフォームがあるわけではありません。そこで私たちはアートの業界の構造を理解したうえで、来歴管理の証明書の仕組みをブロックチェーンに写し取っていくことを考えています。
現在、共通基盤のABN(アートブロックチェーンネットワーク)というものをイーサリアム(Ethereum)のパブリックブロックチェーンをベースで作っており、テストネットが稼働中です。この夏を目処にメインネットを立ち上げる予定です。他社との提携でPoC(実証実験)も走っていて、そこにつながる自社サービスとしてstartbahn.orgがあります。
ABNではアート作品の来歴の管理をします。アート作品と証明書をセットにして、売買などの流通、評価できるようにする仕組みです。アート作品は二次販売を繰り返して価値が上がっていくものですが、一度アーティストの手を離れた作品は、いくら高値がついてもアーティスト本人には還元されません。そこをABNではアーティスト本人が任意で還元可能な形にします。細かいところは特許申請中なので言えませんが、これはスマートコントラクトでルールを組み込むことで実現可能です。
ブロックチェーンをめぐる3つの誤解
──既存のアート業界からの反発はないのでしょうか?
ブロックチェーンには、3つの代表的な誤解があると私は考えています。一つが「ディスラプト(既存業種の破壊)」、二つ目が「プライバシーがすべてオープンになる」、三つ目は「ブロックチェーンはビジネスにしづらい」というものです。
それぞれに答えていくと、まず「ディスラプト」というイメージは、相手が見えないゆえの誤解です。スタートバーンはアート業界でビジネスをしている人たちが便利にできるものを提供します。API(アプリケーションプログラムインタフェース)を提供して、専門知識がないWebエンジニアでもブロックチェーンを利用しやすくする。そうすれば、誰でもアート作品を販売するオンライン画廊のようなWebサイトが簡単に開設できます。また来歴管理の部分を共通に参照できるものにすれば、スマートコントラクトの特性を活かせます。
「プライバシーがすべてオープンになる」というのも誤解です。パブリックブロックチェーンで取引する際、何をブロックチェーン上に記録するかを選ぶことができます。情報の本体はブロックチェーン外部に記録して、その内容を証明する情報だけを暗号化してブロックチェーンに記録することもできます。すべて設計次第です。
「ブロックチェーンはビジネスにしづらい」とよく言われますが、それも誤解です。非中央集権的な設計がゆえに「手数料を徴収するビジネスを作りにくいのではないか」と指摘を受けますが、そこはビジネス設計の腕の見せどころです。アート作品を売買などの流通、評価が可能なインフラとなり、それぞれの「つながりやすさ」を提供するサービスがあり得ます。スタートバーンはそこを目指しています。
──アート作品の証券化は視野に入っていますか?
具体的な検討はこれからです。ICOのような利用権のトークン化の建て付けがいいのか。アート作品の所有権を分割するやり方がいいのか。二次利用の許可、デバイスで閲覧する権利を分けるか。そこは設計しだいです。ただし規制との関連や協業する相手のこともあり、今の段階では実証実験がいくつか進行中という段階です。
コンサルティングファームからグーグル、そして研究職へ
──スタートアップ企業に関わる前の大野さんのバックグラウンドについて教えて下さい。学生時代はどう過ごしていましたか?
新しいものを発見するのが好きで、講談社の科学解説書シリーズ『ブルーバックス』シリーズをよく読んでいました。大学と大学院は理学系で、固体化学を専攻しました。新しい物性を持った材料を開発するため結晶を作って数千度の熱を加えてデータを取ったり、膜にしてX線解析したり。よく徹夜もしました。
2010年に就職したのですが、最初はメーカーの基礎研究所に行って研究者になろうと思っていました。でも会社の業績は、基礎研究だけでなく様々な要素が関係していると気がつきました 。経営には経営の科学がある。それを分析する経営コンサルタントという仕事があって、理系出身もいるらしい。自分は新しい人に会うのも好きで、幅広く意外な人に会える仕事いろいろな会社が見えて、経営理論が分かるだろう。そんな直感から、経営コンサルティングファームのボストンコンサルティンググループ(BCG)に就職しました。
コンサルタント時代に手がけた仕事は、金融、ヘルスケア分野、それに通信分野のプロジェクトが多かったですね。日本の金融機関が海外の会社をM&A(買収)するお手伝いをしたプロジェクトが印象に残っています。同じ頃にマイクロファイナンスやモバイルの可能性も感じました。例えばインドネシアでは国民の所得は高くないし光回線も普及していない。それなのに2011年頃にはブラックベリー(iPhone、Android普及以前に人気が高かったスマートフォン)を使っている人が大勢いた。それで送金もできる。デジタルは面白いし、スマートフォンを使ったサービスは伸びていく。この分野に詳しくなりたいと思いました。
次にグーグルに声をかけていただき、「インダストリーアナリスト」として参加しました。経営コンサルティングとデータ分析の間を取り持つ仕事で、匿名化された検索データなどビッグデータをいろいろな切り口で分析していました。例えば夏に旅行をする人は春頃には検索サービスで調べ物をします。そうしたデータ分析に基づいてグーグルの広告を利用している企業に経営アドバイスをしたり、クロスセル(関連商品の併売)の提案をしたりしていました。
グーグルはすごくいい環境で、カフェテリアのご飯もおいしいし(笑)、他の社員も優秀でした。でも、すでに大きな会社でした。自分が若い間にアーリーステージの会社に入りたい。それで、いったんグーグルをやめて、個人でコンサルタントをしながら、東京大学大学院の教育学研究科特任研究員として認知行動学の研究をしていました。思春期の学生にスマートフォンのゲームで遊んでもらい、競争要素のあるなしで行動が変化するかを見るなどの研究です。その後、木村新司さんとの出会いもあり、AnyPayに参加しました。
「アート×ブロックチェーン」の化学反応を楽しむ
──「化学」や「研究職」という大野さんのバックグラウンドを知ると、スタートバーンのテーマである「アート×ブロックチェーン」は、化学反応を楽しんでいるようにも見えますね。
この領域は難しくて面白いです。そこにチャレンジがある。ここ数年感じていることは、新しく生まれるサービスには効率化・自動化の軸と、感情の軸があるということです。今あるものを何パーセントか効率化するサービスは分かりやすいしビジネスの見積もりがしやすい。一方、アートビジネスのように人々の感情を動かして体験を作るサービスは、ビジネス上の数字をぱっと見積もれない。そこにテクノロジーを使ってどうするか。そのようなサービスを作るのは面白い体験です。
アートは日常で楽しむものだったり、資産価値がある絵画を所有したり、いろいろな楽しみ方がある。デジタルアートも登場していて、版画のように限定何枚とナンバリングしてコピーを販売するやり方もある。今後はVRやAR(仮想現実、拡張現実感)も出てくる。ビジネスとしてもテクノロジーの使い方としても、アートはすごく面白いと思っています。
──「アート×ブロックチェーン」でいちばんチャレンジングだと感じるポイントは何ですか?
「オラクル性」です(編注:オラクルは、実世界の情報をブロックチェーンに記録するときにその「正しさ」を保証する仕組み。ブロックチェーン分野の難題といわれている)。実物としてのアート作品があって、その情報をどのようにブロックチェーンと結びつけるか。そこが面白い。ブロックチェーンに記録する情報の正しさをスタートバーンが保証するわけではなく、来歴管理の仕組みの中で最初にどこでアート作品の証明書が発行されて、どこで売買されて、という履歴を見ることができる。見た人が各自判断できる手がかりを提供します。
そうしたオラクル性を保ったサービスを提供して、私たち以外の他の会社にも参加してもらう形を考えています。従来の証明書発行では、オークションハウスのように信頼感がある発行主体がいました。それを否定するのではなく、ブロックチェーンと組み合わせてより便利なものにしていきます。
次のステップでは、ブロックチェーンにアート作品を登録するときに、その作品の「指紋」になるようなデジタルデータ(ハッシュ値)をとってブロックチェーンに記録します。例えば3Dの構造や、作品の組成が分かるデータも取り入れます。そこで真贋判定の補助にAI(人工知能)を使うアプローチにも取り組んでいます。
──最後に、これから「アートとどう向き合っていく」のか、決意をお聞かせください。
アートには提供側と受け手側の両面がいて、それぞれ重要だと思います。例えば市場で高まった価値をアーティストに還元するには、その反対側としてアートの楽しみ方が多様化して経済圏が大きくなる必要がある。アート作品には投資、所有、鑑賞と複数の楽しみ方があります。それぞれ対象となるユーザー層を広げていくことができるはずです。
アプローチを広げて、なるべく多くの人々にアートに親しんでもらいたい。一握りのお金持ちや愛好家だけでなく、なるべく多くの人々にアート関連サービスのユーザーになってもらうことが大切です。それも自分たちで直接サービスを提供するだけでなく、インフラとして機能だけを提供し、別の会社にもサービスを展開してもらう。さらに外部の会社と提携して、今は存在しないアートの楽しみ方も提案していく。そこは幅広く考えています。
コレクターが収集するアート作品というと高額なものと思われがちですが、実際には価格帯も様々です。アーティストを早いうちから支援したい人もいます。アート作品を買う、レンタルする、デジタルで買う、そうしたアートの楽しみ方の接点を増やしていきたいと思います。