ビットコインの匿名の生みの親、サトシ・ナカモトと故ハル・フィニー(Hal Finney)氏の間でやり取りされたメールが新たに公開され、ビットコインの誕生をめぐるミステリーはさらに謎を深めている。
3通のメールは、ビットコインの将来がまだ不確実だった初期の時代のもの。ビットコインが誕生した時、サトシが初期の支援者たちといかに密接に連携していたのかを示している。
サトシが書いたり、プログラミングしたものはすべて、コミュニティにとっては本質的な価値を持つものだが、おそらく3通のメールで最も興味深いものは、言葉やプログラムではなく、一見退屈に思える「タイムスタンプ」だ。タイムスタンプこそ新たな謎を呼んでいる。
当記事の著者、マイケル・カプリコフ(Michael Kaplikov)氏はニューヨークにあるペース大学の非常勤教授。ビットコインの起源に興味を持っている。
メールは、ジャーナリストで作家のナサニエル・ポッパー(Nathaniel Popper)氏が私に提供してくれた。彼は、著作『Digital Gold: Bitcoin and the Inside Story of the Misfits and Millionaires Trying to Reinvent Money』に取り組む中でフィニー氏のメールを入手した。
ビットコインの初取引の受け手
2014年に亡くなったフィニー氏は、ビットコインの最初の取引の受け手だった。自身も伝説的人物だった彼の功績には、再利用可能なプルーフ・オブ・ワーク(PoW)システムの開発などがある。
[編集部注:当記事の公開にあたり、米coindeskはハル・フィニー氏の妻、フラン・フィニー(Fran Finney)氏に連絡を取った。彼女はハル・フィニー氏のメールをポッパー氏に提供し、さらにポッパー氏はカプリコフ氏に提供したことを認めた。フラン・フィネイ氏は「我々はハルとサトシがやりとりしたメールに関するファイルを2014年3月にナサニエル・ポッパー氏に送った。ファイルは、2009年にハルが個人的なメール用に使っていたコンピューターから取り出したもので、ハルの同意を得て提供した」とcoindeskに語った]
2008年11月、サトシはビットコインのアイデアを発表した。それ以前は、サトシが1年半をかけてプログラミングしたビットコインは、ごく少数の人だけに個人的に紹介されていた。
2008年8月22日、サトシは電子通貨システム「b-money」の考案者、ウェイ・ダイ(Wei Dai)氏にメールを送っている。またそれ時点のどこかで、ハッシュキャッシュ(Hashcash:そのプルーフ・オブ・ワーク機能はビットコインに使われている)の生みの親、アダム・バック(Adam Back)氏にもメールを送っている。
最初の評判は決して熱狂的なものではなかったと、フィニー氏はのちに振り返っている。
「サトシが暗号関係のメーリングリストでビットコインを発表した時、反応は良くても懐疑的なものだった。フォーラムのメンバーは、無知な初心者による壮大な計画をあまりにも多く目にしてきた。だから、多くの反応はお決まりのものだった」とフィニー氏は2013年、ビットコイントーク(Bitcointalk)フォーラムに投稿した。
2008年11月16日頃、サトシはビットコインコードのプレリリース版をジェームズ・A・ドナルド(James A. Donald)氏、レイ・ディリンガー(Ray Dillinger)氏、フィニー氏を含む、暗号メーリングリストの複数のメンバーに提供した。私がポッパー氏から入手したサトシのメールのうち、最初の1通はその数日後に送られたものだ。
ビットコインのネットワークが目指した規模
3通のメールのうち、11月29日に送られたメールの中で、フィニー氏はいくつかの修正についてサトシに謝意を示し、ビットコイン・ネットワークが目指す規模について質問している。スケーラビリティとパフォーマンスに影響を与えるからだ。
注目すべきは、メーリングリストでのビットコインの発表に最初に反応したドナルド氏も同様の懸念を提起したことだ。「求められるサイズにスケールしないように思える」とドナルド氏は書いている。
これはスケーリングについての議論の前触れだった。スケーリング問題はその後、ビットコインキャッシュ(BCH)などのハードフォーク(分岐)を生み、サイドチェーン、ライトニング・ネットワーク(Lightning Network)といった、いわゆるレイヤー2ソリューションを生むことになった。
1ビットコイン、1000万ドル
フィニー氏にとって、これは単なる技術的な問題ではなかった。どうやら彼は、この問題はビットコインの将来の通貨としての価値を左右すると考えていたようだ。
数カ月後、フィニー氏はビットコインが世界中で使われる決済システムになるとすれば、その価値は「世界のすべての財産の価値の合計と同じであるべき」と述べている。この考え方をさらに進めて、フィニー氏は1ビットコインは1000万ドル(約10億円)に相当するという結論に達した。
ディリンガー氏は2018年のインタビューで、公開のメーリングリストで始まった議論はプライベートなメールへと場を移し、最終的にフィニー氏とディリンガー氏はビットコインコードの一部についてサトシをサポートしたと述べた。
「会計コードの浮動小数点のタイプについて議論を始めた時、私はこの取り組みにハルが参加していることを知った。ハルは取引のスクリプト言語をチェックしており、彼が持っていたコードと私が持っていたコードの両方が会計コードに影響を与えた」
またサトシは、11月19日のメールの直後(2008年12月前半のどこか)、プロジェクト管理に使っていたサイト「ソースフォージ(Souceforge)」にフィニー氏を加えた。
サトシ自身がハッシュパワーを提供か
ビットコインのジェネシス・ブロック(最初のブロック)は2009年1月3日だが、ビットコインのパブリック・ネットワークが運用を開始したのはその5日後。ソースコードが一般公開され、最初の数ブロックがマイニングされた時のことだった。
ビットコインが誕生してから最初の数カ月は、ハッシュパワー(マイニングに必要な演算能力)のほとんどは、サトシが提供していたと考えられる。しかし、ピア・ツー・ピアの電子マネーが成功するためには、他の人の参加が欠かせないことをサトシは十分理解していた。
3通のメールのうち、続く2通のメールは、サトシからフィニー氏に送られたものだ。2009年1月8日のメールで、サトシはフィニー氏にビットコイン・ソフトウエアのバージョン0.1のリリースを知らせている。サトシが暗号メーリングリストで同様の発表を行ったわずか数時間で送信されている。
フィニー氏はサトシに返信し、週末にコードを見てみると答えたようだ(1月8日は木曜日だった)。
取り除かれたメールのヘッダーデータ
1月10日には、サトシはウェイ・ダイ氏にも連絡を取った(数カ月前にメールを送り、「b-money」の適切な引用の方法について質問している)。
「(ビットコインは)b-money論文の中であなたが解決を目指していたほぼすべての目標を達成できると思う」
同じ日、サトシとフィニー氏のやり取りは、ソースフォージに作った独自メーリングリストと、プライベートなメールの中で続いた。このメールはフィニー氏が後に、ウォール・ストリート・ジャーナルに提供している(このやり取りでは、フィネイ氏は珍しく、hal@finney.orgではなく、Gメールを使った。またもう1点、重要なことは、メールのヘッダーデータの大半が取り除かれていることだ。この重要性は後に明らかになる)。
こうした技術的なやり取りの途中、1月11日夕方、ビットコインの初めての送金が行われ、サトシからフィニー氏に10ビットコインが送られた。興味深いことに、どのメールや同時期に公開された投稿にもこのことは言及されていない。
謎のタイムスタンプ
2009年1月のメールでは、サトシのタイムゾーン(時間帯設定)はグリニッジ標準時(GMT)よりも8時間先に進んでいる。サトシがそのハンドルネームが示す通り、実際に日本人だとしたら、これはその事実を反映しているのかもしれない。
しかしその時、日本時間はGMTの9時間前。さらに興味深いことに、なぜかフィニー氏のメールサーバーは、2通のメールをサトシのメールサーバーよりも先に受信している。これは大きな謎だ。
暗号メーリングリストのメンバーで、フィニー氏の長年の同僚であり友人のデレク・アトキンス(Derek Atkins)氏は、これら3通のメールを、自身が保管していたサトシのメーリングリスト宛てのメールと比較してくれた。アトキンス氏はタイムゾーンの問題はサトシのコンピューターの設定のせいかもしれないと述べた。
「送信者のシステムがGMTではなく、現地時間に設定されていたとして(Windowsでは一般的)、さらに送信側のコンピューターにタイムゾーンの設定ミスがあったと想定しよう。そうすれば不一致に説明がつく」
さらにアトキンス氏は、不一致は時計の変更から生じた可能性があると示唆した。
「システムが現地時間に設定されていても、サマータイムの設定をしていなかったとすれば、不一致は説明できる。2008年10月31日、アメリカ東部標準時(EDT)と『GMT+8』には12時間の時差があるが、1月はサマータイムではないので13時間の時差になる」
アメリカのサマータイムが終わると(2008年は11月2日)、アメリカと日本の時差は1時間広がる。当初、この説明はもっともらしく思えた。だが、サトシから暗号メーリングリストに送られた2008年11月8日と2009年1月8日のメールには、どちらも矛盾するタイムスタンプはなかった。
サトシは当初、自分のコンピューターの時計をサマータイム前の時差をもとにした日本時間に設定し、その後に戻し忘れた可能性もある。しかし、他のメールには同じずれがないことは説明がつかない。
仮説「サトシはフィニー氏」
1月12日のサトシからフィニー氏へのメールに基づくと、当時、サトシはインターネット接続が制限された場所にいたことがわかっている。そのため、コンピューターの時計が同期していなかった可能性もある。
「残念ながら、今いる場所では受信接続ができないため、より難しい状況になっている」
「ノーマルな」タイムスタンプのついたメールを1月8日に送信した直後、サトシはインターネット接続が制限された別の時間帯の場所に移動し、そこから翌日、フィニー氏にメールを送った可能性もある。
あるいは、サトシ・ナカモト(あるいは、この匿名を使ったさまざまなチームメンバー)が複数のコンピューターを使い、その一部のみ、時間帯が正しく設定されていた可能性もある。しかし、これらの仮説のいずれも、十分に納得できるものではない。
より突飛な仮説は、フィニー氏がサトシだったという有名な仮説だ。仮にフィニー氏が、手間を省くためにサトシのメールアドレスを自分のメインのメールアカウント(hal@finney.org)に接続していたと考えれば、彼のメールサーバーがサトシのメールサーバーよりも早く、メールを受信できる理由を説明できるかもしれない。
フィニー氏がこれらのメールをウォール・ストリート・ジャーナルに提供しなかった理由、そして提供したメールのヘッダーデータのほとんどが欠けていた理由も説明がつくだろう。しかし、他の仮説と同様に、明確な証拠はない。
サトシの正体
これらのメールは、ビットコインの誕生ストーリーを大きく変えることもなければ、意外な登場人物を新たに加えることもない。サトシの正体にまつわる永遠のミステリーを解決することはなさそうだ。
だが、新たに小さな謎を提示した。有名な「パトシ」パターン(サトシが行ったとされるマイニングのパターン)を突き止めるために、セルジオ・デミアン・レーナー(Sergio Demian Lerner)氏は7年もの歳月を費やした。願わくば、コミュニティが奇妙なタイムスタンプについて、より説得力のある説明を考えつくまでに、そこまで時間がかかりませんように。
これらのメールはまた、ビットコインのスタートにあたって、サトシはフィニー氏のような初期の支援者と密接に連携していたことを明らかにしてくれた。のちにフィニー氏は、自らの初期の関与を強調しないことを選んだ。
「サトシがソフトウエアの最初のリリースを発表した時、私はすぐに飛びついた。サトシ以外でビットコインを運用した最初の人間だったと思う」とフィニー氏はビットコイントーク・フォーラムへの最後の投稿で述べ、リリース前のやり取りには触れなかった。
だが、フィニー氏の最後の投稿から7年近くが経った今、彼の最後の投稿の中の別の発言に同意せざるを得ない。
「今日、サトシの真のアイデンティティはミステリーになった」
翻訳:山口晶子
編集:増田隆幸、佐藤茂
写真:Shutterstock
原文:Previously Unpublished Emails of Satoshi Nakamoto Present a New Puzzle