ドージコインがいまだに好調な理由──バカらしさで魅了した黎明期【前編】

イーロン・マスク氏や著名投資家のマーク・キューバン(Mark Cuban)氏、投資アプリ「ロビンフッド」を利用する何百万人ものトレーダーがドージコイン(DOGE)の世界にやってくるずっと前から、ゲリー・ラチャンス(Gary Lachance)氏のように心からドージコインを信じている人たちが存在していた。

これは、彼らのストーリーだ。

楽しさが彩る初期のドージコイン

ラチャンス氏は虎のような出立ちだ。少なくとも、少し虎のような感じだ。「虎柄の肩パッド」に暗めのサングラスを身につけ、壁一面に並ぶラジカセを背にして座っている。左側にはドージコインの巨大なポスター。ズームの画面に映る彼は、SF映画の中にいるようだった。

「冗談で言ってるんじゃない。ドージコインは私に、大いなるインスピレーションを与えてくれる」と語るラチャンス氏。その話し声はゆったりと無機質で、「冗談で言っているんじゃない」と言われても、冗談を言っているのでは、という気持ちにさせられる。

ラチャンス氏がドージコインを見つけたのは、立ち上げまもない2013年のこと。自分のパーティー革命にぴったりだと感じた。そのロゴに魅了されたのだ。「一日中ドージを見て、『全然飽きない』と思っていた」と、彼は語る。「見れば見るほど、そのポーズがあまりに完璧で、面白さを感じるんだ」と話すラチャンス氏はドージを「現代のモナ・リザ」と呼ぶ。

ミームという点では、「おそらく世界で最も力強いブランド」だとラチャンス氏。アメリカで毎年開催される音楽とアートの祭典「バーニングマン」で「キャンプドージ」というイベントを主催したこともある。彼は、特に初期の頃のドージの、遊び心にあふれ、陽気で、間抜けな感じを体現している。

誰に聞いても、初期の頃はとにかく面白かった。ドージコインファンたちはロサンジェルスのコミックブックストアなどを会場として、「ドージパーティー」を開いた。本物の柴犬も登場した。

「柴犬にチップをあげることもでき、そのお金は犬の保護団体に寄付された」と、ドージコイン誕生以来そのコミュニティに積極的に関わってきたピンギーノ(Pinguino)という名の女性は振り返る。「DJを呼んだり、講演があったり、マイニング装置を持ってくる人たちもいた」

2014年、ロサンジェルスでドージパーティーを楽しむ人たち

ニューヨークで開かれたドージパーティーでは、ドージの巨大な頭を張り子で作り、ウォール街まで陽気に行進。その張り子をチャージング・ブルの銅像の上に載せた。「奇妙な人たちの集まりだった」と、匿名での取材を希望した初期の頃からのドージコミュニティメンバーの男性(ここではドージ・ドーと呼ぶ)は語った。

「70歳のサイファーパンク(暗号資産を社会変革の手段と考える人たち)のプログラマーに、15歳の子供たち、そして柴犬も。ウォール街占拠のデモ参加者たちもたくさんいた」

寛容さの精神

彼らは、暗号資産でミリオネアになったような人たちではない。ピンギーノ氏は映画スタジオで働くデザイナーだった。芝生を管理する人や、マーケティングに携わる人、機械工などがいたことを、彼女は覚えている。

「なんていうか、すごく普通の職業の人たち」とピンギーノ氏。お金持ちではなかったが、与えることに喜びを感じる人たちだった。とにかく与え続けたのだ。人気掲示板の「レディット」やツイッターなどで手持ちのドージをばら撒き、簡単に気前の良さを発揮できることを喜んでいた。

「10万ドージ持っていたら、すごくリッチに見えた」とピンギーノ氏は語る。「最高の気分で、人々にドージを配るのも楽しかった」

レディットやツイッター上のチップボット(SNS上などで暗号資産を送金してくれるボット)は、誰かのジョークを気に入ったら、その人にドージコインを送るように促した。

「DogeRain」というアプリを使えば、ツイートで複数の人たちをタグ付けして、それぞれにドージを送ることができた。タグ付けされた人たちも同じように他の人たちをタグ付けしてドージを送ることで、「ペイ・フォワード(恩送り)」することができた。

「初期の頃は、コミュニティは寛容さに重点を置いていた」と、ドージコインを2時間ほどで生み出したドージコインの生みの親の1人、ビリー・マーカス(Billy Markus)氏は話す。

マーカス氏は現在では、公式の開発者として携わってはいないが、コミュニティには積極的に関わっており、ファンたちに「喜び、優しさ、学び、与えること、共感、楽しさ、コミュニティ、インスピレーション、クリエイティビティ、寛容さ、おふざけ、ばからしさ」、そしてDOGEの精神「Doing Good Every Day(毎日善き行いをする)」を尊重するよう呼びかける公開書簡を送っている。

2014年には、「毎日の善き行い」が実際に多く行われていた。例えば「ペーパーウォレット」だ。片面に公開鍵、裏側には秘密鍵の書かれた紙を、秘密鍵が書かれた面が隠れるように折り畳む。ピンギーノ氏は見知らぬ人にこのようなペーパーウォレットを配っていた。

ウォレットには適当な数のドージコインを(多くの場合は手持ちのコインから)入れたが、その数は10ドージから9万8000ドージまで様々だった。本屋に行って本に挟んだり、見知らぬ人に近寄って、笑顔で手渡した。「どうぞ。いつか価値が出るかも知れないから!」と。

ドージコインファンたちは気前よくお互いに、見知らぬ人たちに、そして慈善団体に分け与えた。自閉症の子供のための介助犬を訓練する慈善団体へ寄付したり、ホームレスの人たちにはピザを提供した。

ドージで五輪、井戸堀り、カーレース

最も有名なところでは、2014年、ドージコインサポーターたちがドージコインを集め、ジャマイカのボブスレーチームをオリンピックに送った。ケニアで井戸を掘るために、3万ドル集めたこともあった。

ピンギーノ氏は、井戸が現地の女性たちを助けたとする研究を引用しながら、実世界にもたらしたこの影響を特に誇らしく思っていると語ってくれた。ドージコインで出資された井戸のおかげで、「女性たちは教育にもっと時間を費やすことができるようになった。頭の上に水を乗せて毎日2時間も運ばなくてよくなったのだから」

そして、カーレース「NASCAR」のスポンサー活動もあった。ある10代のレディットユーザーの掛け声のもと、勝ち目のなさそうなドライバーを支援。彼のレーシングカーのスポンサーになるのに十分なドージコインを集め、笑顔の柴犬のイラストでレーシングカーを覆い、NASCAR業界を困惑させた。

「朝の10時くらいにNASCAR観戦パーティーを開いた。NASCARファンなんて誰もいなかったけれど、ドージがレーストラックを走るところを見たかったから」と、ピンギーノ氏。「とにかく本当に楽しかった」

ビットコインにはないメリット

しかしある意味では、最初の頃から、ドージコインは単に楽しい以上のものだった。隠れたメリットを伴っていたのだ。ピンギーノ氏は、ロサンジェルスでの集まりで人々に暗号資産を紹介し、その仕組みを教えるのを楽しんでいた。ドージはこれにぴったりだった。

「ビットコインは、人を怖気付かせてしまっていた」と、ピンギーノ氏。そこで彼女はドージコインに切り替えたが、「あまり技術的なことに詳しくない人や、多くの女性にとっては、ずっとウケが良かった。ドージコインを使った時の方が、人はずっとオープンな姿勢で学んでくれた」

2014年、ドージコインとレディットに支えられたNASCARのレーシングカー

その理由の1つは、超低価格にある。暗号資産の仕組みについて教える最も効果的な方法は、実際にその動きを見せることだと、ピンギーノ氏は語る。しかし、ビットコインの送金や受け取りは、少し厄介だ。

「心理的なものだわ。ビットコインだと、あまり詳しくない人は、高価で価値のあるものを送っていると感じてしまう」1BTCが3万ドルでは、「『失敗は許されない』と感じてしまうけれど、ドージコインなら、1セントを送って、1セントを受け取ってるだけ」とピンギーノ氏は説明する。彼女はワークショップを開催して、全員に10ドージコインを与え、皆で送り合う練習をした。

ドージが「人々の通貨」という考えは、深く根づいている。ドージコインにインスピレーションを受けた一連のレディット投稿を書く「GoodShibe」は、立ち上げ初日にドージコインを買った。

「ロゴを見て、即座にこれこそすべてだと感じた」とGoodShibeは話す。多くの人に開かれていると感じたのだ。ビットコイン界隈の人たち(特に自由主義者たち)のことは、少し威圧的に感じていた一方、ドージのふざけた感覚には歓迎される印象を受けた。

おまけは、マイニングだ。2013年12月にドージコインがスタートした時、GoodShibeは彼自身がビットコインのマイニングをできないことを理解していた。彼の貧弱なノートパソコンではお手上げだったのだ。

一方、彼の「ひどく粗末で小さなビデオカード」は、1日に1万ドージコインを量産できた。「誰でも大儲けの可能性があるということだった。それが、コミュニティにおける初期の大いなる興奮につながったのだと思う。文字通り誰でもマイニングできたのだから」

そしてそれから何年も経ち、ピンギーノ氏が配った「ペーパーウォレット」は突然、求められるようになった。「ここ3カ月で、知り合いみんなが突然ぞろぞろと現れて、ウォレットを見つけようとしている」とピンギーノ氏は言う。

9万8000ドージの入ったウォレットを見つけた人もいる。現在では3万ドル以上の価値を持つ。興味をそそられたピンギーノ氏は最近、これまでにどれくらいのドージコインを配ったのか不思議に思い、古い取引をすべて集計した。

約200万ドージコインという計算になった。

その気前の良さのコストを、彼女はしっかりと認識している。それでも彼女はためらわずに次のように言った。「それだけの価値はあったわ。すごく楽しかったから」

詐欺やハッカーに悩まされて

悲しいかな、ドージの世界は楽しみとゲームだけではなかった。詐欺師やハッカー、ペテン師たちは暗号資産の世界を長らく悩ませてきたが、ドージコイン保有者たちは彼らにとって格好のターゲットだった。詐欺師たちはドージコミュニティを見て、「若くてふざけた奴らが、金を振り回しているぞ」と感じたはずだと、ドージ・ドーは語る。

そして、詐欺師たちは飛びかかってきた。「一連の大規模な価格の吊り上げと売り叩き『パンプ・アンド・ダンプ』」や、詐欺、51%攻撃の脅しなどで味わった苦い経験をドージコインのコミュニティは今でも覚えている。

「ひと儲けしようとする便乗主義者たちに乗っ取られてしまうのを目の当たりにした」と、ドージのもう1人の生みの親、ジャクソン・パーマー(Jackson Palmer)氏は言う。彼は今では、ドージコインから完全に距離を置いている。

いまだに現役のドージコインサポーターたちも、痛ましい思い出を抱えている。「最も最悪のスキャンダルの1つでは、チップボットが機能を停止して、抱えているドージコインをすべて持っていってしまった」とGoodShibeは振り返る。

「チップは、このコミュニティにおける大きな活力の源だった。チップの習慣が絶え始めると、他のプロジェクトが登場してきて、人々は別々の方向へと引き入れられてしまった」

ドージコインの生みの親の1人、ジャクソン・パーマー氏(2018年)

最も悪名高いスキャンダルは、アレックス・グリーン(Alex Green)という偽名を使ったユーザーによる詐欺事件だろう。彼はまず、ドージを気前良く配ったり、チップを払ったりして、ドージコイン保有者コミュニティを惹きつけた。その後、自ら立ち上げたプロジェクトの「Moolah」と呼ばれる取引所に投資するように人々を誘った。

グリーンはまもなく、ライアン・ケネディー(Ryan Kennedy)という名の詐欺師であることが判明。Moolahは破綻し、(おそらく)ケネディーは集めた資金の大半を自分の懐に入れた。それから数年後、ケネディーは性犯罪者として服役することとなった。

「ドージコインコミュニティは立て直しをしなければならなかった」と、ウェブメディア「Vice」のケイリー・ロジャーズ(Kaleigh Rogers)氏は2015年に報じた。「多くの人がドージコインをすっかり見捨てた。より疑い深くなって、手持ちのコインを気前良く扱わなくなった人もいる。誰を、何を非難すればいいのかを見極めようと、人々は成果の伴わない努力を続けていた」

一方で、ドージコインの精神を受け継ぎ続けた人たちもいる。「ドージコインの教えに捧げる4日間」と売り込まれたイベント「DogeCon」をカナダのバンクーバーで2018年に開催したラチャンス氏のように。

2018年はいぬ年であったことから、当然ドージコインファンたちはドージの年を祝った。しかし、彼らでさえも「暗号資産の冬の時代(クリプト・ウィンター)」に停滞させられ、イベントの数は減少した。「一度大きな弱気市場に直面したら、活力が大いに削がれてしまった」とGoodShibe。

どこか別のパラレルユニバースにおいては、これでストーリーの終わりとなっていたかも知れない。(後編に続く)

|翻訳・編集:山口晶子、佐藤茂
|トップ画像:Shutterstock
|原文:‘Silliness Is Next to Godliness.’ Why Doge Still Thrives