「プライバシーは死んだ」
この言葉をよく聞く。実際、デジタル時代の進化の方向性を語るときに、(ほぼ)広く受け入れられた見識になっている。確かに、我々のオンラインでの日々についての容赦ないデータの蓄積には懸念がある。特にヨーロッパで顕著なように、そうした動きを阻止しようとする規制当局の取り組みもある。
しかし、そうした取り組みは失敗に終わり、プライバシーの侵害は止めることはできない、あるいは止めるべきではないという認識が、当たり前になりすぎている。こうした認識は、「コップの水はまだ半分ある」つまり楽観的に捉えるか、「コップの水は半分しかない」つまり否定的に考えるかのどちらか。
前者は、第4次産業革命がもたらすメリットはプライバシーを失うコストを上回っていると考え、後者は我々が望むと望まざるとにかかわらず、世界経済を動かすデータマシンを止めることはできないと考える。
だが皮肉なことに、そうしたマシンから生み出される情報の奔流はしばしば、我々を立ち止まらせ、この拡大する運命論に疑問を投げかける新しい「アイテム」を含んでいる。そして、我々の暮らしや生き方は我々自身のものであること、プライベートな領域を守るために具体的な手段を取らなければならないことを思い出させてくれる。
Quartxの記者のツイートはそうしたアイテムの1つだ。
「券売機には普段は全く列はできていない。周りから聞こえてくる話から判断すると、抗議活動に参加した記録が残ることを恐れて、オクトパスカードの使用を避けているようだ」
これはもちろん、香港の話。
先週、100万人とも、200万人とも伝えられた人々が、容疑者を中国本土に引き渡すことを可能にする逃亡犯条例の改正案に抗議してデモを行った。条約改正は中国の司法当局に介入の糸口を与えるものになると考えられている。
ツイートで伝えられた行動は、中国政府が事実上、香港市民を監視し、コントロールするためにバックドアを使っているという恐れを反映している。今回のケースでは、支払いテクノロジーを使って。
ニューヨークタイムズによると、15日土曜日、香港政府トップの林鄭月娥(りんてい・げつが)行政長官は条約改正を停止すると発表した。
これまで、オクトパスカードは香港経済のサクセスストーリーとして語られてきた。1997年、香港が中国に返還されたわずか3カ月後に、香港の交通機関MRT(Mass Transit Railway)に導入された非接触型ICカードは、単なるMRTの電子チケットから、香港で広く使われる支払い手段へと進化を遂げた。銀行がクレジットカードに課すコストを削減することで、香港の商業を活性化させた。
オクトパスネットワークが国家の監視ツールにもなり得ることに人々が気づき始めるまでは、何も問題はなかった。だが、中国政府が香港への介入を強化しようとするなかで、懸念は自然と高まった。
フイ氏が伝えたように、抗議活動に参加した人の多くは、オクトパスカードを使わず、現金でチケットを購入した。多くの人はSNSへの投稿をやめ、最近までは抗議活動を強化するものと考えられていたデジタルツールの使用を控えたと他のメディアも伝えた。
フイ氏の投稿に応えて、私の同僚でCoinDeskのアドバイザリーボードのメンバーであるDovey Wan氏は、こうした香港での行動を中国本土での現在のデジタルライフに関連させて、どのように理解すればよいかを示した。中国本土では、テンセントのWeChat PayやアリババのAlipayのようなモバイルペイメントアプリが普及し、中国を事実上のキャッシュレス社会へと変えた。それは同時にプライバシーの損失と、それを抑える回避策の登場を促している。
「中国本土では現金はほぼ時代遅れで、経済活動のほとんどは個人と紐付けられている。AlipayとWechatはどちらも実名制かつ生体認証を用いている。
多くの重要人物や著名人はシステムに名前を追跡されないようにするために、常に他人のアカウントを使っている」
プライバシーは人間の尊厳と経済活動に不可欠
筆者は以前、プライバシーを尊重しないデジタル決済システムの危険性について執筆した。問題は、お金自体の代替性。だが今回の香港 vs 中国のケースでは、より根本的なことが争点となった。つまり、人間の自由意志を守ることであり、これは世界経済にとっても重大な問題となる。
この基本的な権利を守ろうとする切実な願望が、多くの人を抗議活動へと駆り立てた。参加者たちは、個人のデジタルでの活動を追跡し、スコア化する中国の「社会信用」プログラムの「ブラック・ミラー」的な意味合いを理解している。社会信用プログラムについては、中華人民共和国国務院は政府の重要目的と位置づけた。
※ブラック・ミラー:テクノロジーと人間がもたらす暗い面を描いたTVドラマ
また抗議活動の参加者たちには、そのような意図はなかったかもしれないが、国際経済における香港の重要な役割を守るために戦っていた。
当時の中国最高指導者・トウ小平氏の「1つの国、2つの制度」は、香港が返還後もその経済・政治体制を維持することを定めたもの。財産権、報道の自由、その他の基本的権利が香港には不可欠という暗黙の了解だった。
そして、香港がアジアの金融ハブとしての地位を維持するために重要なものになった。つまり、世界中の銀行が香港のきらびやかな高層ビルの中に活気ある地域本部を維持し、東西社会をつなぐ場所のような役割を持つことを意味していた。銀行とそのクライアントは中国とビジネスができる上に、西側社会の法的な保護を享受できた。貿易は繁栄を続けた。
その後、深センや上海など成長著しい中国本土の都市に経済特区が作られたことで、銀行や外国企業は中国本土に進出し、金融ハブとしての香港の影響力はやや低下した。とはいえ、アメリカと中国の貿易戦争が激しさを増すなか、香港の政治的・経済的に自由主義的なポジションは依然、重要だ。
これは西側のみならず、中国の利益にもなる。例えば、中国が巨大な「一帯一路(Belt and Road)」構想によって国際的な影響力を及ぼそうとしているが、同構想に参加している60カ国以上の企業は中国の司法的な介入に従うことには抵抗するだろう。
財産権が尊重が証明されている香港の法的枠組みは、妥協を提供している(ベルト・アンド・ロード・ブロックチェーン・コンソーシアムは、香港をその重要拠点に挙げている。同コンソーシアムは、スマートコントラクトに関する国境を超えた紛争を解決する枠組みをつくるために、CoinDeskのアドバイザーのPindar Wong氏が設立した)。
条約改正自体は停止された(撤回はされていない)が、仮に中国の強硬派が香港に乗り込めば、香港は最終的には主権を失い、世界貿易そのものに悪影響を及ぼす可能性がある。
抗議活動を支持しよう
話を人間、お金、テクノロジーに戻そう。
基本的人権は取り引きし得るものなのかどうかを議論することはできる。だが、我々は経済的な交流が社会を支えていることには皆、同意できる。だから、それを阻害することは我々全員を縛ることになる。オーウェルが描いたようなデジタル監視は特に強力な障害となる。阻止しなければならない。
これが、初期の仮想通貨のアイデアを支えたプライバシー保護の原則が重要である理由。
プライバシー保護に制限があるビットコインの問題点を解決しようとするジーキャッシュ(ZEC)やモネロ(XMR)のようなコインが重要な理由はここにある。また、安全なマルチパーティー計算(Multi Party Computation:MPC)のような新しいプライバシー保護の取り組みが推奨されるべき理由もここにある。
そして、マネーロンダリングに関する金融活動作業部会(Financial Action Task Force)のような規制当局による行き過ぎた規制に反対すべき理由も。
だからこそ、我々は香港の抗議活動を支援しなければならない。神のご加護を。
翻訳:Masaru Yamazaki
編集:佐藤茂、浦上早苗
写真:Hong Kong demo via Lewis Tse Pui Lung / Shutterstock.com
原文:Crypto’s Connection to the Hong Kong Protests