仮想通貨市場の急拡大と「アンチマネーロンダリング(AML)」、相次ぐ取引所のハッキングと「当局による規制の強化」──新テクノロジーの領域では、ビジネスと「規制」の摩擦が起こるのが“常”である。その間をつなぐため、2018年6月に誕生したのが日本政府「規制のサンドボックス制度」だ。同制度を立ち上げた内閣官房の中原裕彦参事官、そして仮想通貨・ブロックチェーン領域で初のケースとなった実証を行っているクリプトガレージ(Crypto Garage)の仲宗根豊氏、デジタルガレージの木室俊一氏に話を聞いた。
ビットコインのサイドチェーン技術で“信頼ゼロ”の同時決済を目指す
「既存の制度にうまく当てはまらない新技術を、現場感がある形で立証したい」──この狙いに基づき日本政府が推進する「規制のサンドボックス制度」を活用し、仮想通貨分野の最先端の取り組みが進んでいる。
その技術とは、ビットコインの「支流」を作るサイドチェーン技術「リキッドネットワーク(Liquid Network)」を活用した、カウンターパーティリスクがない事業者間の決済、そして複数の仮想通貨の同時交換(アトミックスワップ)である。実証を進めるのは、デジタルガレージと東京短資の合弁企業として2018年9月に設立されたクリプトガレージ(Crypto Garage)だ。
この実証について、サンドボックス制度を推進する内閣官房の中原裕彦参事官(内閣官房 日本経済再生総合事務局・未来投資会議)は次のように話す。
「ブロックチェーン技術による同時決済を可能にする。それもペーパー(論文)のレベルではなく、実際の仮想通貨を使って実装する。(取引先への)信頼ゼロで同時決済が可能になるのは、世界中の技術者が追いかけている大きな目標だ。それを実装するというのだから、胸が高まった」(中原氏)
クリプトガレージが行う実証では、実際に複数の仮想通貨交換所をサイドチェーンで結び、仮想通貨を交換する。つまり市場経済の一部として、本物のお金を動かす形となる。
「規制のサンドボックス制度」とは?──現実社会で“新たなビジネスモデル”を立証する
規制のサンドボックス制度は、卓越した新技術や新ビジネスモデルを社会実装する目的で設立された。制度を作った狙いについて、前出の中原氏は「一言でいうと実証による政策形成だ」と説明する。
「制度の改善を考える背景として、今はビッグデータ、AI、ブロックチェーンのような既存の産業構造をアンバンドルする(産業構造を組み替える)技術が登場している。これらの技術をイノベーションにつなげていきたいが、ある経済活動が規制に当てはまるかどうかがはっきりしない場合がある。いままでにないもの、誰もやっていないものを実証するのは難しい。そこで現場感があるところで、参加者や期間を限定し、まずは実証という形でモデルが成立しうるかを立証していく。仮に実証が所期の通りに進まなかったとしても、それ自体が我々にとって資産となる。規制のサンドボックス制度を通じて、事業者の方と共に実証計画を具体化し、イノベーションの早期社会実装に向けて支援を行っているところだ」(中原氏)。
実験室のような特殊な閉じた環境ではなく、現実の社会の中で経済活動を展開しながら新技術や新ビジネスモデルを立証することがサンドボックス制度の狙いということになる。
規制のサンドボックス制度に基づく実証の応募フォームは一般に公開されている。2019年1月、仮想通貨およびブロックチェーン分野で初めて規制のサンドボックス制度の認定を受けた案件が今回のクリプトガレージによる「仮想通貨と法定通貨を同時決済可能なプロ向けの決済プラットフォームの構築」である。
実証の対象となる新技術であるサイドチェーン技術「リキッドネットワーク(Liquid Network)」は、ブロックチェーン技術に取り組むカナダのブロックストリーム(Blockstream)が開発し、オープンソースで公開する技術である。リキッドネットワークは、ビットコインのブロックチェーン(分散型台帳)に対して「支流」の役割を果たし、ビットコインのブロックチェーンと連動しながら、より高速でプライバシー保護機能を備えた価値移転の実現を目指す。
最大の特徴は、このリキッドネットワーク上で流通する複数の仮想通貨(トークン)を決済リスクなしに同時に交換する技術(アトミックスワップ)だ。クリプトガレージはこれらの技術に基づくアプリケーション開発基盤を構築、提供する計画を立てている。
今回の実証は、テスト用の環境による技術の検証とは異なる意味がある。市場に参加する複数の企業が価値交換のために利用する上では、ルール作りや運用ノウハウの蓄積が欠かせない。そのための経験を積み、検証を行うことが、この実証の狙いということになる。
即時の価値交換で狙うのは「次世代決済技術の核心」
クリプトガレージを支援するデジタルガレージの木室俊一氏(DG Labシニアマネージャー)は次のように話す。
「ビットコインとフィアット(円やドルなどの法定通貨)の交換で、市場はリスクを抱えている。そこに技術的な解決策があることをいち早く示し、顧客に届けたい。もちろん論点は多い。プロダクトを作りながら検討したい」(木室氏)
解決したい大きな課題は、仮想通貨市場の価格変動や流動性のリスクを回避することだ。クリプトガレージの仲宗根豊氏(Chief Strategy Officer)は「仮想通貨交換業者同士を結ぶ共通の決済基盤が存在しない。こうしたカバーマーケットを既存の金融機関は長い年月をかけて作ってきた。一方、仮想通貨市場は走りながら作っている」と話す。
カバーマーケットにおける「カバー取引」とは、取引の引き受け手となる金融機関が引き受けた注文と同じ注文を別の金融機関に対して行う取引を指す。一般に「先物」「オプション」「スワップ」などのデリバティブ取引を通じて、金融機関が価格変動のリスクを回避(ヘッジ)するために行う。しかし、急速に立ち上がった仮想通貨市場ではこうした仕組みが整っていないため、仮想通貨交換業者が価格変動のリスクを取らざるを得ないのが現状だ。
さらにビットコイン以外のアルトコインは流動性に乏しいものが多数あるため、流動性のリスクもある。仮に仮想通貨交換業者が他の業者との取引で流動性を獲得する場合、「①多大なる信用リスクを取引相手に対して取らざるを得ない、②参加者間で取引を秘匿しにくい、③当局が業者間大口取引を捕捉しづらい」(出典:クリプトガレージ社プレスリリース)などの問題が生じる。
世界中で仮想通貨交換所のハッキングが相次ぐ現在、特に①の取引先の仮想通貨交換所が破たんするなどして契約が履行されないリスク(カウンターパーティリスク)は大きい。また、債務不履行が連鎖してシステム全体が機能不全に陥るリスク(システミックリスク)を防ぐ必要がある。
クリプトガレージが行っている実証は、こうした価格変動や流動性のリスクを回避し、急拡大する仮想通貨市場でさまざまに起きている課題を解決するための、共通の決済・取引基盤をつくる試みだ。
「仮想通貨交換所同士の決済は、セントラライズ(中央集権的)なクリアリング(清算)よりも、新しいアプローチでやった方がいいと思っている。カウンターパーティーリスクなどさまざまな課題を技術的に解決するやり方だ」(木室氏)
決済の当事者どうしで直接、疑義が出ない形で即時に価値交換(アトミックスワップ)できるなら、カウンターパーティーリスクなしに決済を実行できる。つまりカバーマーケットを低コストかつ安全に実現できることになる。クリプトガレージが狙うのは、このような次世代の決済技術の核心である。
みんなが一緒になって作るためには“現場感”が必要だ
では、実証でサンドボックス制度を使う必要性がどこにあったのか。それは資金決済法をはじめとする法制度と新技術の整合性を取ることだった。実証では、サイドチェーン上でビットコインに連動するトークンと、日本円に連動するトークンを、同時交換するアトミックスワップを実施する。現行の資金決済法では仮想通貨の交換を「業として」行う場合には仮想通貨交換業の登録が必要と定めている。
よく知られているように、現在の日本の仮想通貨交換業の登録には高いハードルが設けられている。登録には時間もコストも必要だ。実証のため、新たに登録するには負担が大きすぎる。そこで規制のサンドボックス制度を適用した。
今回の実証では参加者を数社に限定し、取引高上限に制限があり、営利目的ではなく、1年を期限とするという条件のもと「業として」交換する訳ではないことを確認した形とした。今回の実証は「業として」行うものではなく、法制度に違反しないことを規制当局である金融庁が認める形で、「大手を振って実証できる」(中原氏)ように環境を整えた形だ。
「仮想通貨交換業者のオペレーションは日々変化している。ガイドラインも、みんなが一緒になって作っていった。新技術を利用するシステムを(開発に入る前に仕様を固める)ウォータフォール型で作れるかというと、そうではない。一緒になって作り、前進しないと。そのためには“現場感”がほしい」(仲宗根氏)
仮想通貨は新しい分野、だからこそ規制当局への歩み寄りが必要
仮想通貨は新しい分野だ。法律、会計制度、金融規制などが現在進行形で整えられている。クリプトガレージではサイドチェーン上のアトミックスワップの実現というプロジェクトを検討するにあたり「率直にいって(新技術の概念が)資金決済法や金商法(金融商品取引法)などのどの項目にあてはまるのか、誰も判断できない状態だった」(仲宗根氏)。技術が新しすぎ、規制当局や業界団体によるルールも動きながら整えられている状況だったからだ。
「法律の文言に書いていないからといって、実行してしまっていいのか。私たちはそうしない方を選んだ」と仲宗根氏は言う。「将来の金融インフラはP2P(peer-to-peer)、ディセントラライズ(非中央集権)の技術をベースにできあがる可能性がある。そこに賭けてみよう。それも、安全性を大事にし、規制当局とも歩み寄って。そういう姿勢を選択した」(仲宗根氏)。
日本の仮想通貨交換業の各社は、現在進行形で整備される規制とビジネスを適合させるために多大な努力を払っている。いわば“産みの苦しみ”を味わっている最中だ。その一方で、規制のサンドボックス制度を活用したクリプトガレージの実証を通じて、安全で低コストな事業者間決済基盤を実用化することができれば、仮想通貨交換業者にとっても、有益なものとなる可能性がある。
仮想通貨のテクノロジーは、もともと低コストで安全な決済を実現することを目指した技術である。この技術を実用化できれば、私たちの社会はより安全でより低コストな決済インフラを手に入れ、より多くの人々が金融サービスを受ける金融包摂を実現できる可能性も視野に入ってくる。実証の成果に注目したい。
中原裕彦(なかはら・ひろひこ)/内閣官房 日本経済再生総合事務局 参事官
1991年東京大学法学部卒業、通商産業省入省、大蔵省証券局総務課、米国コーネル大学 Ph.D.candidate、法務省民事局参事官室、中小企業庁制度改正審議室長、経済産業省知的財産政策室長、内閣府規制改革推進室参事官、経済産業省産業組織課長等を経て2016年から現職。規制のサンドボックス制度の創設に尽力。
仲宗根豊(なかそね・ゆたか)/クリプトガレージCSO
東京短資株式会社デジタル戦略室にて暗号資産(Bitcoin)のリサーチ、DG Lab/MIT DCIとの共同研究などを推進し、2018年9月より現職。Bitcoinプロトコルを用いた金融商品に関する研究に従事。日銀FinTechフォーラム、Scaling Bitcoin Dev++/BC2、東京大学金融教育研究センター・フィンテック研究フォーラムなどにて講演。
木室俊一(きむろ・しゅんいち)/デジタルガレージDG Labシニアマネージャー
研究開発組織DG Labにてブロックチェーン領域の事業開発・投資を担当、2018年9月よりCrypto GarageにてHead of Product ManagementとしてBitcoinプロトコルを用いた金融サービス開発に従事。