「サトシ・ナカモト裁判」ではなかった:報道の歪み【オピニオン】

ビットコインの生みの親「サトシ・ナカモト」を自称する起業家クレイグ・ライト(Craig Wright)氏と、元ビジネスパートナーの故デイブ・クライマン(Dave Kleiman)氏の遺族が争う民事裁判は6日、判決が出された。

陪審員はライト氏を、知的財産窃盗で有罪とし、クライマン氏と共同で設立した「W&K Info Defense」へ1億ドルの損害賠償金を支払うように、ライト氏に命じた。しかし、原告側であるクライマン氏の遺族が、クライマン氏とのパートナーシップであったと主張するビットコインマイニング事業の収益の半分を盗んだ罪については、陪審員はライト氏を無罪とした。

一部のメディアは、このような陪審員の判断について、だいぶ異なった解釈を報じている。サトシ・ナカモトの正体が、疑いの余地なく明らかになったかのように。

そのように報じたのは、CoinGeekと呼ばれるウェブサイトだ。その驚きの主張の証拠として、記事にはライト氏の弁護人アンドレス・リベロ(Andres Rivero)氏が裁判の後に語った、次のような言葉が引用されている。

「本日陪審員が下した判断は、私たちがすでに真実であると知っていた次のことを正しいと認めるものだ。クレイグ・ライト博士は、ビットコインとブロックチェーンテクノロジーを単独で生み出したサトシ・ナカモトなのだ」

ライト氏自身の弁護人が法廷の外で発したこの言葉は、陪審員の判断とはまったく関係がない。この裁判では、サトシ・ナカモトの正体は争点ではなかった。

CoinGeekは、この裁判の要旨について、同様の歪曲した解釈を容赦無く繰り広げ、それは何年も前の公判前の段階にまで及んでいる。これは巧みな戦略である。この裁判は元々、奇妙な性質のものであり、どのような判決でも、ライト氏の優位になるように解釈することができるからだ。

現在では、恐ろしいほど多くのメディアが、故意かどうかは分からないが、CoinGeek的な解釈を繰り返している。

CoinGeek側には、このような報道を展開する明らかな金銭的動機がある。このウェブサイトは、連邦裁判所で起訴されている起業家カルヴィン・エアー(Calvin Ayre)氏が所有するエアー・グループ(Ayre Group)企業の1社だ。

エアー・グループは、ライト氏が最高科学責任者を務めるnチェーン(nChain)に投資している。エアー・グループは他にも、ハンドキャッシュ(HandCash)や、ビットコインSV(BSV)上で開発されたビットコインのフォークで、ライト氏が「サトシのビジョン」に沿って設計されていると主張する、タール(Taal)をはじめとした、いくつかのプロジェクトに投資している。

つまり、厳密に財政上の観点から見ると、CoinGeekはニュースウェブサイトではなく、エアー・グループのnチェーンやBSVの取り組みにおける「所有されたメディア」部門なのだ。事業運営の面では、親会社のサービス、製品、戦略などを宣伝する、ファストフードチェーン「タコベル」のブログと同じ役割を果たしている。

むしろタコベルのブログの方が、CoinGeekよりもはるかに生産的価値が高く、正確さも大切にしているようだ。この記事のためのリサーチをする中で目に入った、CoinGeekの見出しの1つを例にとってみよう。

暗号資産取引所FTXのCEO、サム・バンクマン・フリード(Sam Bankman-Fried)氏が、「裁判所」に出廷するとされている。話題となっているのは、下院金融サービス委員会における証言のことで、明らかに「裁判所」ではない。

サム・バンクマン-フリード氏が「裁判所」で証言と報じるCoinGeekの記事
出典:CoinGeek

(エアー氏もまた、ツイッターで頻繁にライト氏とBSVを擁護し、関係ないスレッドにまで顔を出している)

「muneeb.btc:ビットコイン至上主義が、ビットコインの成長の足枷となっている。
同意する人はリツイートを。
スレッドに続く。

カルヴィン・エアー:BSVは元祖ビットコインプロトコルであり、優れている」

裁判の真の争点

デイブ・クライマン氏に代わって裁判を起こした兄弟のアイラ・クライマン(Ira Kleiman)氏は、ライト氏の弁護団が「サトシ・コイン」と呼ぶものに対して権利を主張しようとした。

現在では500億ドル近くの価値があるこれらのビットコイン(BTC)は、ライト氏とクライマン氏の初期の共同作業の一環でマイニングされたものとされている。ライト氏は、これらのサトシ・コインを自らが保有すると主張。しかし、その移動、送金、売却に必要な秘密鍵を保有していることを示す証拠を出してはいない。

実はそれらのコインが保管されているウォレットの一部は、ライト氏を嘘つきと呼ぶメッセージに署名するのに使われているほどなのだ。ライト氏が単に、大量のビットコインが保管されている一連のウォレットを選び、自分のものと主張しているのではないかと疑っている人たちもいる。

今回の裁判では、この500億ドル相当のビットコインをライト氏が所有しているとする主張は、争点とはならなかった。陪審員は、ライト氏とクライマン氏がビットコインに取り組むためにパートナーシップを結んだことを示すと原告側が主張する、Eメールやその他の書類について判断を下すよう求められたのだ。

それらのEメールや書面上でのやり取りはかなり曖昧なものであり、陪審員は証拠が説得力のあるものとは考えず、原告側の主張を退けた。

しかし、自らがナカモト・サトシであるという主張を支えることになる、これらのコインをライト氏が所有しているという主張は、裁判では所与の事実として、直接争点とはならなかったのだ。

報道上の過ち

そうなると、そのような複雑さのために、フォックス・ビジネスが裁判後に、ライト氏が「500億ドル相当のビットコインを保持」とする見出しを出したり、AP通信が「数百億ドル相当の暗号資産の財産」を、でっち上げの可能性があるものと扱う代わりに、所与の事実として扱っていたとしても、あまり腹を立てることはできないだろう。

しかし一部のメディアは、エアー氏やCoinGeekによる歪曲された解釈に、さらに酷似した報道を行った。最も困惑させるのは、ウォール・ストリート・ジャーナルであり、6日の見出しでは愚かにも、この裁判を「サトシ・ナカモト裁判」と呼んだ。

この記事の第1段落では、「ビットコインの匿名の生みの親サトシ・サカモトの正体をめぐる」裁判と形容していたが、この表現は、裁判の実際の中身とは完全にかけ離れている。

ウォール・ストリート・ジャーナルがこの裁判の報道で失態をさらすのは、実はこれで2回目だ。このようなレベルの報道上の愚劣さに対しては、完全に困惑していると言わざるを得ないが、ライト氏の支持者たちがどれほど喜んでいるかは、想像に難くない。

しかし、どれだけ偏った解釈をしたとしても、実際に起こった裁判の中身を消し去ることはできない。原告の主張はおおむね退けられたが、陪審員はライト氏を、1件の訴因について有罪とした。

W&Kにおけるクライマン氏との共同事業における知的財産の窃盗だ。陪審員はライト氏に対し、W&Kへの1億ドルの損害賠償を命じたが、同社の所有権も係争中である。

ライト氏の窃盗がこのように認められたことは、付随的なささいな出来事ではない。サトシ・ナカモトの正体ではなく、これこそが、今回の裁判の本当の中身の1つであったのだ。

クライマン氏は、健康状態に深刻な問題を抱えた人物であったようだ。(被告側は、クライマン氏がライト氏との共同事業に積極的に貢献するには、健康状態に問題があったと証明しようとしていた)

ライト氏はプライベートなやり取りの中で繰り返し、クライマン氏を非常に近しい友人など、あたたかみのある表現で呼んでおり、クライマン氏の死を痛ましいものと考えていた。それでも陪審員は最終的に、ライト氏が一連の偽装された文書や日付を誤魔化した文書を使って、クライマン氏の生み出したものを盗んだという、原告側の主張を認めたのだ。

陪審員の判断は、ライト氏が「100%サトシ・ナカモト」である、というものではなく、悲劇的な死を遂げたばかりの四肢まひのビジネスパートナーの遺族から、知的財産を奪ったというものだ。このような行いは、ライト氏の人格について多くを物語っており、彼を英雄あるいは同志と考えている人は、そのことを慎重に考えてみるべきだろう。

|翻訳・編集:山口晶子、佐藤茂
|画像:Shutterstock
|原文:There Was No ‘Satoshi Nakamoto’ Lawsuit