1980年代のヒップホップミュージックは、暗号資産(仮想通貨)のこの10年の歩みのようだった。盛り上がっているが、理解している人は少なく、主にニューヨークを中心とした地域に限られ、一時的なものと片付けられていた。
そして1990年頃、パブリック・エナミー、N.W.A、ツー・ライブ・クルー、ネイティブ・タンズなど数多くのアーティストが登場し、全米の若者から絶大な支持を集めた。アフリカ系アメリカ人だけでなく、インド系カナダ人や中国系カナダ人の2世である私の友人や私を含めて、アメリカやカナダのほぼすべてのマイノリティが夢中になった。
1992年までにヒップホップスタイルはスポーツやファッションにも浸透した。カレッジバスケットボールの強豪ミシガン大学の「ファブ・ファイブ(Fab Five:先発メンバー全員が1年生という異例のチーム)」は、当時の男子高校生なら誰でも知っている憧れの存在だった。
彼らはラッパーグループのオニキスのように頭を剃り、ショートパンツをはき、生意気な口をきき、黒いソックスを履いた。影響力は大きく、ナイキは急いで黒いソックスを作った。当時、ナイキは白いソックスしか発売していなかった。
世界に広がったヒップホップ
ラッパーたちはファッションを変えた。スヌープ・ドッグはホッケージャージをカッコよく着こなした。スターター(STARTER)のキャップは必需品だった。そして、1996年にアレン・アイバーソンの登場でNBAは永遠に変わった。
こうしたファッションを嫌う人もいた。政治家や有名人が子供たちにズボンを上げるように言う「リスペクタビリティ・ポリティクス」の時代が始まった。
※リスペクタビリティ・ポリティクス:主にマイノリティが、差別されないように模範的な行動を取ること。あるいは無意識のうちにそうした行動を社会から求められること。
つまり、チューリップ・バブル(17世紀のオランダで起きた歴史上、最初のバブル)のような短期トレンドと考えられていたものが、正真正銘の世界的なカルチャーとなった。私はこの6年間、世界のほぼすべての地域を旅してきたが、多くの人は気づいていないとしても、共通するカルチャーはヒップホップだ。
先日亡くなったファッションデザイナー、ヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)は、ヒップホップ世代の象徴的存在だった。
ヒップホップと暗号資産
ヒップホップカルチャーの成長と繁栄を目撃してきた私は今、暗号資産にも同じようなものを感じている。
NFTはさまざまな分野に広がり、決して無くならないだろう。NFTはもはや単なる資産ではなく、多くのプロダクトや若者のアイデンティティの不可欠要素となっている。NFTが、スターターのキャップやサテンジャケットのように若者を夢中にさせている。
暗号資産はプロダクトにまつわるコミュニティづくりの方法を変えた。チャットツールのディスコード(Discord)などが、若者とつながりたいプロジェクトやブランドの主なプラットフォームになるだろう。暗号資産はリアルタイムで、お金で、ゲームで、柔軟で、反権威的だ。
ベビーブーム世代(1946年〜1964年生まれ)がこのトレンドに乗って主導権を握ろうとしており、「Web 3.0」という言葉を乱用している。視聴率が低迷した90年代のファミリー向けシットコム(シチュエーション・コメディ)が、時代遅れの番組を救うためにラッパーのようなファッションの黒人の子供を登場させたときのようだ。ラップに「中途半端なワルに意味はない」という歌詞がある。ベビーブーム世代がやっていることはすぐ分かる。
数週間前にインタビューを受け、こう聞かれた。「ベビーブーム世代がグーグルで『NFT』と検索し、猿やカエルなどの妙な画像を見つけるような状況をどう思いますか?」と。
私の答えは「そんなことは、どうでもいい」だ。
1990年代、ベビーブーム世代はテレビでラップを聞いたとき、2パックが中指を突き立て、アイス・Tが「コップ・キラー」と叫び、NWAが「F**k The Police」と言ったとき、何と言っただろうか? ベビーブーム世代はそうした動きを止められなかったし、今も新しいムーブメントを止めることはできないだろう。
暗号資産のカルチャーへの浸透は、決して我々世代のためではない。私の10代の娘と、世界中の彼女の同世代のためだ。ヒップホップでは一部の人たちだけが大金を手にした。暗号資産なら、全員がハッピーになれる。
|翻訳:coindesk JAPAN
|編集:増田隆幸
|画像:パブリック・エナミー(Shutterstock)
|原文:Crypto Is the Biggest Thing to Change Culture Since Hip Hop