米国のトルネード・キャッシュ禁止は中国のAI戦略を利する【コラム】

米政府がAI(人工知能)分野における中国の前進を恐れているとしたら、機械学習モデルのトレーニングに使える極めて価値の高い暗号資産(仮想通貨)データという宝の山を、なぜ中国政府に渡してしまっているのだろうか?

これは、リスボンで開催されたNEARプロトコルの年次カンフェレンス「NEARCON」の場で、開発者のアニシュ・モハメド(Anish Mohammed)氏が投げかけた疑問だ。

この疑問によって私の中には、米政府がイーサリアム基盤のミキシングサービス「トルネード・キャッシュ(Tornado Cash)」に制裁を課してから暗号資産の世界で広がっている、アンチプライバシー、自己検閲的な取り締まりに対する新しい視点が生まれた。

私を含む多くの人が、トルネード・キャッシュ制裁のずっと前から、アメリカやその同盟諸国が、プライバシーを守る、分散型で、オープンアクセスの暗号資産プロトコルの拡大を許したら、どれほどの地政学的強みを得ることができるかを議論してきた。

それはつまり、欧米社会が「キラーアプリ」を解き放つことができる、という考えだ。個人の権利をコードに記し、権威主義的な統制や監視ではなく、オープンアクセスとプライバシーを推奨する欧米の通貨システムに対して、自らの資産で賛成票を投じるよう、世界のデジタル面で流動的な市民に促すことができる。

独裁や一党独裁国家は、自国の通貨に対するコントロールを失い、それによって自らの凋落の種を蒔くことなしでは対抗できないため、欧米型のモデルが勝つという議論である。

プライバシー保護に特化したパンサー・プロトコル(Panther Protocol)のチーフサイエンティストを務めるモハメド氏と会話するまで、暗号資産政策においてオープンなアプローチを取らないことが、アメリカ政府による暗号資産プロジェクトに対する厳しい規制に私が抱く不満の主な源であった。

厳しい規制とは具体的には、ユーザーが身元を明らかにするよう義務付けられ、「適格投資家」要件を遵守し、当局による過剰なまでの報告義務に応じなければいけないものだ。そのような規制はすべて、暗号資産の分散化の原則を台無しにし、社会にもたらす可能性のある莫大な価値を弱めるものだと、私は主張してきた。

しかし、悲しいことに私は今や、この問題について一段と暗い見通しを持つようになった。中国に勝つためにプライバシーの「アメ」を使うチャンスを放棄しているだけでなく、私たちを従属させ、AIにおける優位に向けた行進を加速させることのできる「鞭」を中国に渡してしまっているようだ。

AIエコノミーの燃料となるデータ

私たちは今、デジタルテクノロジーの進展が主に、データへのアクセスによって決定される段階に到達している。

まず、半導体の集積率が20世紀最後の数十年で急速に拡大するメカニズムを論じたムーアの法則によって、超高速演算ハードウェアの時代が到来。次に、1990年代のインターネット登場により、それらのコンピューターが処理、伝送するデジタル情報を生成、共有する人類の能力が飛躍的に拡大した。

現在、AIシステムが良くも悪くも私たちの暮らしのほぼすべての側面に影響を与える時代を迎え、それを支える機械学習アルゴリズムが、データの主要な消費者となっている。さらにパワフルに予測、行動を調整するアルゴリズムを開発するために、データが必要なのだ。

AIシステムは、企業株主への支払い、政府当局が握るコントロールの拡大、環境の変化を処理し、それに対応する集団的能力の改善といった社会にもたらす好ましい影響といった形で、AIシステムの配備によって生まれる「利益」をめぐって競い合っている。その競争によってAIシステムは、データをますます貪欲に求めるようになっているのだ。

さらに重要なことに、このような事態が、通貨もデジタル化し、社会における人と人、組織と組織、人と組織のやり取りの大半の履歴を含むようになってきているのと時を同じくして起こっているのだ。

通貨のデジタル化は政府、企業、オープンソースブロックチェーン開発者のコミュニティが牽引している。彼らのモデルは、国家組織が台帳を管理し、彼らがすべてのユーザーデータを完全かつ独占的に確認できるものから、取引履歴を誰の目からも守るためにゼロ知識証明などの暗号化ツールを取り込んだ、分散型ネットワークが運営するオープンプロトコルまで、多様な形がある。

その中間にあるのが、取引データを誰でも閲覧できる、プライバシー保護機能のないパブリックブロックチェーンである。

データの宝庫

敵国とみなす外国の利害を損なうようにトレーニングされたAIシステムを持つ権威主義政府であれば、敵国社会のデータはなるべくアクセスしやすいものであって欲しいだろう。

そして、中央集権型のプログラム可能なデジタルマネーと、取引処理の効率性を複数の業界にもたらす、経済全体にわたる分散型台帳ネットワークを開発しているとしたら、公開されているブロックチェーンデータに特別な興味を持つだろう。

これはもちろん、中国のことだ。同国では、産業用ブロックチェーン・サービス・ネットワーク(BSN)の開発と並行して、中央銀行デジタル通貨に当たるデジタル通貨電子決済システム(DCEP)が何億人ものユーザーに展開されている。

これらのシステムが発展するに伴って、中国政府が管理、あるいは承認する機械学習プログラムは、中国国民が生成する莫大な経済データにアクセスできるようになる。

中国の目指すところは、国内経済をより効率的にすることだけにとどまらない。戦略的、地政学的利害を守りつつ、デジタルテクノロジーにおいて世界をリードすることを目指しているのだ。そのような目標を追求するためにAIを使うとすれば、アメリカ、ヨーロッパ、日本、その他民主主義国家の市民が生成するデータに、お宝が潜んでいる。

中央集権型の企業・政府システム内では、ファイアウォールに守られた欧米のデータにアクセスするのは難しい。対照的にオープンブロックチェーンは、誰でも利用可能な情報を生み出す。政策決定者たちにとっての問題は、例えばトルネード・キャッシュなどの高度な暗号化技術によって、取引ソースのデータがどれほどよく守られているのか、という点だ。

そこに、アメリカ国民が事実上トルネード・キャッシュと取引できないようにした米財務省の決断の問題点がある。オープンソースソフトウェアを、個人や企業と同じように扱ったことで、アメリカはイーサリアムブロックチェーンから重要なプライバシーオプションを奪い取り、そのデータを開かれたものにしてしまったのだ。

この制裁の影響力は広範に及び、暗号資産サービス提供業者は渋々ながらもスピーディに、トルネード・キャッシュのユーザーとの取引履歴があるウォレットをブロックすることで、財務省による制裁に対応した。このような自己検閲の延長線上で、多くの企業は今、同じような制裁の対象となる可能性のある、他のプライバシー保護スマートコントラクトとのやり取りをも恐れている。

北朝鮮は?

ブロックチェーンはポスト・プライバシーの時代に入ったと言っていいだろう。しかし、デジタル通貨とブロックチェーンシステムが成長するに伴って、この新しい段階が、権威主義政権に情報面での優位をもたらすという点が議論されないままになっている。

それは中国やロシアだけでなく、北朝鮮にも当てはまる。米財務省がトルネード・キャッシュに制裁を課した理由が、北朝鮮のハッカーがオンラインゲーム「アクシー・インフィニティ(Axie Infinity)」への攻撃で手にした資金をマネーロンダリングするためにトルネードを使っていたからであったことを考えると、これは皮肉なことだ。

分析企業チェイナリシス(Chainalysis)は先週、その攻撃で奪われた3000億ドルを米当局が取り戻すのに協力したと発表。それならそもそも、トルネード・キャッシュに制裁を課すのがなぜ大切だったのかと、疑問に思ってしまうかもしれない。

そのようなハッキングを防ぐのは明らかに、公共の利益にかなう。しかし、ブロックチェーン分析や高度な暗号化ソリューションによって、ユーザーのプライバシーを守りつつ、犯罪者が資産を盗むことを困難にする方法も多く存在するのだ。

採用するソリューションがどんなものであっても、プライバシーに広範な制約を課すことの代償が、欧米の民主主義を脅かすことにほかならないことを、規制当局は理解する必要がある。

|翻訳・編集:山口晶子、佐藤茂
|画像:Shutterstock
|原文:Tornado Cash Ban Will Aid China’s AI Goals