暗号資産の歴史の中でも最大級に劇的な1週間が過ぎ去った。信頼されていた大手取引プラットフォームが不適切な資産管理を行い、数十億ドルにも及ぶバランスシートの穴を抱えていたことが明らかとなったのだ。
結果として130を超える関連企業が破綻し、第三者を信用する必要を無くすために作られた業界で、なぜこのようなことが起こったのだろうか?
しかし、このような疑問を抱くようでは甘い。どれほどのお金がどこにどんな理由で動かされていたのかについて詳細が明らかになり始めているが、根本的な理由は次の通り。私たちは信頼することを選んだのだ。
そうなると直感的には、信頼を裏切られた人なら誰でも馴染みがある通り、2度と騙されないようにしようと強く誓うだろう。金融の世界においてはいまや、アトミックスワップ、送金監視、残高認証など、比較的トラストフリーな金銭関係を可能にするテクノロジーが存在している。
しかし、私たちの傷ついた魂が個人的な落胆からほぼ常に立ち直り、他の人たちに再び心を開くのと同じように、その言い分を信頼するしかない中央集権型サービス抜きに私たちは生きてはいけないということも、分かってくるだろう。
これは、内的、外的システムの結果であり、私たちにはほとんどどうすることもできないのである。
内的システムとは、私たちの感情の仕組みである。私たち人間は、生き延びるために他者に依存するように作られている。だからこそ私たちの先祖は、部族や一族、国家を形成した。現代になり、他者と協力し合わなくても食料や住みかを確保できるようになったが、私たちのほとんどは友情や帰属意識を求めている。感情的なニーズを単独で満たすことも、私たちは得意としていないからだ。
商業と金融の類似点は、できる限り専門家に任せてしまうことで労力を省ける便利さだ。満足感を与えてくれるつながりを築きつつ、浮いた時間を他のことに使うことができる。
外的システムとは、私たちの多くがその中に暮らす規制の枠組みだ。金融サービスに関しては、私たちがしっかりと情報に基づいた決断を行い、私たちの資産は回収可能なものであることを確実にするために作られた特定の要件を満たしたカウンターパーティーが提供するものからしか、私たちは選ぶことができない。
取引する前に承諾する必要のある規約の細かい条文を読む人はほとんどいない。筋が通ったもののはずと思い込む方が、時間を有効に使えるのだ。さらに私たちは、企業がしっかりとした慣行に従っている証拠を要求することもない。法律を遵守しないことで受ける罰を回避したがるだろうと、仮定するのだ。
しかし、暗号資産はこれまでとは違うものになるために作られた。もしかしたら、私たちが短期間に感情的に適応できないほどに、その違いが大き過ぎたのかもしれない。
FTXを信頼する
私たちは、FTXを信頼する必要はなかった。分散型の代替オプションがあったのだから。しかし、私たちはFTXを信頼することを選んだのだ。バランスシートについてもっとはっきりとした情報を求めることもできた。トークンの動きについて、もっと早くに分析することもできた。取締役になぜ投資家がいないのか尋ねることもできた。それなのに、それらのことをしなかったのだ。
多くの理由から、中央集権型企業を信頼するという、深く染みついた習慣に従ってしまったのだ。その理由とは、利便性、リターンの可能性、帰属意識、賢さや饒舌さへの直感的な尊敬、むさ苦しくて負け犬のような人(サム・バンクマン-フリード氏)を応援し、彼が成功するのを見ることから得られる高揚感、満足感などである。
これはおそらく、パターンから推測してしまった結果なのだろう。企業が大きく成功しているなら、合法でしっかりしたところなはずだと。これだけ多くの国や地域に事務所を構えているのなら、これだけ多くの分野で業界の成長を支えているのなら、創業者がこれだけ多くの有名でパワフルな友人を抱えているのなら、しっかりと検証されているのは間違いないだろう、と。
そこにたっぷりのイデオロギーを放り込めば、コンセプトの成功を強く望むあまり、良識による当たり前の抑止力が機能しなくなってしまうような、優しい仲間たちが集まる。
さらに、コンセプトの信奉者ではない人たちすらも引き込む、感情的な反射作用も存在する。金融を改革し、資産の大半を手放すことで世界をより良い場所にしてみせると、静かにかつ知的に語るオタクっぽい人間を好きにならない人などいるだろうか?
誰かを非難しようとしているわけではない。自戒を込めて言っているのだ。
この先は?
中央集権型プラットフォームを適切に精査することなんて私たちにはできそうにないのだから、そんなものを使うのはもう永久に控えたら良いのだろうか?現状では、そのような方針が魅力的に聞こえるし、分散型アプリケーションのレジリエンスと成長からは、力強い潜在性が伝わってくる。
しかし、私たちの多くは、次は危険信号をもっと良く検知できるだろうと確信し、安全性よりも利便性を直感的に選ぶ習慣に戻っていってしまうことは分かっている。結局のところ、利便性は効率性を生み、それが金銭的利益を生むのだ。そして人間は直感的に、快適さと協調の方に向かう傾向がある。
私たちはもっと良くできるはずだ。中央集権型プラットフォームは市場の重要な一部であるということを認めつつ、今回の騒動から学び、信頼を盲目的な信用に基づかないものにするツールを開発するのだ。
このような動きはすでに始まっている。例えば、複数のプラットフォームが、「プルーフ・オブ・リザーブ」を導入すると発表した。これは、プラットフォームの保有資産が、顧客の預け入れ資産に匹敵、あるいはそれを超えるものであることをユーザーが独立で検証できるようにする、暗号化技術と伝統的な監査の組み合わせである。
これから数週間で気まずい説明を迫られるものも含め、ベンチャーキャピタリストたちは将来的に、少なくとも次のブームが来るまでは、もっと厳格なデューデリジェンスを行うだろう。
ロビー団体や政策チームは規制当局と協力して、早まった制限や破滅的な定義の導入を回避しつつ、情報開示ルールの草案を作っていくだろう。機関投資家は、過激なイノベーションからは距離を置きつつも、馴染みがあるように見えて、より良いリターンをもたらすような新しい仕組みの支援は続けるはずだ。
そして業界は、世界のどこでも個人に優れた選択肢を提供するという、クリプトの根本的信条を示すようなもっとパワフルなプロダクトやサービスの開発を続けるだろう。分散型サービスを使いたい人は、使えるようにするべきだ。中央集権型サービスの利便性を好む人は、信頼できるサービスを受けられて当然だ。
希望的観測のように聞こえるかもしれないが、人間の本質が、その最も得意とする仕事をしてくれると信じている。それはつまり、保護の一般的必要性に対して集団的なソリューションを見つけつつ、周縁的な集団に対するニッチなソリューションもサポートするということ。
歴史を通じて、非主流派の理想主義者たちこそが、変革を通じて成功を遂げてきた革新家たちなのであり、彼らのアイディアが、既存システムよりも優れた効率性やエンパワメントを届けてきたのだ。
私たちはまた、信頼をするだろう。信頼するべきなのだ。信頼は私たちの在り方の一部であるし、価値を生み出すコミュニティに必要な要素でもある。しかし、信頼というコンセプトをよりよく理解しなければならない。なぜ信頼するのかというのを理解することは、私たちの近視眼的な考え方が生む脆弱性を抑えつつ、必要なことを成し遂げるシステムをデザインするのに欠かせない条件なのだ。
今回のFTX騒動は、痛みと怒りを残した。この業界において2度とこのようなことが起こらないようにすること、同時になぜこのようなことが起こったのかを理解することは、私たちの責任である。立ち上がって、苦しんでいる人たちを支え、先へ進み続けるのも私たちの責務だ。
そのプロセスには、中央集権化は、私たちが望む分散型システムにとって必要だが、慎重に組み立てられる必要のある要素であると認めることも含まれる。
テクノロジーの助けを借り、ずっと優れたメッセージを送り届けることで、この業界を多様な力としている人々の本質を変えることなく、目標を達成することができると信じることも、この先に進む上で大切な要素となるだろう。
ノエル・アチェソン(Noelle Acheson)氏は、CoinDeskとジェネシス・トレーディング(Genesis Trading)の元リサーチ責任者。
|翻訳・編集:山口晶子、佐藤茂
|画像:Shutterstock
|原文:After FTX: Rebuilding Trust in Crypto’s Founding Mission