評論家の多くは、ブロックチェーンの価値を理解できずにいる。だが完全に彼らのせいとは言えない。私が顧客によく話をするとおり、ブロックチェーン上でできるあらゆることは中央集権型システムを使えば、より良く、より速く、より安くできる。なぜ、わざわざブロックチェーンを使うのか?
ブロックチェーンはバカバカしいほど複雑なシステムで、全員が自分以外の全員の作業をチェックしている。公開鍵の暗号化が面倒と感じるのなら、ゼロ知識証明などは不可解そのもの。正直言って私はすべてを理解しようとするのをあきらめ、EY(アーンスト・アンド・ヤング)のR&Dのスタッフの話を信じることにしている。
では、パブリックブロックチェーンの価値とは何なのか? そこまで面倒なことをして何になるのだろう?
答えは分散化だ。分散化は、パブリックブロックチェーン以外の他のどんなシステムでも手に入れることができない、唯一無二の特徴だ。
分散化が地球上のすべての企業、そして私たち全員の長期的な繁栄にとってなぜこれほど重要なのかについては、あまり話題になっていない。分散化の価値は、アメリカだけで1年間に約1兆ドルと推測されており、その数字は毎日のように大きくなっている。
分散型が当たり前だった時代
分散化は常に大切なものであり続けているが、かつては世界の仕組みがそうだったため、あまり気づかれることがなかった。昔は今と比べると、はるかに分散化の度合いが高かった。
子供の頃、ヨーロッパに住む祖父母を訪れることは私にとって、ほとんど同じなのにどこか違う素晴らしい世界を訪れることだった。ブラウプンクト(Blaupunkt)のラジオ、グルンディッヒ(Grundig)のテレビ、マークス&スペンサー(Marks & Spencer)の洋服。アメリカでは目にしないものばかりだった。同じだろうと思うものも、同じではなかった。ヨーロッパを走るフォードのエスコートは、アメリカで売られているエスコートとは似ても似つかないものだった。
こうした分散化には、計画や意識的な作業は必要なかった。昔はグローバルな組織を運用することは事実上不可能だったからだ。グローバル企業の前には多国籍企業があった。多国籍企業は多くの国で事業を行っていた企業で、それぞれの国では固有の企業だった。
製品は世界中で違っていた。デザインコラボレーションのためのリアルタイムデータネットワークなど存在していなかった。5分の国際電話に1家族のディナー代ほどの料金がかかった時代には、グローバルなデザインチームやエンジニアリングチームを組織することは現実的ではなかった。グローバルなソフトウエアプロダクトもデータネットワークも存在していなかった。
デジタル化によるグローバル独占の時代
だが、地域ごとの製品やバリエーションが存在した世界は少しずつ消えていった。デジタルテクノロジーによって規模とインテグレーションが可能になったからだ。何十年もかけて、大規模生産とデジタル化が、何千もの小規模ブランドや企業を消し去っていった。これは、私たち皆にとって良いことだった。現代のグローバル経済では、ラジオ、テレビ、衣服は昔よりはるかに安価になった。
しかし、規模によって製造が集約化され、モノは非常に安価(かつ画一的)になった一方で、デジタル化はまた、中央集権化されたデジタル独占とカルテルの新しいグローバル時代をもたらした。これは良い結果ではなかった。
その根本原因は、デジタルマーケットプレースはほぼすべて自然な独占の結果であり、ソフトウエアやネットワークがほぼすべてのものをデジタルマーケットプレースへと転換させていることだ。
タクシーに乗る、というシンプルな体験を例にとってみよう。子供の頃、タクシーの乗車体験は場所によって異なるものだった。ロンドンでは高価なぜいたく。アテネではお手頃で便利なもの。ニューヨークでは、特に空港への行き来の場合は避けることができないコスト。
すべてが異なっていて、ユニークだった。しかし今では、すべてがライドシェアのデジタルマーケットプレースになってしまった。2つの会社が世界的にこの業界を支配している。
ソフトウエアとネットワークのエコノミクスによって、このような状態が不可避となっている。メッセージであれ、ライドシェアであれ、ネットワークの価値はユーザーが増えれば増えるほど大きくなる。ユーザーが多ければ多いほど、そのネットワークに参加する魅力が高まる。時間とともに市場リーダーに追いつくことはますます困難になり、いずれほぼ不可能となる。
誤解しないで欲しい。このプロセスは、ビジネスの変容にとっては極めて価値あるものだ。マーケットプレースをデジタル化し、完成させるための投資の初期段階は極めて難しいが、莫大な価値を生む。
ほぼすべての都市で、運転手と乗客をマッチングさせるためのリアルタイムシステムを開発し、GPS地図やナビゲーション、価格設定モデル、評価システム、支払いシステムを統合することは非常に困難な大仕事だ。その結果生まれたシステムはあまりに素晴らしく、初めてライドシェアを利用する時には、魔法のように感じられるほどだ。車に乗り込み、目的地に連れていってもらい、車から降り、立ち去るだけなのだから。
独占の弊害
デジタルインテグレーションとマーケットプレース開発の初期には、買い手にも売り手にも大きな価値が生まれるが、段々と上手くいかなくなってくる。どこかの時点で新興独占企業は、価値あるエコシステムの開発者というより、搾取的な独占主義者のように振る舞い始める。価格や手数料が上がり始め、企業はデータマイニングとマーケットプレース搾取の終わりのないサイクルを始める。
乗車料金の高さや、時々出会う不誠実な運転手について文句を言いたい訳ではない。ミクロとマクロの両方のレベルで、学術的な証拠が集まっている。市場を支配する大手小売業者が、第三者の売り上げからますます大きな分け前を受け取るようになっている。ライドシェア企業はここ数年、市場が集約するに伴って、料金と取り分を大幅に増やしている。
マクロレベルでは、テクノロジーが牽引する企業の収益と業界の集約化が、1920年代のギルド独占時代以来の最高水準となっている。現在は中央集権型独占企業のグローバル黄金時代であり、そうした企業の多くをテクノロジーが支えている。
ネットワークが可能にするテクノロジーのすべてが、搾取的な独占を生むわけではない。分散型ネットワークは、搾取的にならずに独占的になる素晴らしい実績を残している。
インターネットがその典型例だ。私たちのインターネットコミュニケーションのすべてを支える中核的テクノロジーであるTCP/IPは無料で利用でき、許可も不要。インターネットの利用は世界の大半において、極めて安価になっている。Eメールも分散型プロトコルだ。これらのネットワークの中心には、株主にとって価値を最大化する義務を負った企業が存在しないため、独占とはならない。
驚異的に安定していて、コストが極めて安価で、何十年も問題なく運用されている、ほぼ即時のコミュニケーション向けグローバルネットワークがある一方で、なぜシェアライドの料金の30%をソフトウェア企業に支払わなければならないのだろうか?
インターネットは全体として、ライドシェアよりはるかにシンプルだ。真の違いは、一方は中央集権型の少数の企業が運用していて、他方は分散型のオープンネットワークという点のみだ。資本主義や自由市場に抵抗する話ではなく、独占や独占企業が人類の繁栄に及ぼすダメージについての話だ。
独占のコストと解決策
終わりのない独占の世界を避けるためには、3つの選択肢がある。1つ目は、デジタル化とネットワークの前進を止めること。2つ目は、独占企業すべてを徹底的に規制すること。3つ目は、独占企業になれないような分散型システムを開発することだ。
1つ目は真のオプションとはならない。2つ目の選択肢は政治的に悪夢だ。3つ目の選択肢は、イーサリアムと呼ばれている。ビジネス価値にとってのTCP/IPに当たるもので、ライドシェアにおける世界的タクシー企業になってしまうリスクのないデジタル化への道だ。
これは、経済と政策という、より大きな観点からはどのように収まるのだろうか? 商業的な利益最大化を図る独占企業は、「死重損失」を生む。つまり、商業的な利益最大化を図る独占企業は、製品コストとは無関係に、自社の利益を最大にする水準に製品の価格を設定するということだ。その価格とは当然、競争的市場よりも高いものとなり、製品の消費はより少なくなる。
顧客から独占主義者に富が移譲されるだけの話でもない。もちろん独占企業はより多くの儲けを得るが、生産と消費は全体として少なくなるため、経済全体としてもより小さくなる。
これらは、どれほどの金額になるだろう? ニューヨーク大学の金融学教授トーマス・フィリッポン(Thomas Philippon)氏の推計によれば、独占企業はアメリカの平均的世帯に対して、1年間で3600ドル(約50万円、1ドル140円換算)の犠牲を支払わせている。これはアメリカの生産高の約5%に当たる。米経済全体で見れば、1兆ドル近いコストになる。世界がますますデジタル化するにつれ、その数字は大きくなるばかりだろう。
|翻訳・編集:山口晶子、増田隆幸
|画像:Shutterstock
|原文:Decentralization Is the Point, and We’re Not Talking Enough About Why