イーサリアムの生みの親ブテリン氏、X(旧ツイッター)のファクトチェック機能について長文の意見表明

ヴィタリック・ブテリン氏が何かを「メインストリームの世界における『暗号資産(仮想通貨)の価値』の具体化に最も近いもの」と呼んだときは耳を傾けなければならない。イーサリアムの共同創設者である同氏は、Xのコミュニティノート機能(当初はBirdwatchと呼ばれていた)について語った。

これは人々が背景情報を追加し、投稿(旧ツイート)の真実性を評価するためのクラウドソーシング・ツールで、プラットフォームがツイッターと呼ばれていた頃、イーロン・マスク氏が人生最悪の取引をする前に立ち上げられていた。なぜブテリン氏が今頃になって、昨年開始された試験的プログラムについて4300ワードにも及ぶ長文のブログを書くことにしたのかは分からない。だがそうしてくれたことを私は嬉しく思う。

イーロン・マスク氏も同様に、ソフトウェア批判を展開する少し難解なこのブログをリツイートし、分散化とユーザーの自律性に関するブテリン氏のアイデアを新たな高みへと導いた。

だが奇妙なことでもあった。ブテリン氏は記事全体を通じて、独裁国家のような経営で知られ、少なくとも一時は世界一の大富豪だったマスク氏を非難することを恐れていなかったからだ。

マスク氏は、1人のボスとして、暗号資産ができることなら解体したいすべてのものを代表しているという事実にもかかわらず、彼はツイッターを特別なものにした多くのものを潰したことと同じようには、コミュニティノートを解体していない。

「信頼できる中立性」

ブテリン氏にとって、コミュニティノートは分散型ガバナンスのケーススタディだ。つまり、誰でも参加申請でき、誰でも書き込みや投票ができ、オープンソース・アルゴリズムによって運営され、最終的にチェックされるウィキペディアのようなシステムだ。ブテリン氏によれば、投稿を表示させる機械学習アルゴリズムは、オンライン上の深いイデオロギー的分裂をまたぎ、無党派的で「驚異的なほど有用」かつ信頼できる情報を明るみに出すことができるようだ。

「完璧ではないが、信頼できる中立性という理想を満たすのに驚くほど近い」とブテリン氏は書いている。信頼できる中立性とは、あらゆる種類の差別を避けるために構築されたブロックチェーンのようなものを説明するために使われる専門用語だ。

ブテリン氏にとってイーサリアムのゴールは、当初から信頼できる中立性だ。人々が本当に信頼できると信じる普遍的にアクセス可能なマシンであり、カテゴリーを超越してトラストレスになることだった。つまり、ブテリン氏がコミュニティノートを見るとき、彼は大抵の場合、Xが彼に言い逃れをしたり、誰かが彼に見せるためにお金を払った情報を与えているのではないと信じることができるということだ。

自称「言論の自由絶対主義者」のマスク氏もまた、ツイッターがあらゆる合法的な言論の天国であるかのように表現していたが、実態はそれとはかけ離れてしまった。すでに多くの人が言っているように、マスク氏のツイッター/Xでのリーダーシップは、暗号資産にとっての歩く広告塔のようなものだ。というのも、「善意」(マスク氏がそれを持っていたと認めるとすれば)だけでは十分でないことを示したからである。「中立性」は、現実の世界で信頼性を実現するために最初から備わっている必要はないが、オーナー投資家が勝手にコードを変更することはできないと知っていれば、信頼性を確立することに役立つ。

コミュニティノートは透明性が高く、コンセンサス主導型だが、暗号資産とまではいかない。例えば、ブテリン氏は、マスク氏が中国での膨大なビジネス利害を考慮し、ウイグル人虐殺に言及した修正ノートに手を加えた可能性を示唆する証拠があると指摘している。

ブテリン氏はこの件に関して明確な見解を示してはいないが、ソースコードを調査した結果、直接的な証拠は見つからなかったものの、公開の投票を操作する技術的・社会的な方法は数多く存在することを指摘している。ただし、暗号資産がシビル攻撃や中間者攻撃、政治におけるカネの問題の解決策を見つけたわけではないことは言及しておく価値がある。

コミュニティノートというツールは、デジタル民主主義のメインストリームの実験として重要なだけではない。このツールは、暗号資産の可能性を指し示してもいる。ブテリン氏は、暗号資産の問題に関しては決して口を慎むようなことはしないし、Xの問題の解決策としてブロックチェーンを真っ向から提案することもないことをありがたく思う。

万能薬を目指すのではなく

しかし、おそらく多くの人が「暗号資産の価値」に触れることに最も近づくことになるであろう「超大規模」な用途の冷静な分析として、コミュニティノートに対するブテリン氏の考察は、解決できない問題もあるということを思い出させてくれる。

そのような姿勢は敗北主義ですらない。このブログで最も明晰なのは、コミュニティノートが「勇敢」さに欠け、誤った情報に対処するのに十分でないと指摘する最近の論評をブテリン氏が取り上げた部分だろう。

ブテリン氏は、このようなシステムがすべての虚偽や嘘をキャッチすることを目標にすべきではないときっぱりと述べている。彼は、1つのツイートが「不当に」判断されるよりも、10個の「偽情報を含むツイートが放任」されることを望んでいる。「目標は、複数の視点が存在することを人々に思い出させることだ」とブテリン氏は主張する。

最近では、それがコロナ禍における疾病対策予防センター(CDC)であれ、フェイスブックが政治討論にスノープス(ファクトチェックサイト)が認めた事実を持ち込むことであれ、専門家の意見を真実の究極の情報源として提示することで「公共の認識論」の問題を解決しようとする試みがよく見られる。

ブテリン氏は、専門家が嘘をつくことはめったにない(もし、つくとすれば、それはたいてい事実を省くこと、別名「不作為の罪」である)と言い、トップダウンの決定を評価している。ブテリン氏はコミュニティノートを、不信の時代に検証可能で信頼できる情報を広めるための価値ある実験と見ているが、唯一の解決策とは言い難い(予測市場を見ればわかるだろう)。

このことは、暗号資産においても心に留めておく価値がある。世界のあらゆる問題を解決することが目的であるべきではない。ブロックチェーン・プロジェクトは、すでに存在するものを破壊し、取って代わろうとすることがあまりにも多い。

このような生意気な態度は、ソーシャル・メディアのファクトチェックが、不信と組織に対する信頼の崩壊に拍車をかけたのと同じように、ブロックチェーンに対する人々の懐疑心を助長し、物事がうまくいかなくなったときの人々の怒りにつながり、否定的な反発を招く可能性がないとは言えない。

オープンでパーミッションレスな暗号資産ネットワークは、すでに多くの意見に満ちた世界のために構築されていることを願うが、おそらく、多くの選択肢がある世界をも想定して作られるべきだろう。

|翻訳・編集:山口晶子、増田隆幸
|画像:イーサリアムの共同創設者ヴィタリック・ブテリン氏(Shutterstock)
|原文:Vitalik Buterin Has Thoughts on Social Media Fact Checking