イーサリアムには「レイヤー0の力」がある──だが、まだ失敗に終わる可能性もある

私の文章や視点から感じ取れるテーマがあるとすれば、テクノロジーの世界は標準が大好きで、イーサリアムはその標準になったということだ。

さらに、私が飽きることなく指摘しているように、一度標準が確実な足場を築くと、より優れたものが登場しても、標準を押し除けることは驚くほど難しい。オペレーティングシステムから紙の小切手まで、ひとたび何かが「十分に良いもの」になると、それを中心にツールや経路が開発される。

アメリカの金融エコシステムにおける紙の小切手の息の長さに匹敵するような、技術標準と経路依存性のパワーを示す例は少ない。

その昔、紙の小切手を支えるインフラには、夜行便のネットワークや銀行の終夜稼働のデータ処理センターなどがあった。しかし現在では、そのようなインフラはすべてなくなり、デジタル画像処理システムが主流となっている。

オンラインバンキングや請求書支払いサービスを通じて銀行から紙の小切手を送り、受け取った小切手をスマートフォンでスキャンして入金することも珍しくない。

完全にデジタル化された2つの銀行システム間で行われた支払いのループを閉じるために、デジタルからアナログ、そしてデジタルに変換するという不条理は、まさに経路依存の力を証明している。

イーサリアムは、単に世界標準になるだけではなく、世界のビジネスと金融のインフラに深く定着するプロセスを確実に歩んでいる。しかし、まだそこまでには至っておらず、代替ソリューションが入り込む余地を大きく開く可能性がある3つのリスクをイーサリアムエコシステムは注意深く回避しなければならない。これらすべてには、中間で折り合いをつけることが含まれる。以下、私が考える3つのリスクを見ていこう。

1. 中央集権化を避ける

イーサリアムにとって最も重要かつ緊急な道は、過度の中央集権化も分散化も避けることだ。ブロックチェーンテクノロジーの価値提案はすべて分散化の上に成り立っている。

政治的傾向が強い人々にとっては、検閲への抵抗と映るだろう。ビジネスに携わる我々にとって、その価値提案は独占への抵抗だ。我々は搾取的テクノロジー寡占の世界に生きているが、それはもう必要ない。

だが、非常に強力なステーキングシステムがイーサリアムにもたらす現在のリスクはその一例だ。意図せず巨大な権力を持つようになった善意の個人や組織でさえ、単一障害点になる可能性があり、エコシステムをある方向へと傾ける力に変化する可能性がある。

単一の個人や組織がエコシステムを過度にコントロール、支配することを防ぐために「クアドラティック・ボーティング」(1人1票ではなく、複数の選択肢に分散投票する仕組み)のようなシステムを使用することができるし、使用するべきである。

過度な分散化も、小さいがリスクをもたらす。大きな組織を持たないエコシステムは、建設的な変化を促すことができる明確なリーダーやユースケースを見つけることに苦労するかもしれない。

2. 理想主義を避ける

イーサリアムは、イデオロギー過剰とも言える。拡大期のインターネットは、ビジネスと個人的表現の両方を民主化する完璧なツールとして多くの人々に評価されていた。

今日では、その目標は失敗したと考える人もいる。政府や大企業は大きな例外を作り上げ、独占を築き、コンテンツをフィルタリングし、オンラインでプロパガンダを広めている。理想主義者はこれを完全な失敗と見るかもしれないが、実際には部分的な成功にすぎない。

規制当局や政府が暗号資産(仮想通貨)エコシステムにおける無許可の証券販売やマネーロンダリングを取り締まるなか、理想主義者がアカウンタビリティ(説明責任)や合法的な制限に向けた取り組みに抵抗するという現実的なリスクがある。

その場合、イーサリアムは勝利したように感じるかもしれないが、マス市場にアクセスできる企業、公共部門、慈善団体、銀行にとっては受け入れ難い存在になるだろう。

イーサリアムがオール・オア・ナッシングの理想主義者に取り込まれれば、不完全なグローバル・パブリックブロックチェーンではなく、中央集権的で国家統制的なブロックチェーンを基盤とした世界になることは間違いない。

現在のインターネットは、私がかつて望んでいたグローバルで国境のない自由なビジネスや言論のエコシステムからはほど遠いが、それでも規制の厳しいプライベートネットワークや政府ネットワークの寄せ集めよりは良い。イーサリアムについても同様だ。

3. テクノロジーの硬直化を避ける

イーサリアムにとって3つ目のリスクは、テクノロジーの硬直化だ。イーサリアムは機敏なスタートアップである必要はないが、停止してしまうことはあってはならない。勝者となる技術標準は、決して利用可能な最高のテクノロジーではない。

私たちが今使っているデスクトップOSは、人間の創意工夫が考え得る最高の体験の代表だと断言できる人がいたら、その意見を聞いてみたい。

かつて、誰かが車輪よりも優れたものを考え出したことは間違いないというジョークが私は好きだ。それが何であるかは永遠にわからないが、現行の地上交通機関はすべて車輪をベースにしているのだから、これジョークが真実であることは間違いない。

真面目な話、私はこのジョークがとても面白いと思っていて、なぜ誰もこのジョークで笑わないのかわからない。あまりにオタクっぽいからだろうか?

つまり、イーサリアム(およびデスクトップOSのような技術標準)は、可能な限り最高の体験である必要はないが、立ち止まることはできない。生き残る技術標準は適応していく。迅速ではないかもしれないが、それでも変化に適応する。

スタートアップがもたらすクールな機能は、最終的には中心的なプラットフォームに組み込まれる。例えば、イーサリアムはプルーフ・オブ・ステーク(PoS)のパイオニアだったわけではないし、すぐにそこに到達したわけでもないが最終的には到達した。

TCP/IPからIBMのメインフレームに至るまで、現在の標準の永続的な優位性は継続的な改善なしにはあり得ない。

理性的な人々が鍵

これまでのところ、イーサリアムはこれらすべてのリスクを乗り越えている。私は決して失敗を予測しているわけではなく、リスクを強調しているだけだ。

実際、イーサリアムの可能性はインターネットと非常によく似ていると考えている。それは人々が「レイヤー0の力」と呼んでいるもので、テクノロジーを支えるソーシャルネットワークとも言える。そして私がイーサリアムのエコシステムで出会った人々は、先見の明と知性、そして合理性を見事に併せ持った人々だと何度も感じてきた。

イーサリアムが勝利するためには、これらの地雷原を通り抜ける中間の道を進み続けなければならない。そのためには、どんなテクノロジーや戦略よりも、理性的な人々が鍵となる。

|翻訳・編集:山口晶子、増田隆幸
|画像:Shutterstock
|原文:Ethereum Has Layer 0 Power. But It Could Still Blow It