オンチェーン債券市場を作るセキュアード・ファイナンス:メインネットがスタート

JPモルガン・チェース、シティグループ、ブラックロック……。金融世界大手がRWA(Real-World Assetの略。現実資産。ここでは既存の金融資産や銀行業務を指す)をトークン化する動きを強めるなか、新しいかたちの債券市場をブロックチェーン上に築き上げようと、日本人が創業したスタートアップがある。Secured Finance AG(セキュアード・ファイナンス)だ。

同社はゴールドマン・サックスやモルガン・スタンレー、HSBCなどで経験を積んだ元金融マンが設立したDeFiスタートアップ。創業者兼CEOのキクチ・マサカズ氏は外資系証券会社で金利・為替デリバティブの商品設計の責任者を務めた後、金融とテクノロジーの融合を徹底的に研究しようとアメリカ・ボストンに渡り、ハーバード大学大学院・リベラルアーツ学部でコンピューターサイエンス(CS)を学んだ。

Secured Financeは12月15日、同社が開発してきたSecured Financeプロトコル(イーサリアム・ブロックチェーン上に展開)のDAO(分散型自律組織)による運用をスタートさせる。ビットコイン(BTC)、イーサリアム(ETH)、ステーブルコインのUSDコイン(USDC)を保有するオーナー(貸し手)が、その資産を担保に第三者から暗号資産を借りたり、相対取引で貸し出すことで金利が得られるマッチメイキングサービスだ。

比較的大きなデジタル資産を保有する個人投資家やマイナー、暗号資産に特化したヘッジファンド、富裕層を相手に資産運用を行うファミリーオフィスが当面の顧客ターゲットとなる。保有するデジタル資産が元本・担保となり、スマートコントラクトが発行体となる債券市場をチェーン上で拡大させ、適正な金利相場を作り上げる。

Secured Financeプロトコルは当初、3つのデジタル資産を担保資産として、3月限、6月限、9月限、12月限の4つのタームでそれぞれプライマリー(発行)市場とセカンダリー(流通)市場を一体的に運用する。今後、貸出期間を翌年の3月限、6月限、9月限、12月限の4タームを加え、オンチェーン債券市場の「イールドカーブ」を作り出し、投資家が将来の市場動向を予測しやすい環境を整備する。また、トークン化された米国債や日本国債などを担保に、貸借を希望する参加者が増えていった場合は、柔軟に対応していく。

同プロトコルはトークン「(仮)Secured Finance Token(SFT)」を発行し、ガバナンスをDAO(分散型自律組織)形態に移行させる。早ければ2024年中に、SFTのパブリックセールを行い、同社のプロトコルが稼ぎ出す収益をステーキング報酬に上乗せする形でコミュニティに分配していく。

プライマリー市場:株式や債券を発行して資金調達する市場のことで、「発行市場」とも呼ばれる。発行された株式や債券を、投資家間で売買する市場を「セカンダリー市場(流通市場)」という。[参考:大和証券]

イールドカーブ:縦軸に最終利回り、横軸に債券の残存期間を取ったグラフ上に、債券の最終利回りと残存期間に対応する点をつないだ線をイールドカーブ(利回り曲線)という。残存期間の長短による利回りの関係を分析する際に使われる。[参考:SMBC日興証券]

「トークン化されたデジタル資産で一定の流動性が確保されれば、オンチェーンの債券市場はさらに拡大していくだろう。(法定通貨に連動する)ステーブルコインを含むトークン化されたRWAには今後、大きな資本が入ってくることが予想される」(キクチ氏)

人生を変えた2つの出来事

外資系証券会社の債券部でデリバティブ商品の設計に没頭していた2000年代。キクチ氏の人生を大きく変化させる一つ目の出来事が起こる。2008年の世界金融危機(リーマンショック)だ。欧米の金融機関が次々と破綻し、その影響はキクチ氏が所属していたロンドンの債券部にも及び、部署は解体された。

幸いにも、それまで稼いだ自己資金を基に自ら始めたコンサル事業で、2008年から数年間続いたアフターショックを凌いだ。金融危機が起こる前まで、欧米の金融界に浸透していた「利益至上主義」のムードは弱まり、社会を豊かにするための金融機関の役割が強く求められるようになった。

それから3年後、世界を震撼させるもう一つの出来事が日本を襲った。2011年の東日本大震災と福島第一原子力発電所の爆発事故だ。「僕の価値観と人生観を大きく変えた」とキクチ氏は当時を振り返る。

震災から3年後、キクチ氏はボストンに向かった。大学院の修士課程は2年程度で取得するのが通常だが、キクチ氏はハーバード大学院で5年を過ごした。ハーバードの教授や、MIT(マサチューセッツ工科大学)でCSを専攻する学生や、シリコンバレーの起業家やブロックチェーンを研究する専門家と幾度となく語り合った。ブロックチェーンと金融システムを融合させる専門家として、キクチ氏の新たな人生が始まった。

キクチ氏がスタートアップをスイスに設立した理由

2019年、キクチ氏はハーバードの大学院生ライフを終え、セキュリティトークン(株式や社債などを裏付け資産とするデジタル資産)の発行・流通プラットフォームを運営する米セキュリタイズ(Securitize)でエンジニアとして働いていた。翌年に参加したハッカソンの受賞をきっかけにジョセフ・ルービン氏(Joseph Rubin=イーサリアムの共同設立者で、米ConsenSysの創設者)が率いるニューヨークのアクセラレーターに声をかけられたことから事態は一変する。

キクチ氏は、アクセラレーターから出資を受けるため、Secured Financeの起業に踏み切った。設立場所はスイスと決めていた。大国と大国の狭間に位置するスイスは、金融業が国家の経済基盤の1つだ。国内外の富裕層を対象にしたプライベートバンキングでは、世界をけん引してきた。また、暗号資産を含むデジタル資産に対しても、積極的に受け入れる国家戦略を強めてきた。

実際、Secured Finance AGの設立地は、世界中のブロックチェーン企業が集まる「(クリプトバレー(Crypto Valley)」として知られるスイスの都市、ツーク(Zug)となった。

「米国のクリプト規制は厳しくなるという見方もあり、アメリカでの起業は難しいだろうと考えた。永世中立国としてのスイスであれば、悪化する米中摩擦などの地政学的リスクも少ないだろう」(キクチ氏)

オンチェーン債券市場の「LIBOR」を作る

世界の金融市場では、LIBOR(London Interbank Offered Rate)と呼ばれる銀行間取引金利がかつて存在していた。インターコンチネンタル取引所(ICE)が計算・公表する金利で、対象通貨は米ドル、ユーロ、日本円、英ポンド、スイスフランの5種類。翌日物から12カ月物までの様々な期間の貸出金利が公表される。

しかし、2012年にLIBORを不正に操作するスキャンダルが起こり、2021年末で算出・公表が停止する事態となった。

「透明性が高く、改ざんすることが不可能と言われるブロックチェーン上に市場を作ることで、適正金利が生まれてくる。オフチェーンでのマッチングは、中央集権的な要素が持ち込まれ、操作や不透明な決定に対するリスクが高まる。『LIBORスキャンダル』のように、金利の操作が市場に大きな影響を及ぼす可能性が残る。オンチェーンの債券市場の適正金利は、さらなるデリバティブ商品を生むことになるだろう」(キクチ氏)

Secured Financeは今後1年で、担保総額を1億ドルまで伸ばし、3年以内に10億ドルに拡大させる計画だ。同プロトコルの事業収益の源泉は、貸し手と借り手をマッチメークする際に生じる手数料(フィー)とスマートコントラクトによる管理手数料だが、キクチ氏はその事業収益を自分たちのものにせず、プロジェクトに参画するコミュニティメンバーに全て分配する仕組みを作る準備を進める。

2020年の起業から現在までに、約580万ドル(約8.7億円)の資金をシードラウンドで調達し、システム開発を進めてきた。今月15日、いよいよメインネットでグローバル取引の「板寄せ」が始まる。

板寄せ:証券取引所で売買を成立させる方式で、「板」と呼ばれる注文控えに記載したうえで、成行注文を優先し、次に高い買い注文と安い売り注文を突き合わせて、数量的に合致する約定価格を決めていく方法。[参考:SMBC日興証券]

「ブロックチェーンをフル活用することで、市場取引の透明性と安全性を高め、取引の即時性と低コストでの決済を実現したい。金利の変動が激しい暗号資産市場で、投資家が安定したリターンを得ることができるサービスを作っていきたい。オンチェーン債券市場での金利が予測できるようになれば、より多くの投資家は長期的な投資戦略を立てることができる」(キクチ氏)

ビットコインやイーサリアムなどのデジタル資産を迎え入れ、デジタル資産建ての新しい債券の取引市場をブロックチェーン上に作り上げようとする取り組みは、果たして世界中の投資家を惹きつける投資体験を作り上げることができるのだろうか? Secured Financeの2024年の動きに注目していきたい。

|インタビュー・文:佐藤 茂
|写真:小此木 愛里