生産者の“哲学”を付加価値として消費者に理解してもらう──。
有機農業の先進地・宮崎県綾町と電通国際情報サービス(ISID)などが、ブロックチェーンと農業を掛け合わせ付加価値を高める実証実験を続けている。この春には、生産履歴を記録した地元ワイナリーのビオワインをフランスのレストランに運び、オーガニックに関心の高い外国人消費者にアプローチする。
付加価値は生産者哲学
2月中旬の晴れた午後、畑の中にポツンと建つ小さなワイナリー「香月ワインズ」で、ワインの瓶詰め作業が始まった。樽から瓶に注がれる液体は、赤でも白でもない琥珀(こはく)色。代表の香月克公(よしただ)さんは、「伝統的な製法で作り、古代ワインとも呼ばれるオレンジワインです。手がかかり、あまり流通していないから、熱烈なファンも多いんです」と説明した。
ニュージーランドで約10年ワイン作りに携わってきた香月さんは、2009年に宮崎に帰郷して以来、完全無農薬のワインを作ろうと奮闘を続けた。ぶどう栽培から始め、ファーストワイン出荷にこぎつけたのは2018年。堆肥も自分で作り、野生酵母を使って発酵する。だが、手がかかりすぎて、ワイン1本の価格は1万円にせざるを得なかった。
1年目は「奇跡のワイン」との評判が広まり、生産した1000本を売り切ったが、今年の出荷量はさらに多い2400本。生産の効率化を進め、赤・白ワインの価格を7000円(オレンジワインは1万円)まで下げられたものの、日本と欧州連合(EU)の経済連携協定(EPA)発効で輸入ワインがさらに安くなる中、勝負するのは簡単ではない。
瓶詰め作業を見守っていた電通国際情報サービスの鈴木淳一さんは、「製法にここまでこだわっても、他のワインに比べて味が特別優れているわけではない。香月さんの生産哲学が付加価値として認められるかが鍵」と話した。
ワインの歴史を遡る技術
ワインの付加価値を可視化するツールとして、今回利用されたのが記録の改ざんができないブロックチェーンの技術だ。今年出荷されるワインは昨年以降のぶどうの栽培や収穫、発酵などの過程をブロックチェーンに記録してきた。消費者はワインボトルに貼られたQRコードを読み込んで、今飲んでいるワインの“歴史”を、動画やテキストで遡ることができる。
香月ワインズが生産したワインの一部は4月、フランスの複数のレストランで提供される。鈴木さんは「フランスは食文化だけでなく、エシカル(倫理的)消費も成熟しており、オーガニックな食材だけを取り扱うレストランも珍しくない。そういったレストランのお客さんに香月さんのワインを提供し、ブロックチェーンに記録された生産哲学を知ってもらった上で、商品を評価してほしい」と語った。
電通国際情報サービスが主導
電通国際情報サービスのオープンイノベーションラボ「イノラボ」と宮崎県綾町は2016年から、ブロックチェーンを活用した農産物の付加価値向上に取り組んできた。2017年3月には、東京都心で開かれた朝市(マルシェ)に、生産履歴を記録した綾町産の野菜を出店。その野菜がどのような土壌で育ち、いつ作付けが行われたかなどを、消費者がQRコードを読み取って確認できるようにした。
翌2018年5月は都内のレストランで、綾町の有機野菜を用いた「エシカル(倫理的)メニュー」を提供するイベントを実施。生産だけでなく、輸送や調理を含むトレーサビリティを保証し、さらには将来的なトークンの発行なども視野に、注文した客の消費履歴もブロックチェーンに記録した。
ブロックチェーン技術の行政サービスへの活用を模索していた鈴木さんが主導し、技術を提供する大阪市のスタートアップ「シビラ」や、業界団体のブロックチェーン推進協会(BCCC)なども参加する実証実験は、香月ワインズの「フランス輸出プロジェクト」で第3フェーズに入った。
「有機JAS」の副作用
1970年代から有機農業が盛んだった綾町は1988年、全国初の「自然生態系農業の推進に関する条例」を制定し、町を挙げて環境に配慮した農業を推進してきた。その先進的な取り組みは関係者の間では広く知られ、人口約7000人の小さな町には新規就農を志す移住者も少なくない。
一方で、綾町は「有機農業の取り組みが、なかなか農産物価格に反映できない」(綾町農林振興課)という課題を抱えている。
国の基準を満たし無農薬で化学肥料を使わずに育てた作物は「有機JAS」の認証を取得できるが、鈴木さんは「合格ぎりぎりで認証を取った野菜と、もっと厳しい基準で栽培された野菜が、市場に出ると同じくくりにされてしまう」と指摘する。
綾町の担当者も、「綾町は50年も、国の規格よりはるかに厳しい基準を設け、有機農産物を認証してきました。それが、数年の取り組みで認証を取得した『有機JAS』『オーガニック野菜』と同じ価値をつけられてしまうし、有機栽培の結果である虫食いや形の悪さも、価格にマイナスになってしまう」と明かした。
消費行動の動機付けにも
消費者の手に届くまでの農産物の生産工程を透明化するだけでなく、生産者のまじめな取り組みや思いを消費者に伝え、それに見合った価格を払ってほしい。
そんな思いで始まった実証実験からは、一定の成果が得られたと鈴木さんは振り返る。
「マルシェでは値段を見ずに綾町の野菜を買う消費者がとても多かったし、通常メニューと綾町野菜を使った『エシカルメニュー』を選択できたレストランのイベントでは、99%の人が後者を選びました」
一方で、綾町側は「ブロックチェーンに生産過程を記録するには、スマホなどITデバイスを使いこなすスキルが必要で、農家にはまだハードルが高い。数軒の農家が積極的に取り組んでいるものの、実証実験の段階ですね」と、現場のハードルを口にした。
鈴木さんが、ブロックチェーンに託すのは、「スペックでは現れない要素を評価軸に入れることで、商品価値を最大化する未来」だ。「広告代理店は大量生産・消費社会を盛り上げてきましたが、価値観が多様化し、環境に配慮した経済成長を目指すSDGs(持続可能な開発目標)という概念も浸透しつつある中で、私たちも世の中の変化と向き合う必要がある」と話した。
「生産履歴だけでなく、消費行動も記録することで、エシカルな行動にインセンティブを付与することも可能になります。農業のブロックチェーン活用というと、トレーサビリティの切り口がすぐ思い浮かびますが、生産者哲学とそれに共感する人々のエコシステムを形成する手段としても期待しています」
文・写真:浦上早苗
編集:佐藤茂